まだ昼前だが、立地条件の良いカフェテリアの席は半分ほどがうまっていた。 その中で、2人はタイミングよく日当たりの良い窓際の席に案内された。 何でも好きなものを頼んでいいとは云われたものの、そう云われてすぐに選べたら苦労はしない。 本当に奢ってもらってよいのだろうか、という気持ちもやはり消えていなくて。 散々悩んだけれど、あまり悩みすぎてはかえって迷惑だと思い直し、キラは軽食のサンドイッチを注文した。 キラのオーダーに満足したらしい青年は、自分の分の紅茶を頼んで。 とりとめのない話をしていた。 カレッジのこと、授業のこと、友達のこと。 青年はどうやら話題を引き出すのが得意らしく、自身のことはほとんど語らないというのに彼らの会話は不思議と弾んでいた。 キラが何気なく洩らした言葉に青年は自然な反応を示し、キラが返答をすれば青年は楽しげに笑う。 テンポの良い会話が、心地良いと思った。 「ああ、あのカトウ教授か」 「教授をご存知なんですか?」 「まあ、このカレッジの教授方はみなその方面では有名だからな」 「そうなんですか……」 なぜかカレッジやヘリオポリスの内情に詳しい青年に、キラは思う。 彼はもしかしたら、ここの卒業生なのかもしれない。 副学長の研究室がある建物は最近できたばかりで、だからさっきは迷っていたのかも。 そう考えれば辻褄が合うなぁ、とのんきなことを考えていた。 彼のことを、詳しく知ろうという気はキラにはなかった。 何となく、ここにいる彼だけで充分だと思っていたのかもしれない。 ふと青年はキラの横に視線を向けた。 何気なく置かれたコンピュータ。 キラが常に携帯しているもので、この中には授業の内容やレポート、教授から解析を頼まれているプログラムなど全てが 入っている。 尤も、キラにとってはそれだけで済むわけではないのだが。 キラは主にプログラミングを得意としていた。 コーディネイターであるためか、それとも彼自身の努力によるものなのか、おそらくその技術は学内でも及ぶものがいない だろうほどで。 そんなキラが自分の能力をひけらかすことはなかったのだが、彼は自分のコンピュータに対してのみ、通常考えれば無駄 とも思えるような様々なプログラムを組み込んでいた。 例えば、レポートの内容や教授から依頼されたプログラムがキラ以外の人間に見られないような操作をしていたり。 他人が勝手にいじると全く関係のないページに飛ぶようにトラップを仕掛けていたり。 そういう作業は存外面白く、時間があればキラはプログラムをいじくりまわしていた。 まさか青年がそんなキラの事情を知るはずがないが、彼はなぜか一瞬だけ真剣な目でそれを見つめていた。 今どき学生が個人用のコンピュータを持ち歩くなど珍しいことでもないだろうに、とキラはちらりと青年を見る。 「……今はどんなことを勉強しているのかな?」 青年は相変わらず、正体の掴めない笑みを浮かべていた。 相手によっては胡散臭いことこの上なさそうだが、なぜか彼にはそんな様子が似合うと思った。 白い指先がティーカップに触れる。 流れるような動きで持ち上げ、ストレートの紅茶を口に含む。 ――彼は今、目を伏せているだのろうか。 そんなことを思った。 彼のしているサングラスは、目だけでなくこめかみのあたりまでしっかりと覆い隠せる形であるため、横からでも彼の瞳を 見ることは叶わない。 すらりとした鼻筋とか、形の良い唇とか、頬から顎にかけての滑らかなラインとか。 ひとつひとつのパーツだけじゃなくて、そのバランスも絶妙なもので。 作り物みたいに綺麗だ、と思う。 モデルにだってそうそういないだろう、こんな人。 「……何か?」 「え、……あ」 不思議そうな顔で首を傾げられ、キラは自分が彼を凝視していたことに気付く。 凝視というより、見蕩れていたというほうが正しいかもしれないが。 「えっと、今は特に……まだ今期の授業は始まったばかりなので」 慌てて話を戻す。 問いと答えが合っていないのだが、あえて気にしないことにした。 「でも、教授には色々頼まれることが多くて」 「頼まれる?」 「はい。授業とは別に、プログラムの解析とか、そういうものを」 ――まったく嫌になっちゃうよ。自分の仕事、僕に押し付けるんだもんなぁ。 ――まあまあ。仕方ないだろ、お前が一番早いんだから。 ――そうかもしれないけどさぁ。けどこれどう見ても極秘なものっぽいよ? 普通学生にやらせないでしょ? ――あー、なんかまぁ……教授らしいよな。 キラのかいつまんだ話に、青年は驚いたように肩を竦めてみせた。 「君はよほど優秀なんだな」 「そんなことは……」 「あるさ。教授格の人間が私用を学生に任せることなど滅多にない。