ゆめうつつ (百題32:夢なのか?)


「ムウ」

あまい香りがする。
やさしい声がする。

「ムウ」

とてもよく知っているはずのそれ。
けれど、まったく知らないようなそれ。

「いつまで寝ているんだ、ムウ。起きろ」

耳元で囁かれて、まさかこれは本物なのかと、半ば恐る恐る目を開けた。
と、そこにあるのは広がる淡い光。
朝日を受けてきらきらと輝く金色に、それを受けて幾重もの色を映す蒼。

「……早くしないか。朝食が冷めてしまうぞ」

呆れたような声音ながら、その表情は常になくやわらかい。
これは一体なんだろう、思いながらムウはその顔を凝視した。
しかしその視線は軽やかにかわされ、眼前に伸ばされた手にくしゃりと髪を掴まれる。

「私に手間をかけさせるな」

くすくす、とたまらずに零れるのは笑い声だろうか。
なんだろうこれは。
なぜ、こんなにも。

「お前、は……」
「ん?」

わからなかった。
これを、喜んでいいものなのか否か。
望んでいなかったといえば嘘になる。
けれど、これこそが現実にあってほしいと、本気で思っていたのだろうか。

「ラウ、か?」
「――何を今更」

笑っている。
それはきっと彼にとっては極上の。
これまでどれほど望んでも見ることの叶わなかった笑顔で。
笑っている、のに。
どうして。

「違う、よな」

思わず零れた言葉は、けれど何よりも自分の本心に忠実だったようだ。
目を丸くしたラウは、わけがわからないといった風にこくりと首を傾げていた。

「お前は『ラウ』かもしれないけど、俺の知ってる『ラウ』じゃないよな」
「この私は、お前の望みに反するものか?」
「いーや。俺の望みどおりのお前だよ」
「ならば」
「だけど、な」

身を起こして、ムウはラウの頬に触れた。
あたたかくやわらかなそれは、いつもの彼とまったく変わらないというのに。
不安げに揺れる瞳を、何よりうつくしいと思うのに。

「俺の望みどおりのお前なんて、本当のお前じゃないだろ?」

やさしい声も表情も仕草も。
きれいな笑顔も、何もかもが。
――彼であって彼でないもので。

「ごめんな」

ひとつ瞬いて、彼はふわりと笑ってみせた。

「お前が好きだよ。お前だけが好きだ」

その目に浮かぶものは、しずかに頬を伝ってムウの手を濡らす。
この感覚を、決して忘れるものかと思いながら、ムウは彼の頬に唇を寄せた。
消えてしまっても、彼は確かにそこにいるのだから。



――さよなら、きみの中のきみ。





百題「32.夢なのか?」より
甘く見えるシリアス、のはずが、
多少ズレたにも関わらずやっぱりシリアスちっく?
ありえないラウを目指してみたり。