Once more
彼に初めて出会ったのはギルバートがまだ成人する前、遺伝子研究者であ る父に連れられ、とあるコロニーの研究所に行ったときのこと。 ギルバートが、父の懇意にしている人物の研究所に連れて行かれることはそ う珍しいことではなかった。 遺伝子研究者として有名だった父親は自身の息子のギルバートにコーディ ネイトを施し、コーディネイターとした。そうしてギルバートは、周囲の環 境による影響も大きかったのだろうが、10にも満たない年齢からナチュラル の大人顔負けの理論を展開させていた。プラントの成人年齢15にまでもう数 年といった当時でさえ、ギルバートは父にも劣らぬ知識と自身の理論を持って いたのだった。 それを研究者の父が喜ばないはずがなく、父はことあるごとにギルバートを 各地の研究所に連れ歩き、研究者仲間に引き合わせていた。 その日にギルバートたちがやってきたのは、遺伝子操作関係に特化された研 究所の集まるコロニー、メンデル。父の数十年来の友人が所長をやってい るという、うちひとつの研究所にギルバートは足を踏み入れた。 白い壁、白い天井、白い床。 なにもない無機質な廊下を歩く、白衣の人間たち。 なにもかもがまっさらで、なにもないようでいて全てが渦巻いているこういった 空間を、ギルバートは決して嫌いではなかった。 何人かの研究員と親しげに言葉を交わす父の後ろを、ギルバートはただ黙々と 歩いていた。体面上極めて愛想よく振舞っていたから誰も気づいてはいないだろ うが、本当のところは研究所めぐりや研究員への挨拶回りなどはギルバート にとってはどうでもよい類のものだった。 研究員たちとの会話の端々にから、彼らの行う研究の結果や経過についての情 報を得ていくという地道な作業は嫌いではないが、やはり見るならばその研究 そのものを見たい。このようなところで立ち話をしているくらいならば、早 くこの先の研究室に入って新たな研究対象をひとつやふたつ見せてくれても いいだろうと、そんな風に思っていた。 何人かの研究員に挨拶と自己紹介をし、いい加減初めましての挨拶に飽きた 頃、もう研究所のだいぶ奥に来ただろうあたりでギルバートは珍しいものを見た。 子どもだ。 廊下の突き当たりの部屋から、子どもが出てきた。 まだ6・7歳といったところだろうか、小さな子どもが、ひとりきりで部屋から 出てきたのだ。子ども用のスーツを身にまとうその子どもには、しかしその年 頃の子ども特有の「スーツを着せられた」ような雰囲気はなく、どうしてかその 様はとても板についていた。 淡い金の髪と透き通るような蒼い瞳をもつ、まだギルバートの胸の辺りまでし か背がないだろうその子どもは、ギルバートと父に気づくとわずかに目を見開い たものの、すぐに表情を緩めて笑みを浮かべた。 「お久し振りです、ドクターデュランダル」 「ああ、久しいな。前に会ったのは3ヶ月前だろうか」 子どもはなんの躊躇いもなく手を差し出し、ギルバートの父もまたその手を取 った。握手はごくごく一般的な挨拶の形のひとつだというのに、しかしギルバ ートにはその光景がどこか不自然なものに見えて。どうしてかその子どもか ら、目が離せなかった。 ギルバートの視線に気づいたのか、子どもは父の半歩ほど後ろに立つギルバート に目を向ける。子どもの様子に気付き、ギルバートの父もまたギルバートに視 線を向けるとすぐに子どもの方に向き直った。 「これは私の息子でね。名をギルバートという」 「ああ、ドクターのご子息でしたか。初めまして、ミスターデュランダル」 その子どもは、ギルバートにもまた手を差し出した。反射的に手を取り、け れどギルバートはその子どもの蒼い瞳を前に一言も発することができなかった。 「私はラウ。ラウ・ラ・フラガといいます」 ギルバートより5つほどは歳が下であろうその子どもは、初めて会う人間に 対してもまったく臆することなく、そう云ってにっこりと微笑んだ。 ――それは実に完璧な、子どもらしからぬ最高の笑顔だった。 最先端の研究施設を目の前にしても、素晴らしい理論を聞かさ れても、自らの研究所に戻っても、ギルバートの頭にはあの少年の 姿が浮かんで離れることがなかった。 父に聞かされたあの子どもの『秘密』は、確かに驚くべきものではあっ たけれど信じられないものではなかった。それをできるだけの技術を人間は 既に手にしている。あとは倫理観とそれに基づく法のみが世界の指針を決 めるのだから、それらを越えたところから見れば倫理や法などあることに 意味はなくなる。 だから、あの子どものような存在があることは決して予想外のことではな いし、驚きこそすれ忘れられないようなものではなかったはずなのだ。 それなのにどうしても頭から離れないのは、きっとあの目を見たからだ、とギル バートは思う。 そうだ、あの瞳だ。 プラントの空よりも深みのある、けれど透き通るように綺麗な蒼。そこ に、微笑みながらも蔑むような見下すような色が見えると感じるのはギ ルバートだけなのだろうか。もしかしたら、年齢の近い子ども同士だから だろうかとも思ったけれど、それは違うような気もしていて。 しかし、どれほど考えたとしても、わかろうはずがない。彼は自分ではない のだから。 ――彼の見る世界は、どんな色をしているのだろう。 生まれたときよりある人物そのものになることを目的としての教育をのみ施 された幼い少年。彼の知能は同年代の子どもをはるかに越え――いや、もし かしたらコーディネイターであるギルバートと同等か、それ以上ともいえるのかもしれない。 彼はあの場では他の子どもたちとはまったく違う扱いを受けているのだとい う。彼のオリジナルである依頼主と同じように、研究員たちは彼に接するのだ とギルバートの父は語った。 子どもらしくないと、一言に非難できることではない。依頼主がそれを望 んでおり、あの少年もまたそれを受け入れられるだけの技量を持っていた ことが、はたして良いことなのか否かはギルバートにはわからないけれど。 しかし、あの瞳はどうだ。 やわらかに浮かべた笑みであるのに、彼はひたすらに冷たい瞳でそこ にいた。冷たく、どこか虚ろであるのに、しかし彼の瞳には強い光が宿 っていた。それがほの暗い闇の色をしているのか、眩くあたたかな色をし ているのかはわからない。 それでも――いや、だからこそギルバートは、その少年が気にかかったの だろう。 もう二度と会わないだろうと、それだけは初めからよくわかっ ていたのだけれど。 |