どうしてこんなことになったんだろう。 目の前で礼儀正しく紅茶を飲む少年を前に、忍足は思った。 全ては偶然の重なりから。 街で何気なく会って。 互いにもちろん顔は知っていて。 『氷帝の忍足……』 『青学の、手塚?』 (で、どーしてこんな展開?) 気付けば近くの喫茶店で仲良くお茶を飲んでいた。 忍足はブラックのコーヒーを。 手塚はストレートの紅茶を。 特に何をするというわけでもなく、テニスや学校についてをぽろぽろと話すだけで。 初めて間近で見る手塚国光という男は、忍足の予想とは少しばかり違っているような気がする。 元々知り合いではないし、顔だってテニス雑誌や大会の記録用ビデオでしか知らないけれど、全国区で無敗神話を誇る彼のこと、もっと高慢で嫌な奴かと思っていた。 例えば氷帝の現部長のように。 (性格は正反対やけど、これはまぁ……アイツと張るな) そう派手な顔立ちではない。 茶色がかった黒髪は櫛を通した程度の手入れしかされていないようで、無造作に跳ねている部分が多々見受けられる。 ノンフレームの眼鏡は、厳選したというよりは単にそれがフィットしたから選んだというようにも見えるし。 服だってシンプルなもので、特にセンスが良いわけでも悪いわけでもなく。 ……それでも、彼に似合っているから文句は云えないが。 これといって目立つ特徴はないのにそれでも人目を引くのは、彼の持つ独特の雰囲気のせいだろう。 性格はおそらく、生真面目で誠実。 家にはおそらく厳格な祖父あたりがいるのだろう。もしかしたらかなりいい家の子供かもしれない。 ――この歳にしてこの落ち着きっぷりと礼儀正しさ。 それは一昼夜で身につくようなものではない。 イマドキの子供ならそんなところにいたら性格が曲がってしまいそうなものだが、彼はどうやらそのまま真っ直ぐに育ってしまったらしい。 その堂々とした様子は、図らずとも人を惹きつける。 (カリスマねぇ……こんなのがそう何人もいるとは思いたくないわ) 「……なんだ?」 余程じっくり見つめていたのだろう、手塚は居心地が悪そうに眉をひそめて忍足を見返した。 「いや、何でも?」 にこりと笑って返すと、手塚はますます眉を寄せる。 おや、と思いながらも笑顔を崩さず、忍足は彼の顔を覗きこんだ。 「どないしたん?」 「……別に」 「別に、ってことはあらへんやろ。そんな顔して」 子供を諭すような云い方に、手塚がむっとした顔になる。 拗ねたような少し怒ったような、それほど大きな変化ではないのだけれど。 (――へぇ) こんな顔もするのか。 真面目でお堅くて、何事にも動じないタイプだと思っていたけれど。 案外子供らしい側面もあるのだなと思わず笑ってしまう。 そんな忍足を、今度は手塚が驚いたように見つめていた。 「――何?」 「いや……知り合いに、似ていると思って……」 「知り合い? テニス部の?」 「……ああ」 ライバル校の人間に勝手に部員の話をするのはどうかと思ったのだろう、手塚は戸惑うように視線を迷わせる。 「別に偵察とちゃうからな。ここだけの話ってことにすればええやろ?」 「そう、だな……」 忍足の言葉に、安堵したように呟く。 (見かけによらず素直やな。どっかの誰かとは大違いや) 「で、どの辺が似とるん?」 手塚の返答を、忍足は待つ。 忍足のその気を感じ取ったのか、手塚は諦めたように口を開いた。 「いつも笑っていて」 確かに大抵のことなら笑って過ごせる自信はある。 「何を考えているかわかりにくくて」 ポーカーフェイスは得意だ。 「よくわからないことばかり云って」 のらりくらりとかわすのは、身に着ければ楽な特技だ。 「……すぐに、俺をからかおうとする」 (……あー、なるほど) 何となくわかった。 彼のいう『知り合い』と自分は、同類だ。 おそらく、互いにあまり認めたくないタイプの。 「なぁ、手塚?」 呼ばれ、手塚は何気なく顔を上げる。 「そいつってもしかして、周りと自分に対する態度が微妙に違ったりせぇへん?」 「……よく、わかったな」 きょとん、と首を傾げる。 その様子は、外見からは想像もできないほど無防備で。 (これは、ハマるわ) その『彼』が自分と同タイプなら、なおさら。 手塚のような人間は、『こちら』からすると顔も見たくないほど嫌いになるか余程気に入るかのどちらかにしか入らないタイプで。 そして『あちら』の人間は、『こちら』のその気持ちに気付くことはない。 いつでもマイペースで、他人の様子によく気付くようで案外疎い。 そして何より、自分に対して鈍感なタイプ。 「……忍足?」 「そろそろ出よか」 休日は人が多い。 人込みを避け、なるべく静かなところへと進んでいくうちに、気付けば辺りの人気はまばらになっていた。 ここまで何も云わずについてくる手塚を不思議に思いながらも、忍足はわざと何事もないように振り返った。 「忍足?」 どうかしたのか、と視線を上げる。 背の高さはそう変わらないのだが、自然と上目遣いになるのは彼の癖なのかもしれない。 お堅いくせに、変なところで無防備で。 ライバル校の人間を前に、信じきったような顔をして。 それはきっと、無意識だからこそ、凶悪。 (あ、ヤバ) 「――」 驚いたように忍足を見つめたまま、手塚はぴくりともしない。 思わず彼の顎に添えていた手を離すと、手塚は視線を下ろして考え込むような仕草をする。 (ていうか、何やねん、コレ) 「……もしかして自分、慣れとる?」 「いや、少し驚いただけだ」 それは見ればわかる。 問題は驚いた否かではなく、驚いた以上の反応がなかったということで。 「お前は――」 「え?」 「お前は誰を見ているんだ?」 は? と忍足は手塚の顔を覗きこむ。 けれど、手塚はただ生真面目な顔で忍足を見返して。 「相手が違うだろう?」 (こいつ、まさか) 知っている? まさか、そんなわけがない。 恋愛事やら他人の感情の機微に疎そうな彼が、そんなものに気付くわけがない。 「お前が誰を見ているのかは知らないが、それは俺ではない」 そうだろう? と問う声に、迷いはない。 なんだコイツは、と思う。 何も知らないくせに、ただ『気付いた』というだけでそれを指摘しようというのか。 (――面白い) 「……くっ」 「忍足?」 訝しみながらも、相変わらず態度は無防備だ。 彼は本当に、自分のことを何もわかっていない。 「ま、ソレはソレ、コレはコレや」 「……」 開き直った笑顔に、思いきり呆れたような目を向けられる。 けれどそれは気にするようなものではなく、むしろ心地良いと感じられるもので。 「また今度口説きに行くわ」 それじゃ、と背を向ける。 颯爽と去っていく後姿をぼんやりと眺めながら、手塚はぽつりと呟いた。 ――何だったんだ、一体。 そして彼は、本当にまた手塚の前に現れるのだろうか。 青学に? そんなまさか。 考えて、ありえないと思いながらも嫌な予感を否定することができなかった。 青学を嵐が襲うのは、それから数週間後の話。 |