distinction (百題30:爪) 何気なく視線を向けてみて初めて、隣に座るラウが自分の手を見ているのだと気づいた。 俯いたまま動かないから、ムウはラウがてっきり眠ってしまってたのかと思っていたのだが、実はそうでもなかったようで。 どうしたものかと思いながら、けれど彼が何を気にしているのかという疑問の方がはるかに大きかったので、ムウは直球で尋ねてみることにしたのだけれど。 「俺の手が、どうかした?」 ラウが見つめていた右手を上げ、彼の顔のまでひらりと振ってみる。 そうするとラウも同じように視線を上げたのだが、ムウのからかいに付き合う気は毛頭ないようで、はしっと手首を掴んでいた。 動きを封じられた手を再びまじまじと見つめ、ラウはぽつりと呟く。 「……やはり、違うのだな」 「は?」 妙に真剣な表情のラウが零した言葉に、わけがわからずムウは顔をしかめた。 ラウが掴んでいるのは自分の手で。 ラウが見つめているのも自分の手で。 一体何が違うのだろうかと、ラウと同じように手を見下ろしてみて、気づいた。 掴まれている手と掴んでいる手。 大きさは同じほどであろうふたつの手は、けれどその様子は全く異なっていた。 ラウの手はすらりとした形の良いものであるが、ムウの手は同じような細さであってもわずかに焼けていてしっかりとした印象を与える。 「まぁ、地球とプラントじゃあ環境が全然違うからな。そっちじゃ日に焼けることもないんだろ?」 太陽光を直接に浴びている地球とは異なり、プラントの太陽は人工物で本物の太陽のような紫外線はないという。 そのためか、ラウの手は色白だ。 常に手袋をしているということもあるのだろうが、それにしても地球軍の女軍人でさえもっと健康的な色合いをしているだろうほどの白さは、まさかこれが敵方の上位の軍人だとは思えないようなもので。 「それに、何かと力仕事を任されることも多いしな。放っておいてもゴツくなるのは、軍人のサガみたいなもんだ」 コンピュータの操作で全てが片付く最先端の技術を持つプラントとは異なり、地球軍はそれなりの設備は整っているものの未だ人の手を要する作業が多い。 「……無茶なことを……」 「は?」 脈絡のない言葉に、ムウは再び顔をしかめた。 ラウは掴んでいたムウの手を放すと、逆の手で手のひらをすくいあげるように持ち上げた。 「お前は、どれほど無茶をした?」 ラウの云う『無茶』の意味をはかりかねて、ムウはされるがままの手のひらを見やる。下から手のひらに触れていたラウの指先が、指の付け根から指先へとゆっくりと滑っていく。 ラウの指の上から指先が落ちるのではないかというところでラウは動きを止め、支えるように親指の腹がムウの爪の先に触れた。 そうして、気づく。 ラウの、ゆるく楕円を描く整った爪とは正反対の、先が潰れた形の悪い自らの爪に。 『エンデュミオンの鷹』の二つ名を持つ、地球軍の中でもトップのパイロットであるムウの訓練量は並みの軍人の比ではない。 身体に鞭打ってでも訓練に励んできたため、手や爪といった細部の手入れに気を使うということもなかった。 それはあくまで訓練の賜物であり、誇りこそすれ恥じるべきことはないのだけれど。 「なに、心配してくれるの?」 「……心配? 私が、お前の?」 真顔で淡々と返され、ムウは思わずがっくりと肩を落とす。 鼻で笑われるのもつらいものがあるが、無意識に本心が表れるだけこちらの方が断然キツい。 けれど、ふと思った。 自分はナチュラルの、個人差はあるだろうが基本的な限界値は同程度の人間の中にいたからこそこの地位まで上りつめることができたのだ。それはある種当然のこととして。 ムウとは逆に、ラウはナチュラルでありながらもコーディネイターの中の、さらに抜きん出た地位にいる。基本値が高いうえに軍人としての訓練を受けたスペシャリストたちの中に身を置いていた彼は、どれほどの苦労をしたのだろう。 「……そうだな、俺よりお前の方が大変だよな」 しみじみと呟くムウに、ラウは一度視線を向けた。 そうしてもう興味を失ったとばかりに手を放してしまう。 「そうでもないだろう。身体能力さえ標準に達していれば、あとはMSの操作と戦略のみの問題だ」 確かにそうかもしれない、とムウは思った。 戦略や、それに関する知識においてラウがコーディネイターに引けをとるようなことはない。MSの操作においても、おそらく同じようなことが云えるだろう。 けれど、そこには問題がひとつある。 知識、戦略、そして戦闘時に発揮する勘の鋭さ。 これらは全て、彼らがその父から継いだものであり。 ムウはその血を、ラウはその身体を、本人の意思とは無関係に受け継がれた『フラガ』の血が持つ、特殊な能力。 「――……あれ?」 そこまで考えて、ムウは気づく。 最初にラウが、自分とムウの手を比べて「違う」と云ったわけを。 きっとそれは、自分と父、父とムウを比べての発言だったのだろう。 半分は同じものであるはずが、全く違うものであると気づいたからではないのだろうか。 「な、ラウ」 「なんだ」 先刻までとは反対に、ムウがラウの手を取った。 細い指先をなぞるようにたどり、両手のひらで包み込む。 「違うのなんて、当然だと思わないか? 俺とお前は違う人間で、違う場所で育って、違うところにいる」 俺とお前――そして親父は、違う人間だ、と。 言葉にしなかったその真意に、ラウは気づいているだろうか。 「今までが違うんだから、今が違うのは当然だろう? 違っていいんだ。違うから、いいんだ」 ラウの手を口元まで持ち上げ、その指先に唇が触れるか触れないかの位置で、ムウは笑う。 「違う人間が、違うものをみているはずの人間が、互いに同じ幸せを感じる――なんて、そんなのは最高だと思わないか?」 ラウは驚いたように固まっていたけれど、しばらくするといつもと同じ呆れたような溜息がひとつ零れた。 けれどそれに拒絶や否定をこめた色合いはなく、ムウは目を細めると手の中にある綺麗な爪の先にキスをした。 |