それだけ君に実力があるということだ」 よく聞く同じような言葉でも、青年が口にすると全く別のもののように感じる。 それも手放しの褒め言葉でなく、淡々と何でもないことのように語られたものでしかないのに。 なんだかくすぐったくて、キラは自然と頬が緩むのを感じていた。 「そのプログラム、見せてもらっても構わないかな?」 「……え?」 まさか彼に他意があるとは思わないけれど。 けどこれは、教授に『自分が』頼まれたものであって、決して誰かに見せていいものではない。 今まで、サイたちにだって中身を見せたことはなかったし、これからも誰かに見せる気はない。 「あ……すいません、これは頼まれたものなので、ちょっと……」 「それは残念だな」 恐縮するキラに、ただの好奇心だから気にしないでくれ、と彼は笑った。 思わず肩の力を抜いたキラは、また盗み見るように青年の顔を見た。 ――今、断ったとき。 もしかしたら、彼がこのまま消えてしまうんじゃないのかと思った。 どうしてかはわからないけれど。 「あ、でも、授業の内容くらいなら――」 呟いて、コンピュータに授業時開いている画面を呼び出す。 彼がこれを望んでいるかは定かではないが、通常授業にも興味を持っていたようだから嫌な顔をされることはないだろう。 「いいのか?」 コンピュータを青年の方に向けると、彼は驚いたようにキラを見つめた。 その様子が不似合いのようで可笑しくて、キラは笑みを浮かべて頷いた。 「ええ、構いませんよ」 「……次の画面に行くにはここを押せばいいのかな?」 ざっと中身を流して見ながら、彼はキラに尋ねる。 どこのキーでページが変わるとか画面が動くとかいった簡単な説明をすると、彼は困ったように苦笑した。 あまりこういったものは得意じゃないんだ、と云いながらも、目は画面に向かっているようだ。 少しの空白に、カタンという音。 それを何度か繰り返す。 ふいに、キラは思う。 彼がここにいることは、何とも不自然のような気がする。 平和なコロニー、平和なカレッジ、日当たりの良いカフェテリアで、お茶をする。 彼は生身の人間だ、どこにいたっておかしくはない。 けれど、とも思う。 平和な場所に身を置く自分たちと、この美しい青年の間には何か大きな違いがあるように感じる。 なぜ、なんてわからないけれど。 「……?」 耳に入る音に違和感を感じて、キラは意識を引き戻した。 青年は熱心にコンピュータを見ている。その姿勢は変わらない。 しかし。 リズミカルにキーを叩く音。 それはどうも、先刻とは違いスムーズで――。 「ち、ちょっと待ってください!」 とっさにキラは、青年の手元からコンピュータを奪い取った。 画面を覗くと、そこにはキラが教授から頼まれた解析ディスクの内容の一部が表示されていて。 授業用画面からここまでは、いくつものトラップが仕掛けてあったはずだ。 しかも、キラがコンピュータを引き寄せる瞬間、青年はまた別のプログラムを入力していたようで。 キラの予想が正しければ、あれはページをいくらか戻らせるためのキー。 もしかしたら彼は、依頼されたプログラムの断片ではなくかなり深いところまで見たのかもしれない。 「……こういうのはあまり得意じゃないんじゃなかったんですか?」 怪訝な顔に青年はしれっと云い放つ。 「得意ではないが、できないとも云っていないだろう?」 確かに、とキラは思う。 この場合、青年の様子から勝手にレベルを決め付けたキラが悪い。 初対面の相手の程度なんてわからないのだから、見せたくないものがあるのなら最初からキーに触れさせなければ良かっ たのだ。 まぁ、見せないというのはあくまでキラの自発的な意志であって誰に強制されたわけでもないし、この内容だって大して 重要なわけでもないので、烈火のごとく怒る必要もない。 仕方ないか、と小さく溜息をつき。 けれど、面白そうにキラを眺める青年を見て、キラはふいに思いつく。 それは悪戯心と云っていいものかも知れない。 「見た、んですよね?」 「まぁ、多少はな」 「なら僕は、あなたに多少の情報を提供したことになりますね」 「そういうことになるな」 青年の口調は、心なしか明るい。 キラの様子を楽しんでいるのだろう。 「なら――見返りをいただけますよね?」 くっ、と青年は笑う。そうきたか、と苦笑する。 そうしてしばし悩むようなそぶりを見せ。 じっと見つめているキラに挑戦的に微笑みかける。 「それでは、これでどうかな?」 ゆっくりと手を上げる。 わずかに顎を引き――。 その瞳を覆っていたサングラスをずらした。 隠されていた瞳が、上目遣いに真っ直ぐキラを射る。 蒼い、蒼い瞳。 引き込まれるような。 「――っ」 何だ。 何だ今のは。 