カーテンの隙間から差し込む日の光と、鳥たちのさえずり。
それまででは決してありえなかった、きわめて穏やかに目覚める朝。


ムウの朝は、ラウを起こすことから始まる。
ラウは決して寝起きが悪い方ではない。
しかし、ここに来てそれまでの生活が一変したためか、単に面倒なだけか、それとも日々余計な体力を使っているためか、ここのところは放っておくと昼過ぎまで寝ていることがある。
なので、基本的に規則正しい生活を好むムウが、朝真っ先にラウ起こすのは既に日課のようなものになっていて。
「ラウ。朝だぞ」
声をかけ、ついでに肩を軽く揺らしてやると、やがてはっきりとした反応が返ってくる。
ラウの意識が覚醒したのを見届けると、ムウは適当に着替えてさっさと部屋を出る。
朝だからといって、のんびりしていられない。やるべきことはたくさんあるのだ。
それまでとは異なり、ここでは炊事洗濯掃除と、家に関する全ての仕事を自分たちでこなさなければならない。
二人の間に決めごとめいたものは最初からなく、各自が臨機応変に対応することとなっているのだが、気づけば仕事のほとんどを請け負っているのはムウの方だった。
――ま、別にそう大変でもないし。
そうひとりごちてムウはキッチンに立つ。
かつて軍の寄宿舎で半ば一人暮らしをしていたムウにとっては、どの仕事も大して苦ではなかった。
元々綺麗好きではあったし、下手にラウにやらせるよりは自分でやった方が早いらしいことはここに来てしばらくしてから確信したことでもある。
それらの仕事がラウのためでもあるという事実も加われば、やる気が起きないわけがない。
一軒家は二人で住むには少しばかり広いため掃除には多少の時間がかかるが、物が少ないことと自由な時間がたっぷりあることからその心配もあっさりと解消される。
結局のところ、嫌なことはやらない質のムウが進んでやっているのだから結果は自ずと見えてくるのだけれど。

ラウがざっとシャワーを浴びて出てくる頃、テーブルには彼らの朝食が並べられる。
軍内での規律に満ちた生活のお陰か、二人に好き嫌いはほとんどない。
ラウもある程度の料理は作ることができるが、彼が起こされてからシャワーを浴び終える頃には大抵ムウが朝食を作り終えてしまっているため、ラウが朝作ることは滅多にない。
食事はその日の冷蔵庫の中身によって決めることが多かった。
この日は、トーストしたパンにサラダ、温めたスープ。
並べてみてから少ないな、とムウは呟いた。
――まぁ、ラウはこのくらいでも平気か。
ラウが大丈夫ならあとは自分が少し我慢すればいいだけだと思い直す。
元々大食いでもないし、多少の空腹にも耐えられない身体じゃない。
しかしあとで買い物には行かなければならないだろう。
――どうせ時間はたっぷりあるし。
ゆっくり進めていけばいいのだ、今は。

食事は大抵、ニュース番組を見ながらとる。
真剣に見入ることはないが、やはり今日の天気や世界の情勢は気になるもので。
時折入る小コーナーで何かしらの特集が組まれるたび、やれあそこに行きたいだのあれが欲しいだのと騒ぎ出すのはムウの方で、ラウは適当に流しながらもそこそこ反応はしてくれる。
彼らの食卓に、会話はそれほど多くない。
話が盛り上がって食事中話し続けることもないこともないが、やはり半分ほどは沈黙が支配する。
それでも、どちらも沈黙に耐えられない人間ではないために弊害はないのだけれど。
最初から多くを語らないラウとは反対に、ムウはどちらかといえば賑やかなのを好む質であったが、ラウとの間の沈黙は決して嫌いではなかった。
見ず知らずの人間やそれなりの知人程度では気まずい間になるだろうが、相手がラウであればふと落ちた静けさもごく穏やかなそれでしかない。
淡々と食事をとるラウの仕草をこっそりと眺め見るのも好きだ。
――いちいち綺麗なんだよな、動きが。
ふ、と視線を上げたラウと目が合う。
やましい心がないわけではないが、見惚れていたと感づかれるのが何となく癪で、思わず窓の外に顔を向けた。
青く高い空に、雲は少ない。風もそれなり。
今日は天気がいいので洗濯日和だと先刻キャスターが云っていた気がする。
どうせだから布団も干してしまおうか。
寝るならばやはりふかふかの布団がいい。お日様の匂いがする布団の中で見る夢は格別だ。腕の中にラウがいればなおさら。
よし、と勝手に頷いてムウが立ち上がると、突然の行動にラウは怪訝な目を向ける。
「俺洗濯するから、食器の片づけ頼むな」
あっさりと告げ、でもとりあえず空になった自分の食器だけは流しへ持って行き、ムウはリビングを出た。
さあやるか、と、意味もなく気合を入れながら。

