隠れし眠り人


停戦協定が締結してからしばらくのち、プラント最高評議会議員に新たに選出された ギルバート・デュランダルの私邸の一室が主以外立ち入り禁止とされた。
その屋敷には、使用人が数人と、ギルバートの保護を受けるレイ・ザ・バレルという 少年が住んでいたが、主であるギルバートと古参の執事を除いて誰もがその理由を知る ことがなかった。
レイが尋ねてみたところで、ギルバートは曖昧に微笑むのみでなにも答えてくれること はなく。
気にならないといえば嘘になるが、けれどそれ以降、レイはその部屋に近づこうとは しなかった。


ギルバートにのみ開かれるその部屋の扉が、実はギルバートが部屋に入ったときに限 り外へも開かれると知ったのは、あたたかな午後にレイが中庭を散歩していたとき だった。
庭の花々を眺めながら、そういえば例の部屋はこのあたりにあったかと視線をめ ぐらせたそのときのこと。レイの視界の隅で、なにかが動いた。
そちらに視線を向ければ、どうやら館の一室の窓が開かれたらしいことがわかっ て。窓の位置と、それを開いた人物の姿をみとめ、レイはわずかに目を見開いた。
窓を開いたのは館の主のギルバートで。彼がいる部屋は――例の部屋だったのだ。
使用人に掃除すらさせない締め切った部屋だとばかり思っていたが、ギルバート は自身が部屋に入ったときには空気の入れ替えのようなことはしていたらしい。
元よりデュランダル邸は、主人の性質もありどこもかしこもが美しく磨き上げられ ていた。使用人を立ち入らせないといっても、おそらく事情を知っているであろう執 事あたりがこっそりと部屋の掃除等はしているだろうとの予測はついていたのだけれど。
開け放たれた窓を見つめ、レイは思った。
もしこのままあの窓に近づき、窓から中を覗けば、あの部屋になにが隠されているの かわかるのではないか、と。
忙しいはずのギルバートが、館にいるときは日に何度も足を踏み入れる 部屋。ときおり、なぜかラクス・クラインの歌声が洩れ聴こえてくる部屋。
ギルバートがそこになにを隠しているのか、そこでなにをしているのか、気にならな いわけがない。
それは甘い誘惑だった。
ギルバートは、庭にレイがいることに気づいていない。窓は開け放たれたまま。この ままあの窓に近づいて、ほんの少し中を覗くだけだ。窓から差しこむ日の光は部屋 の中を明るく照らしていることだろう。
光の中に浮かび上がるものの正体を、ただ知りたいと思った。
いけないことをしていると思いながらも、レイは動きだした自らの足を止めることが できなかった。一歩一歩、身体は窓に近づいていく。胸の奥がざわざわとしていた。近 付いてはいけない。中を覗いてはいけない。そこにあるものを見てはいけない。――そ う、思うのに。
気配を絶ちながら、壁沿いにレイは歩いていった。窓枠のすぐ横に立ち、一度きつく目を閉 じる。
レイがギルバートとの約束を破ることなど滅多にない。しかも、不可抗 力ではなく自らが破るなどレイにとっては初めてのことだった。
それでもレイは、ゆっくりと息を殺しながら、部屋の内に影を作らぬようにと細 心の注意を払いながら部屋を覗きこんだ。
その部屋は、デュランダル邸の他の部屋となんら変わらないもので。不必要な調 度品の取り払われた、最低限の家具のみが置かれた部屋には、壁際の中央ほどに ベッドがひとつあった。
ギルバートはベッドの傍らに、こちらに背を向けて立っていた。
ベッドには誰かが眠っているらしい。膨らみ具合からそれだけは判断でき たが、ギルバートの身体に隠れて誰が眠っているかまではわからなかった。誰か 公にはできぬような人物をここに匿っているのかもしれない――レイがそのよ うな考えに至り、それでは自分はここにいてはならぬだろうとその場を後にし ようとしたそのときだった。
ベッドの中の人物を見下ろしていたらしいギルバートが、ゆっくりを腰を折 った。身をかがめ、頭を下げる。ギルバートの長く黒い髪がひと房ふた房 と、肩から滑り落ちていった。その光景は、実際の時間よりはるかに長くレ イの目に映っていた。
知らず息を呑み、レイは目を見開いた。
推測ではあるけれど、ギルバートはおそらく、ベッドの中の人物にキスをし たのだ。微動だにせず、言葉も交わすことのないベッドに眠る人物に。
見てはいけないものを見てしまった、そう思った。早くこの窓から離れてこ こから去れ、と頭は身体に命じるのだけれど、なにかに縛りつけられ たかのようにレイの身体はその場から離れようとはしなかった。
しかし、身体を起こして再び高い位置からその人物を見下ろしていたギルバ ートが一瞬、ほんの一瞬、こちらに気をかけたようなそぶりを見せた。
――気がつかれた。直感したレイは、ギルバートが振り返るより早くその場 に背を向けた。今度はあっさりと動きだす身体に、驚きを隠せないまでも頭 は冷静なままだった。
それでも、心臓の音がうるさくて仕方がない。なぜこんなに混乱している のか、自分でもわからなかった。誰かに問えるはずもなく、レイはただ自ら に問い続けることしかできなかった。
なにを。なぜ、と。




夕刻、ギルバートと顔をつき合わせて食事をとったものの、レイは常と なんら変わりなくギルバートに対することができた。
ギルバートもまた変わらぬ様子で微笑んでいた。穏やかな時間は、レイに つい数時間前のできことがまるで夢であるように思わせてくれる。けれどレ イは知っていた。あれは決して夢などではなく、おそらくギルバートもレイがあの 場にいたことに気づいている、と。
なんの確証もなかったけれど、レイはなぜかそれを確信していたのだった。






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