迷い子 ふ、と空を見上げて少年は小さく溜息をついた。 紫がかった青い髪が風でざっと揺れる。 周囲の風景は、覚えがあるようでけれど初めて見るようなものばかりで。 「……うーん」 手にした端末と辺りの様子を見比べながら首を傾げた。 さてどうしたものか、と思いながら今日何度目かとなる溜息をつく。 この日少年は、父の遣いとしてこの見知らぬ地へやってきた。 彼の父は地位の高い人間で、その分知り合いも多く交流も広い。 多忙な父の代わりとして、この日は少年がこの地にやってきて、ある著名な人物と少しばかり世間話をしてきたのだが。 行きは先方からの迎えがあったが、そのとき窓の外に見たこの地の風景が気に入り、帰りは一人で帰ると告げてしまったのがまずかったのかもしれない。 方向感覚はある程度あるはずだった。 今まで、どんな地でも難なく目的地に着くことができていた。 なのに。 少年は、なぜかお約束どおり道に迷ってしまったのである。 「どうして、地図通りの道がないんだ……?」 気付けば、ナビのついている通信端末は原因不明の故障でそのページにすら入れない。 どうにか端末に電源は入るからと、現地の地図を呼び出したはいいが、どうも地図の内容とこの場の様子にはかなりの違いがあるようで。 呼び出すページや記入する住所を間違えたか、それともそのページから外れるほど遠くへきてしまったか。 後者であってはほしくないな、と思いながら少年は辺りを見回した。 どこででも見かけるような、閑静な住宅街。 昼時だからか、人の姿はまったくなく。 適当な家に入れば誰かはいるだろうが、流石にそれは最後の手段にしたいなと思う。 元来た道を振り返り、戻ろうかと呟く。 けれどしばし黙り込み、 「もう少し歩いてみるか……」 考え直して、向かっていた道へ視線を戻し、止まる。 その道。 今まで、少年の進行方向であった場所に。 ――そこにいたのは、一人の子供。 ふわふわとした柔らかそうな金色の髪と、深い蒼の瞳の子供は、じっと少年を見つめていたかと思うと、しばらくして何事もなかったかのように少年に背を向けた。 小道に消えていく小さな後姿を、少年は慌てて追いかける。 「君……ちょっと!」 子供はこの地の地理に詳しいのか、迷いのない足取りでいくつかの角を曲がっていく。 素早く軽い動き。 少年にとっては追いつけない速さではなかったが、普通の子供に比べたらかなり足が速い。 もう少しで手が届く距離だというところで、突然曲がり角に入った子供を、少年は一瞬見失った。 「えっ!?」 今の今まで目の前にいたのに。 けれど驚いて立ち止まったとき、視界の隅にわずかに動くものを見、少年は一歩進み出た。 ――先刻の子供が、道の隅で蹲っていた。 いや、それだけではない。 両膝を地面につけたまま、自らの身体を抱くように背を丸めていた。 背中が激しく上下する。 浅く荒い呼吸。 ときおり洩れる呻き声。 「くっ……ぅ……ぁ」 あまりに悲痛な様子に、少年は思わず目を逸らしかけるが、はたと我に返った。 こんな状態の子供をこのままにしておけるわけがない。 助けを呼ばなくては。 そう思い、反射的に振り返ったとき、路地に飛び込んできた小さな影にぎくりと身体が強張った。 けれどその影は、少年に構うことなく真っ直ぐに子供の元へと駆け、 「――ラウ!」 叫び、ラウと呼んだ子供の傍らに、服が汚れるのも構わずしゃがみこむ。 よくよく見れば、その二人は良く似た顔立ちをしていた。 ぱっと見たときの雰囲気は異なるものの、顔の造りは全く一緒のようで――。 「ラウ、大丈夫か!?」 「……ム、ウ……?」 ラウは、自らと同じ顔をした子供をムウと呼んだ。 それでもラウは苦しそうなままで、ムウはラウを引き寄せ背中から包み込むように抱き締めた。 「だいじょうぶだよ、ラウ」 囁きかけるように呟く。 それはまるで歌でも歌うような。 「大丈夫だ、大丈夫……」 とりとめもなく零れる言葉に、どんな意味があるのか少年は知らない。 けれど、彼らにとっては言葉よりももっと大事な何かがあるような気がして、どうしてかこの小さな子供たちから目が離せなかった。 しばらくすると、だんだんとラウの呼吸が落ち着いてきた。 それを認めたムウは、ラウを自分の方に振り返らせ、頭を撫でるように乱れた髪を梳いてやる。すると、わずかにラウの顔も、安堵したように穏やかになっていく。 ふいに、少し離れたところに立つ少年に気付いたラウは、傍らのムウの陰に隠れるようなそぶりをみせる。 その反応から、ムウもやっとというように少年の存在に気付いた。 先刻からそこにいた自分に気付かないほどにムウは懸命だったのだろうかと疑問に思いながらも、自然と子供たちと目が合い、少年は戸惑う。 真っ直ぐな、真っ直ぐすぎる二対の瞳に、何をどう返したらいいのかわからない。 ほんの数瞬見つめ合って、ムウが先に口を開いた。 「おにーさん、誰? 見かけない顔だな」 敵意はないが警戒はされている。 当然だろう、とは思う。 この短い間であっても、彼ら二人を見ていてどれほど互いに大事に想っているかわからないわけがない。 それがしかも、この緊急時に見知らぬ他人に傍にいられれば警戒心を持たぬはずがないだろう。 「いや、実は少し道に迷ってしまって……。悪いけど、ここがどこか教えてもらえないかな?」 少年は慎重に言葉を選んだ。 途中からではあるが、自分がラウを追ってここまで来たということはあえて伏せておいた方が良いだろう。 このラウという子供が何も言わない限りはそのほうが賢明だと判断する。 少年が道に迷った先で偶然この場に遭遇したのだと知り、ムウの警戒がわずかに解ける。 「ふぅん……」 子供特有の、値踏みするような視線に晒され、居心地が悪くて少年はムウから目を逸らしかけた。 けれど、そうする行為こそが疚しさを強調するのだと気付いて、ムウを真っ直ぐに見つめ返した。 子供の瞳は、純粋だからこそ強い。 大人の気付かないものにも、無意識下で気付く。 けれど大人への途上期である少年には、ムウが自分の何を見ているのか見当もつかない。 この審査で不適格とされたら、自分はこれからどうしようかと思わず途方にくれながら、しかしムウから視線を外すことはできなかった。 真っ直ぐに、射る――青い瞳。 空の色に溶け込んでしまいそうな、二対の鮮やかな青。 「……で、おにーさんどこ行きたいの?」 しばしの沈黙ののち、ふいに覗いた笑顔に少年の口元は思わず緩んだ。 NEXT
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