衣類などを洗濯機に放り込んで、洗濯物を干す準備をしている間何気なくリビングを覗き見ると、云われたとおりラウがキッチンで食器を片している最中だった。
とはいっても、洗うのは全自動の食器洗い器であるので、こちらがすることといえば食器をセットしスイッチを入れて、洗い終えた食器を棚に戻すくらいしかないのだが。
キッチンに立つラウの後姿になんとなく幸せを感じながら、ムウは適当な歌を口ずさんで庭先へと出た。

雲ひとつない空。
手を伸ばせば届きそうなほどなのに、けれど差し出した腕は空を掴みながらも宙を切り。
さわさわと流れる風に、木々が静かに揺れざわめきとも何かの音楽ともとれる音を奏でる。
よし、と頷いてムウは伸びをした。
干したばかりのシーツはまだ水分を多く含んでいているものの、その表面はまっさらで、しばらくすれば気持ち良くはためき始めるだろうことは容易に想像できる。
庭先に広げられたいくらかの洗濯物を満足気に眺め、ムウは空を見上げた。
いい天気だ。
どうせだからドライブがてら町へ買い物へ出ようか。
もちろん、ラウを連れて。

さてそのラウはどこにいるだろうかと見回すと、庭先で眠っているラウを発見した。
庭の隅、小さな林と庭の境に置かれた長椅子で、うたた寝をしている愛しい人。
広げられたままの本の上に無造作に乗せられた手。
ラウは読書中は寝食をも忘れることがあるが、今日の心地良い風とあたたかな日の光には流石の彼も勝てなかったらしい。
この天気だ、彼がつい睡魔の誘いの手を取ってしまっても仕方のないことだろう。
人が働いているのにこいつは、と思わないでもなかったが、子供のようなその表情に思わず笑みが零れる。
広がるやわらかな髪に触れ、眠っているのをいいことに彼の頬に唇を寄せた。
彼の穏やかな眠りを邪魔しないように、けれどちゃんと彼に届くように、耳元で優しく囁きかける。
「ラウ、こんなところで寝てるなよ。風邪ひくぞ?」
「……ん」
声にわずかに反応したラウが、覚醒の兆しをみせる。
あのラウが無防備な表情を惜しげもなく晒すようになるまでどれほどの時間を経たことだろう。
ここに辿りつくまで、彼のために自分のためにとどれほどのことをしてきたことだろう。
こちらがどう思い何をしてきたか、彼は知る由もないだろうしわざわざ教えようとも思わないけれど。
――ま、いっか。
――こんな役得、他じゃありえないし。
それに、何より。

――幸せだし。

「な?」
完全に目を覚ましたラウが、嬉しそうに覆い被さるムウに怪訝な目を向ける。
「……何を云っているんだ」
「いーや、別に?」


君が自然と隣にいる、この夢のような現実が今はただ嬉しい。
だから、この幸せが続くよう、今を精一杯生きて未来へとつなげよう。




新婚夫婦?(笑)
何でもない日。
でも、それが一番の幸せ。

(03.11.30)

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