君に会いたい


「それでなー、部屋に戻ってみたら、なんと今まで姿を消してたラウがベランダにいてだな――」
「……フラガさん、それもう10回くらい聞きました」
「ん? そうだったか?」

全く悪びれないムウさんに、キラくんは思わず深々と溜息をついてしまいました。

ラウがムウさんの元に残ると決まってから数週間後。
……ムウさんは、正真正銘の猫バカ(親バカとも云うのでしょうか)になっていました。
猫バカというよりもむしろバカ飼い主だろう、とキラくんは思いましたが、もちろんあえて口にはしません。
ムウさんとラウが離れずにすんだことを、最初こそは一緒になって喜んでいたキラくんでしたが、会うたびに飼い猫の自慢話・惚気話をするムウさんには流石に閉口してしまいます。

「じゃあ、これは話したか? あたたかい日のことだ、ベランダに出たラウを追って俺が――」

やはり喜々として語り続けるムウさんに、キラくんは諦めたように肩を落しました。
毎回猫の話ばかりされるのはなんですが、実のところキラくんにとってはそれほど嫌なことではないのです。
あの頃、ラウの飼い主が現れたときやそれ以前のムウさんを思えば、今のこの状況はかえって良いことだと思うからです。
いつでも明るく、誰にでも分け隔てなく接するムウさんでしたが、キラくんから見るといつもどこか自分以外の存在に線引きをしているような気がしてならなかったのです。
だから、誰かに本気で夢中になれるのならば、それはきっととても良いことだと思うのです。
思うのです、が。

(ちょっとこれはいきすぎかなぁ……)

これではまるで、幼い愛娘を溺愛してやまない父親のようです。
今にもラウの写真を取りだしかねないムウさんに、キラくんはやはり少しだけ溜息をついてしまいます。
ふと時計を見上げて、キラくんは気づきました。
そろそろムウさんの休憩時間が終わろうという時間でした。
この辺りで話を止めないと、きっとムウさんは延々とラウの話を続けるだろうことは経験上わかりきっています。
できるだけさり気なく話を変えなければとキラくんが口を開いたそのときでした。

「キラ? ――キラ・ヤマト?」








突然の声にキラくんが顔を上げると、ちょうど彼らのいたテーブルの横に立っていたのはキラくんと同い年くらいの少年でした。

「アスラン……アスラン・ザラ?」

その名前に、ムウさんがふと首を傾げました。

「アスラン・ザラ……ザラってもしかして君、パトリック・ザラの息子の?」
「あ、はい」
「あーそうかそうか、君が噂の新人のエースくんか。なるほどね」

ムウさんの言葉に、今度はキラくんが首を傾げました。

「フラガさん、アスランを知っているんですか?」
「知ってるも何も、こっちじゃ有名人だよ、彼は。幹部の息子で、今年入隊したばかりだってのに技術はプロレベルってな」

そういうお前たちはどうなんだ、とさらに重ねて尋ねるムウさんに、キラくんは迷ったようにアスランくんを見上げ、アスランくんと少しだけ頷きあいました。

「僕たち、幼なじみなんです。小さい頃に家が隣同士で、アスランが引っ越すまでは、ずっと一緒にいたんです」
「じゃあ、お互いに今は軍人だってのは知らなかったのか?」
「ええ……まさかアスランが軍に入るなんて、思ってもみませんでした」
「それはこちらの台詞だ、キラ。お前がこんなところにいるなんて、俺だって思ってなかったさ」

しばしキラくんとアスランくんを面白そうに眺めていたムウさんでしたが、ふいに時計を見上げて慌てて立ち上がりました。

「俺、時間だからもう行くわ。積もる話もあるだろうしな。ごゆっくり」
「あ、はい。すいません」

せわしなく去っていったムウさんと入れ違いに、キラくんの正面の席にアスランくんは座りました。
さっきまでとは少し違う真剣な顔に、キラくんは驚いてアスランくんを見つめてしまいます。

「キラ……さっきの、あの人との話なんだけど……」
「え?」
「猫がどうっていう……」

いつもはっきりと話すアスランくんが、今日は妙に歯切れの悪い物言いをしていてキラくんはおや、と思いました。

「猫? ああ、フラガさんが飼ってる猫のこと?」
「それ、どういう猫だって?」
「真っ白い毛で青い瞳だって云ってたけど」
「――キラ」

アスランくんの思いがけず真剣な瞳に、キラくんは少し驚きました。

「ちょっと、頼みたいことがあるんだ」








「――ということなんですけど、いいでしょうか?」
「別に構わないっちゃ構わないが……」

うーん、とムウさんは首を傾げました。
キラくんからのお願いは決して難しいことではなかったのですが、なぜそれをムウさんに頼むのか、その理由が全くわからないのです。

「しっかし、わざわざお前さんを経由してまでそんなこと頼むなんて、なんでかねぇ」
「すいません……。アスラン、僕にも理由を教えてくれないんです」

その頼みをアスランくんから聞いたときはキラくんも驚いたのです。
けれどいくら理由を聞いても、アスランくんは困ったような悲しそうな顔をするだけで教えてくれませんでした。


そんな風に、それぞれが適度に悩み始めて数日たったときのこと。
キラくんとアスランくんは、約束どおりムウさんの部屋の前まで来ていました。
玄関のチャイムを押そうとキラくんが手を上げ、けれどつい戸惑ってしまって一度手を下ろしたとき、明るい声がアパートの廊下に響きました。

「あれ、どうかしたんですか?」

そこにいたのは、キラくんたちより少し年上の男の子――ランディくんでした。
突然声をかけられ驚いたキラくんたちでしたが、ランディくんの満面の笑みにつられるように少し笑いました。

「いえあの、こちらの家の方にちょっと用事があって」

キラくんがムウさんの家の扉を指差すと、ランディくんは納得いったようにうんうんと頷きました。

「フラガさんのお友達ですか? オレ、ここの一番奥に住むランディっていいます」
「友達というか……まあ、そんな感じですね。僕はキラ、こっちはアスランです」

ランディくんはムウさんの家の扉を見上げました。

「フラガさんなら、今多分ラウさんと遊んでるんじゃないかな。家にはいるはずですよ」
「ありがとうございます」

素直に頷くキラくんとは対照的に、アスランくんはランディくんの発したひとつの言葉に反応していました。

「ラウ……?」
「ええ、ラウさんはフラガさんの家の猫なんです。真っ白ですごく綺麗で、あんまり人に懐かないけど、いい子ですよ」

ランディくんが人好きのする顔でにこりと笑うと、アスランくんは少しだけ困ったように笑って返しました。