爽やかな白
君を包む清らな布
青い空を背景に広がる白は雲のそれではなく、
日の光を受けてさらなる白さをみせていた。
――ああ、今日もいい天気だ。
リビングにある大きな窓を開け放ち、ラウはそこに腰かけていた。庭に面したそれを開くことによって、部屋の中には新たな風が満ちる。
草の臭いのする風に全身をさらして目を閉じた。
木々の枝が揺れ、葉の擦れ合う音がする。水の流れにも似た音に、庭に干したシーツのはためく音が重なっていた。
目を閉じていても感じることのできるその様子は、いつでも穏やかにそこにあるもので。
いつから、いつまでそうあるのかはわからない。
ただ、今はその様にわずかな心地良さを感じていて。
ふいに現われた気配に、ラウが何気なく目を開くと、そこには見覚えのある顔がごく至近距離にあり、ラウは軽く目を見開いた。
「お前一人で楽してるよな」
「……何がだ」
「こ、れ」
突然柔らかなものをどさっと渡され、ラウはわずかに眉をひそめる。腕の中に放られたものは、乾いたタオルやシャツ――つまり、先刻まで庭先に干されていた洗濯物だった。
「……何だこれは」
「見りゃわかるだろー。それ置いたらこっち出てシーツ取り込むの手伝ってくれよな」
軽い口調で云い捨て、ムウはあっさりと背を向けた。
ラウは腕の中のそれをしばし見つめ、小さく溜息をつくと立ち上がった。
晴れた日は洗濯をしたくなる。
これは家事を任された者にとっては当然の心理ではないだろうかとムウは思う。
もちろん、こんな日だからこそ何もせずのんびりとしたいと思わないでもないが、それでも溜まった洗濯物を一気に洗って干した様を見るのが好きだったりするので、ムウはあえていつものように働いていた。
まっさらなシーツが庭先で揺れているのは見ていてとても気持ちが良い。
やっぱり好きだ、とムウは思う。
ラウが洗濯物を抱えて部屋の中に消えたとき、ムウは2枚並べて干していたシーツの片方の、留め具のひとつを外したところだった。
ぱちん、と乾いた音が響く。
風に飛ばされないようにと4つほどつけた留め具を次々に外していくと、全面で風を受けたシーツはますます広がっていく。
飛んでいってしまいそうなシーツの一端を掴み、引き寄せた。
風で浮いた力を利用し、広げてバランスを整えると端と端をつまみ、合わせて二つ三つと折りたたんでいく。
こんな作業も手馴れたもので、最初の頃は地面に落してしまって洗いなおしたり突風にあおられシーツを飛ばしてしまったりと散々だったのが、今では鼻歌まじりで空を眺めながらできるようになった。
さて、ラウはどうしたろう、と玄関に目を向ける。
こちらに来る気があるのなら、そろそろ出てくる頃だろう。
こういうとき、ラウが出てくる可能性というのは低いようで高い。
ムウの云い方ひとつで気分が変わるから、一応何かを頼むときの言葉には気を使っているのだけれど。
今日の反応はそれほど悪くなかったのではと、ムウは思っている。
だからこそ、出てきてほしいと思う。
この自然の風景を、見せたいと思うのだ。
外へ出て空を見上げよう。
光を影を風を全身で感じよう。
気持ちの沈んだときはもちろんだけれど、良い気持ちのまま自然に身をさらすことはさらに心もすっきりさせるような。
そんな気が、するから。
「……やっと来たな」
ゆっくりと開け放たれる玄関に、ムウは満面の笑みを浮かべた。
それを見とめたラウは一瞬嫌そうな顔をして玄関を閉じようかとも思ったようだったが、そこで閉めるのも逃げるようで癪だったのだろう、しぶしぶと歩を進め、洗濯物越しにムウの前に立った。
「じゃあこれ」
手元が狂わぬよう、気をつけて手にしたシーツを放り投げる。
突然のことにラウはほんの少し慌てたようだが、伸ばした手の中にシーツは見事に収まって。
「――ムウっ」
どうしろというのだ、と目で訴えかけられ、ムウは内心苦笑する。
「ちょっと待ってな」