動揺を抑えきれず、キラは思わず青年から目を逸らした。 本当はもっと見ていたかった。 願ってもみない彼の素顔、その瞳。 あんな綺麗なもの、今まで見たことがない。 あれが、本当に人間か? 作り物めいた、まるで神の手によって造られたような――。 混乱の中、キラの脳裏にふいにある言葉が浮かぶ。 まさか。 「あなたは――」 「もう時間だな。出るか」 キラの言葉を遮ったとき、もう彼はそれまでと同じ正体不明の人物へと戻っていた。 気付けば授業の終わりのチャイムが鳴っていた。 それほどの時間まで彼と何を話していたか、覚えているはずなのに今のキラには思い出せない。 青年はそんなキラを一瞥すると伝票を手に席を立った。 我に返ったキラは慌てて彼を追う。 カフェテラスを出たところで、キラは数歩前を歩く青年を呼び止めた。 「あなたは、もしかして」 青年はゆっくりと振り返る。 それはまるで映画のワンシーンのように。 嫣然と微笑み。 「――人は見かけによらないものだな」 それが誰を指して云った言葉なのかはわからない。 『君』なのか『私』なのか。 それとも『君も私も』、なのか。 謎かけのような答えのような言葉を残し、青年はキラに背を向けた。 「あのっ!」 再びの呼びかけに、立ち止まりほんの少し首をこちらに向ける青年。 半ば必死になりながら、キラは言葉を捜す。 「僕はキラ……キラ・ヤマトと云います」 ほんのわずかな空白。 それがなぜか、何分にも何時間にも感じた。 青年は驚いたような顔をし、そうして変わらぬ笑みを浮かべ、 「――ラウ、だ」 「……しかも相手はクルーゼ隊か。面倒だねぇ」 それはフラガの、ほんの独り言だったのかもしれない。 けれどキラは、隣でなにやら考え込んでいるフラガを振り返った。 「フラガ大尉、クルーゼ隊ってどんな隊なんですか?」 それは、計らずとも口をついた問い。 今このアークエンジェルを追っている、ザフト軍の。――アスランがいる、クルーゼ隊。 今まで気にならなかったわけではない。 ただ、訊くタイミングがつかめなかっただけだ。 「あー……そうだなぁ」 キラの意図を知ってか知らずか、フラガは困ったように首に手をやる。 「ともかく、ザフトの中でも特に優秀なのを集めた部隊らしいぜ? 隊員たちはもちろんのこと、隊長のクルーゼ自身、 名パイロットとして名を馳せているうえに、常に奇妙な仮面を身につけてるってのは有名な話だ」 そう云って小さく溜息をつく。 「知る人ぞ知る、ってやつ? ま、知ってる人間からすりゃ、あんなやつに追われちゃたまったもんじゃないが」 「フラガ大尉はご存知なんですね」 「まぁ、な。以前何度かやりあったことはある」 「隊長や……隊員の名前とかって、わかるんですか?」 思わずの問いに、キラは自分で口にしながら動揺した。 一体何を訊こうというのか、自分は。 しかし、そんなキラの様子に気付くこともなくフラガは唸る。 「隊員の名前までは知らないが……隊長の名前はわかるぜ? 有名だしな」 「へぇ。何ていうんですか?」 「ラウだ。ラウ・ル・クルーゼ」 心臓が止まるかと思った。 「坊主? どうかしたか?」 やっと我に返ったとき、思いきり顔をしかめたフラガと目が合った。 しかも眼前で。 その顔、その瞳になぜか既視感を覚え、キラは息を呑んだ。 「い、いえ……何でもないです」 とっさに笑みをつくり、否定する。 それに気付いていないわけでもないだろうに、しかしフラガは「そうかぁ?」と首を傾げるだけで深く追及してこようとは しなかった。 「ま、平気ならいいけどな」 ぽん、と軽く頭を叩き、フラガはキラに背を向けた。 あんまり気負うなよ、と労いの言葉を残して。 違う、と思った。 そんなわけがない、と思った。 だってあの人がこんな戦場にいるなんて思えない。 ラウ、なんて名前、そう珍しいわけじゃない。 あのときの名や、敵将の名が本名だという保証もないし。 それにザフトの軍人が中立のヘリオポリスにそう簡単に入り込めるわけがないのだから。 そうだ、そんなことがあるわけがない。 けれど、とも思う。 彼はなぜヘリオポリスの内情に詳しかった? なぜカトウ教授から渡されたプログラムを見たがった? なぜ、あれだけのことでキラがコーディネイターだと気付いた? ――それは彼もまたコーディネイターだったからだ。 キラをただの優秀な生徒なのではなくコーディネイターだと気付いたのは、彼も同じだったから。 彼も同じように、データを操り、何かを動かしていたから。 そうではないのか? キラの疑問は、後に予想もしない形で明かされることになる。 『ラウ』との再会と共に。 「君まで来てくれるとは嬉しい限りだ、キラ・ヤマト君」 あんな声、聴きたくなんてなかった。 |