オリヴィエ先輩の言葉にランディくんはとても驚きましたが、紅茶の乗ったトレイを手に部屋に戻るとすぐに状況がわかりました。
窓の近くにいるオリヴィエ先輩の足元に見えるのは、蒼い猫と白い猫。
そう、そこにいたのはセイランだけではなかったのです。

「ああ、蒼い猫がセイランさんです」
「ふーん、じゃあこっちの白いのは?」
「その子はラウさんです。隣の隣に住むフラガさんの家の猫で、ときどきうちに遊びにくるんですよ」

最初にセイラン以外の猫を見たときは驚いていたランディくんでしたが、今では猫たちが互いの家に遊びにいくのは日常茶飯事なので、家の中に他の猫がいても驚くことはなくなったのです。

「そうなんだ」

なるほどと頷いて、オリヴィエ先輩はセイランの方に手を伸ばしました。
けれど、セイランはふいっとそっぽを向いてしまいます。

「わ、生意気ね〜この子。可愛い顔して」
「すみません、セイランさんもラウさんもあんまり人に懐かないので……」

ランディくんが困ったように笑うと、オリヴィエ先輩はからかうような目を向けて首を傾げました。

「あんたにも、でしょ?」
「ははは……そうなんです」
「だってプライド高そうだもん、この子たち。実はどっかの血統書つきとかそんなんじゃないでしょうね?」
「ええっ、そんなことはないと思いますけど……」
「ま、どうでもいいけどね」

軽く肩をすくめて、オリヴィエ先輩は今度はラウの方を向きました。

「ほらラウ、こっちおいで」

すると、どうしたことでしょう。
初対面にもかかわらず、ラウは伸ばされた手に自分から寄っていったのです。








「……え?」

オリヴィエ先輩にひょいっと抱き上げられるラウを見て、まさか、とランディくんは自分の目を疑いました。
ラウは、ランディくんが見ている限りではあまり積極的な猫ではありませんでした。
自分から好き勝手な行動をすることはあまり(というか全く)なく、それと同時に何かを嫌っているそぶりもほとんどみせないのです。
だから、抱き上げれば確かにそのまま抱かれてくれるのですが、それにはあくまで「抱かれてやっている」という雰囲気が見てとれて。
ラウが自分から寄ってくるなんてことは、ランディくんの経験にはないことだったのです。

「へぇ、こっちの子は素直じゃない」

こちらもラウの行動に驚いたのか、先刻はオリヴィエ先輩を無視していたセイランもオリヴィエ先輩の足元でラウを見上げていました。
一人と一匹に見つめられ、オリヴィエ先輩もこの事態がどれほどのものか把握したようです。
ラウの頭を撫でながら、その青い瞳を覗きこみました。

「アンタ、そんなに私がいいの? なんならもらってってあげようか?」
「オ、オリヴィエ先輩!?」

目を丸くするランディくんに、オリヴィエ先輩は気づかないフリをして続けます。

「静かにしてれば猫くらい飼ってたってバレやしないだろうしね。アンタ大人しそうだから、その資格はじゅーぶんあるでしょ?」
「で、でも先輩、ラウさんはムウさんの猫で……っ!」

本気に見えるオリヴィエ先輩の様子に、ランディくんは慌てて止めに入ります。
けれど、気づけばオリヴィエ先輩はくすくすと笑っていて。
そのときやっと、ランディくんは自分がからかわれていたということに気づきました。

「オリヴィエ先輩っ」
「くくっ、ああごめんごめん。だってアンタがあんまり必死だったもんだから、つい、ね」
「ついって……もう……」

呆れたような溜息が少し零れましたが、それが笑顔に変わるのはすぐのことでした。
けれど、なにかが胸に引っかかるような感じがするのもまた、気のせいではありませんでした。








オリヴィエ先輩とラウがそれぞれ帰った後、ランディくんはぼんやりとテレビを見ていました。
傍らではセイランが丸くなっていて、ゆっくりと尻尾を揺らしています。
テレビからセイランに視線を移し、ランディくんはセイランの頭を撫でました。
こんな風に触れてもセイランが嫌がらなくなったのは、つい最近のことです。

「でもやっぱり……なんかなぁ……」

昼間の、オリヴィエ先輩とラウとのやりとりを思い出し、ランディくんは小さく溜息をつきました。
あんな風にラウに触れられたことは、ランディくんにもありませんでした。
もちろん、ラウにとってオリヴィエ先輩はどこかしら気に入るところがあったからああなったのだろうとは思うのですけれど。

「うらやましいっていうか……ずるい、って思うのはどうしてかな……?」

そしてもうひとつ。
あの場面で、ランディくんを襲った気持ちはもうひとつありました。
あのとき、なぜかラウとセイランを重ねて見てしまったために現われた気持ち。
ラウはムウさんの猫だからこそオリヴィエ先輩は軽く諦めて――というか、最初から本気で連れ帰る気はなかったでしょうが、あれがもしセイランだったなら。
オスカー先輩は、元々はオリヴィエ先輩に猫を預けるはずだったのです。
その猫、セイランがもしも、ランディくんよりオリヴィエ先輩を気に入ったとしたら。

「オレに止める権利なんて、ない」

思わず呟いて、ランディくんは気づきました。
自分がどれほどセイランを好きかということに。
そして思いました。
オスカー先輩が帰国したら、自分は笑ってセイランを返せるだろうか、と。
わずかに芽生えた不安は、考えるほどに大きくなっていくような気がして。

「……セイランさん?」

手の中のセイランが、ふと顔を上げてランディくんを見上げました。
親指で鼻の辺りから頭までを撫でると、気持ち良さそうに目を閉じます。
――まだ、大丈夫。
もしかしたら、セイランの蒼には心を鎮める力でもあるのでしょうか。
その蒼が今ここにいるのが嬉しくて、ランディくんは撫でていた手でセイランを持ち上げるとぎゅっと抱きしめました。