ムウがもう1枚のシーツの留め具を外していく様子を見つめながら、ラウはじっと待っていた。
そんな風にラウがそこにいることは、この上なく特別なことに思えるのにけれどこれが今の彼らにとっては当然のことで。
何気ない日常のワンシーンがなぜか無性に嬉しくて、ムウはシーツの陰でくすりと笑った。
留めるもののなくなったシーツが、風を受けて空に広がる。
ムウはふと、これをこのままラウに渡したら、と意地悪なことを考えてた。
先刻のようにある程度形の整ったものでなく、広がりを許したそのままの形で渡したとしたら。
――それは、ラウの困った顔が見たいという、わずかな悪戯心から。
「ラウ」
「ん?」
「ほら」
手にしたシーツを、風にまかせて空に放る。
落下地点はラウのいる場所。
空を覆うように腕を伸ばした白は、柔らかにラウを包みこんでいった。
「ラウ、下につけるなよ」
「――っ、無茶を云うなっ」
突然視界を襲った白にラウは先刻以上に慌てたようだったが、ムウの云うとおりにシーツを地面に落すことを危惧したのだろうか、身体にまとわりついたシーツを取ろうとはせずに広がる両端をかき集めるように手にしていった。
しばらくして、やっと落ち着いたのかシーツを被ったままのラウがシーツの隙間から顔を出す。
それまでラウの様子を笑いながら眺めていたムウは、怒りを含んだラウの瞳を見てどきりとした。
光るような白の中にありながらも、決して埋もれることのない蒼。
先刻までの、彼に不似合いな慌てた様子と、今のこの瞬間的な静寂。
そこにどんな関係性があるかなんて、そんなことは知らないけれど。
今は、ただ。
「……ムウ?」
ラウがわずかに眉をひそめた。
黙ったまま、ムウはラウの隣に立つと、横から引き寄せ背中からシーツごと抱きしめる。
もう放さないとでもいうように、しっかりと。
そして、ラウの首筋であろうあたりのシーツに顔をうずめて、深く息を吸いこんだ。
「お日様の匂いがする」
「――……人工の太陽に匂いなどあるものか」
そもそも太陽の匂いなど誰も知るはずがなかろう、と情緒も何もない返事をしてくれるラウがあまりにもらしくて、ムウは音にならぬよう静かに笑った。
「じゃあ、これはラウの匂いだな。あったかくて、抱きしめたくなる」
「台詞と行動が逆だぞ」
「ま、いいって気にするな」
「この状態で気にするなと云われてもな……」
そう云いながらも、腕を振り解こうとする素振りを見せないことが嬉しい。
ラウに聞かれようものなら間違いなく冷たい目で見下ろされそうなことを考えながら、ムウは眼前の白に目を凝らした。
一点の汚れもない白は、まるで――。
「花嫁みたいだな」
「……は?」
しばしの時間を置き、ラウはムウの示すものの理由が、自らの被っているシーツにあるのだということに気づいた。
白いシーツを被った様を、花嫁の純白のウェディングドレスに例えるなどというオメデタイ連想ゲームも、ムウの頭であれば即座に可能だという結論にも行き着いて。
心外なことこの上ない発言を受けたラウは、迷うことなくそれ相応の態度に出た。
「――っぐぁ」
あまり美しくない声が耳元で響いて、ラウはすっと気が晴れたような気がした。
身体の拘束が解け、わずかな重みが背中を通して下に落ちていく。
腹を抱えてしゃがみこんだムウを一瞥して、ラウは身体を反転させると玄関へと向かう。
身に纏った白き布を翻し、颯爽と歩くその後姿にムウは思わず目を瞠るが、ラウと白とが家の中に隠れてしまうと、どっと力が抜けたように地面に寝転がった。
無性に笑いたくなって、けれど深呼吸を繰り返しどうにかその衝動を抑えてみた。
草の匂いと土の匂いに囲まれて、心地の良い風が吹いて。
青い空が、白い雲が、眩い太陽が見える。
――ああ、本当に。
今日はいい天気だ。
いつも通りに見えるけど、
だけどそれこそが幸せなんだよね。
……ごめん、ムウ(苦笑)
2004/05/20