高く高く舞い上がれ。
遥か遠く、まだ誰も知らない空の彼方へ。




ぼとん、とこの場に不似合いな音がした気がした。
それは庭先の木の下に置かれた長椅子でラウがいつものように読書をしていたとき。
風が強くなり、そろそろ部屋に戻るかと立ち上がりかけた矢先のことだった。
その『何か』が落ちてきた先を見定めようと何気なく木を見上げてみるが、それは実のつく木ではなかったし何か引っかかっていたものが落ちたようでもない。
上の方に鳥の巣でもあるのか、がさりと何かが飛び出す音がした程度で、他に不自然なものはなかった。
わずかに首を傾げ視線本に戻すと、閉じたばかりの本の上に正体不明の物体があった。
濡れたように汚れた茶色いもの。
不可思議な形で妙な音を出すそれが、もぞもぞと動く。
反射的に手で払いのけかけて、ラウは止まる。
――目が合った、と思った。
思わなければよかった、とも思った。
落ちてきたそれは、頭のような部分だけを力なく持ち上げ、ラウを見上げていたようだった。
そうしてどれほどの間見つめあっていたのだろう。
ぴーぴーとか細くやかましく鳴きだしたそれを前に、ラウは深くため息をついた。


「ラウ、何それ」
「知らん。落ちてきた」
部屋に戻るなり出迎えてくるムウにラウは真っ先に『それ』を手渡した。
うわっべたべたする、と騒ぎ出すムウを横目に、ラウは洗面所へ向かう。手を洗いリビングへ戻ると、ムウが柔らかなタオルで『それ』をあたためているところだった。
テーブルについているムウの背後から手元を覗くと、最初見たときより幾分か綺麗になった『それ』がまたぴーぴー騒ぎだす。
「雛はまずあっためろってどっかで読んだんだよな」
「……雛、か」
「どう見ても鳥の雛だろこれ。俺も間近で見たのは初めてだけどさ。もしかして生まれたばっかじゃないか?」
そーいや落ちてた雛はすぐ巣に戻すんだったよな、と思い出したように呟き、ラウを振り返る。
「こいつどこから落ちてきたって?」
「庭の木だ。長椅子で本を読んでいたら落ちてきた」
「あー、あそこか」
ここは林の中にある。
森とはいえない規模の林の中、広間のようにぽっかりと開いた草だけの空間にこの家は建っていた。
一応は林と同様に国有地であろうその空間は、今は彼らの家の庭としてほぼ私有地化されていたりもして。
庭の隅、林の手前の木陰にムウの手によって置かれた長椅子はラウの特等席だった。
都会に比べ、このあたりは野生の動物が多く生息しているから、家にほど近い木に鳥の巣があったとしてもなんら不思議はない。
やはり木から落ちた野生の鳥なのだろうと考え、ムウはタオルにくるんだ雛を抱えた手をラウの方に伸ばし、ラウが雛を受け取ったのを見届けると、
「わかった、俺ちょっとそっち見てくるわ。こいつ頼むな」
「ムウっ」
「すぐ戻るから。その間……そうだな、ミルクでも温めといてくれよ」
云うが早いが部屋を飛びでるムウの後姿を半ば呆然と見送り、ラウは手の中にいる鳥の雛に視線を移す。
ラウの方を向いてやはりぴーぴーと鳴き続ける様子に、ラウは小さく溜息をついてキッチンへと向かい、雛を左手に抱えたま右手だけで鍋にミルクを注ぎコンロにかけた。
しばらくすると、ばたばたと騒がしい足音が戻ってくる。
「ただいまっ」
真っ直ぐにキッチンに飛び込んでくる足音を、ラウは無言のまま背中で迎えた。
ゆっくりと鍋のミルクをかき混ぜているラウの手元を覗きこみ、ムウは満足げに頷くとラウの手から雛を受け取る。
「巣、確認してきたけどな。あれは下からじゃ何使っても届かないわ。登るのも無理っぽい」
「……」
「お前が飛び立つ頃ならまだよかったんだけどなー」
困ったように笑い、指先で雛の頭を撫でる。雛はムウの指をつつくようにせわしなく鳴いていた。
まだ、この雛が生まれたばかりでなくある程度自身で行動できるようになっていれば。
そうすれば、巣の近くに置いていくこともできただろうに。
けれどこんなに小さな、自力でエサも食べられないよう状態でそこらに放っておいたら、間違いなく他の動物に襲われてしまう。
だからこそ。
「つーわけで、こいつここで育てるから」
口調は軽いが、言葉に込められた力は強い。
こうなったムウを止めることなどできないと経験上知らされているラウは、小さく溜息をついてコンロの火を止めた。
彼らの奇妙な生活は、こうして始まることになる――。





まだ続きます。半端でごめん。

どこにでもありそうな風景。
でも、ここにしかない時間。


(04.01.31)

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