空を知っている。 この海を知っている。 大いなる大地を知っている。 ふわ、と流れた風が、緩やかに風景を変える。 目先で揺れる髪をかき上げ、クルーゼはゆっくりと顔を上げた。 ――どうやら、居眠りをしていたらしい。 小さく溜息をつくが、それを見咎める者は今ここにはいない。 例えその場に誰かがいようが、彼がその瞳を閉じていたのはほんの数瞬であったし、彼の顔を覆う白い仮面のせいでそう容易に気付けるものではなかったが。 気が抜けたか、と独りごち、その言葉の滑稽さを笑う。 この場で――戦場で気を抜くことは、すなわち死を意味するというのに。 いつでも死と隣り合わせであり、常に緊張に身を浸している自分にそんな事態が起こりうるはずがない。 ならばなぜあんな夢を見たというのか。 「……夢?」 自分の言葉に、思わず苦笑する。 呑気なことだ。中立国のナチュラルでもあるまいし。 「隊長……?」 ゆっくりと声の方に顔を向けると、そこには戸惑いを浮かべた少年が一人。 そういえば、先刻艦長のアデスに彼をこちらへ呼ぶよう伝えていたか。 普段沈着冷静でときに冷酷とも思える性質のクルーゼの、ほんの些細な違和感を感じ取ったのだろう、アスランは心配そうな顔でクルーゼを見つめていた。 「わざわざ足を運ばせて、すまなかったな」 「いえ……」 いつもと変わらぬ様子のクルーゼに、アスランはかすかに目を見開くと、しかしすぐに姿勢を正した。 二・三の連絡事項を終え、アスランは敬礼をして一歩足を引いた。 「アスラン」 「……はい?」 「お前は、地球に降りたことがあるか?」 「いえ、幼い頃月には住んでいましたが、地球には――」 首を横に振った。 今、あちらのMSに乗っている幼少期の友人とやらを思い出しているのだろう、その瞳には悲しげな色が映る。 「そうか」 簡潔なクルーゼの返答に、「それが何か?」と目で問い掛けるが、クルーゼの意識からアスランは既に離れているらしい。 まともな返事は期待できそうにないのを感じ取り、アスランは再び敬礼をした。 「失礼します」 軽い音を立てて、扉が閉じられる。 流れ込む冷たい風。 先ほど自分を引き戻したのはこれか、と今更ながらに気付く。 ――風。 果てなき大地を吹き抜ける風を思い出す。 地球に、降りたことがないわけではない。 けれど、クルーゼが知っている地球の風景は、プラント内のそれと何ら変わることのないものばかりで。 海の蒼さや、広い大地は、分厚いガラス越しにしか知らない。 それをなぜ今、感じるというのか。 夢の中で。 それらは自らの想像か? それとも――。 「……戯言だな」 わずかな苦笑をもらし、クルーゼは立ち上がった。 広がるのは、砂の大地でなく真空の闇。 この場こそが、自分のいるべき場所。 それは疑いようのない真実だと、彼は知っている。 全ての生命の生まれし母なる地へ。 クルーゼは降り立つ。 遥かなる高みより吹き抜ける風を求め。 ――そうして、彼は笑うのだ。 |