夏祭り



お祭りは好きだ。
だって、わくわくして、どきどきして、走り出したくなる。
どこを見たらいいかわからなくて、どこでも見てしまう。
そうやってじっとお祭りを眺めているのも楽しいけれど。
けどやっぱり、お前といるのが一番いい。





近所でお祭りが開かれる。
ムウがずっとずっと楽しみにしていたものだ。
あまりに待ち遠しそうにしていたから、母さんがお祭り用の浴衣を仕立ててくれると云い。
同じではつまらないからと、そこには赤と青、対照的な色のものが並べられた。
ジャンケンで色を決めたら、青がムウで赤がラウになった。
最初は、どちらも何気なく浴衣に腕を通していた。
ムウも、もちろんラウも。
けれど。

「やっぱり似合う。可愛いわね」
「うん、可愛い可愛い」

何気ない一言だった。
他愛もない日常の中の一コマのはずで。
それなのに。



「うっわ、やっぱすごいなー」
思っていたよりもずっと多い人の量にムウは驚いたように歓声を上げた。
暗い夜空に、星よりも眩しく輝く数え切れないほどの電飾。
あちこちから漂うおいしそうな匂い。
子供だけじゃなくて、大人たちの楽しそうな声も聞こえてきて。
こんなに賑やかなところにはめったに行かないから、とてもどきどきする。
けれど、きらきらと目を輝かせていたムウは、隣にいるラウに目を向けた途端心配そうな顔になった。
なぜかラウは、むすっとした顔で下を向いていた。
「どうした? 気分でも悪いか?」
人の多いところが苦手なラウのことだ、圧倒されるほどの人に酔ってしまったのではと顔を覗きこむ。
しかもこの日は、なぜか人の視線を感じることが多い。
目立つことが嫌いなラウの気に触ったかと思ったのだが、それとは少し違うようで。
ラウの様子は普段と変わることがなく。
少しだけ機嫌が悪そうだけれど、顔色は悪くない。
――機嫌が、悪い?
――なぜ?
ざわざわとせわしなく動く人の波に流されながら、2人は屋台の群れの中を歩く。
はぐれないよう、手を繋いで。
あれがしたいこれが欲しいとはしゃぐムウの横で、しかしラウは堅く口を閉ざしたままだった。
ムウが話しかけ続けたら、やっと一言二言返してくれるようにはなったけれど。
「なーラウ、わたあめ食べようぜ、わたあめ!」
「……嫌だ。べたべたする」
「うっわ、見ろよ金魚すくいだって」
「……そんなもの、どこで飼うんだ」
「いいなあれ。二等のゲーム欲しいなぁ」
「……金の無駄だ」
かろうじて、返事はしてくれる。
けれど、その言葉の端々に棘があるような気がするのはムウの気のせいだろうか?
元々表情の少ないやつではあるけれど。
でも、いつもムウにはちゃんとわかっていたはずだった。
わかっていると。
お互いに。
ずっと、そう思っていたのに。


「なぁ、ラウ」
「……何だ」
「――お前、楽しいか?」
ラウがムウを見る。
そうして、ゆっくりと眉を寄せた。

ムウの中で、何かが切れた。


「そんなにそれ着てオレと祭り来るの嫌だったら、最初から来なきゃいいじゃないか!」
楽しみだったのに。
浴衣を着て、ラウと2人でお祭りに来るのが。
ずっと楽しみで、やっぱり楽しくて、ラウも同じ気持ちだったら嬉しかったのに。
なのにラウは、ずっとむすっとした顔で下を向いていて。
まるで、自分だけが楽しんでてラウは全然楽しくないみたいで。
嫌なら、最初に云ってくれれば良かったのに。
そうしたら、きっと――。
叫ぶみたいに云って、ラウを見て、ムウはびっくりした。
怒っているのかもしれないと思っていたラウは、怖がるみたいな目でムウを見ていた。
そして、怒ったような泣きそうな顔になってぎゅっと口を結んで下を向いた。
ぐっと握り締めてる手が少し震えているように見えた。
「ラ、ウ?」
「……もう、いい」
はっきりと聞こえた声は、けれどいつもより低くて怖い。
もしかしたら本当に怒らせてしまったのかもしれない、と慌ててムウはラウの顔を覗き込もうと一歩前に出る。
けれど、それより早くラウが一歩下がり。
「帰る」

雑踏の中に紛れていくラウ。
呆然と見送ってしまうムウ。
しばらくして、我に返ったムウは慌ててラウを追おうとしたが、ふと思い留まる。
今からこの人ごみの中を走ったとしても追いつけないだろう。
ならば、とムウはずらりと並ぶ屋台の裏にある細い道に飛び込んだ。








別に、お祭りに来たくなかったわけじゃない。
人ごみもうるさいのも嫌いだけど、ムウと一緒なら別にいいと思っていた。
女の子に見られるのは嫌だし、可愛いといわれるのも好きじゃない。
けど、本当に嫌だったのは、見ず知らずの人間が自分を見て洩らす『可愛い』という一言。
そしてムウは、ずっと祭りに夢中で。


『オレと祭り来るの嫌だったら、最初から来なきゃいいじゃないか!』
違う。
違う。
違うのに。


あんな風にムウを怒らせたのは初めてだった。
いつだってムウは、ラウには優しくて。
多少のワガママや横暴な態度は笑って流してくれていて。
怒っても、そう本気は感じ取れなかった。
だから。


「泣いてるのかい、お嬢さん?」
「……」
なんだこの男は、とラウは思った。
ふざけた台詞な上、言うに事欠いて『お嬢さん』ときた。
常ならば、ラウはこの手の言葉に対しては完全に無視を決め込むことができる。
が、このときばかりは、それはラウの神経を逆撫でるものでしかなかった。
自らが出店しているのだろう、お好み焼き屋の屋台の中から妙に楽しげな声でラウに話しかける男の顔を殴りたい衝動をどうにか抑え、ラウは無言で男の前を通り過ぎようとした。
けれど、男の方が一枚上手だったようで。
「ほらそこの、赤い浴衣のお嬢ちゃん」
よく通る声が、雑踏の中に響く。
「ほら、無視しないでよ。そんな顔したら、可愛い顔が台無しだ」
ナンパなら他所でやれ、と思った。
これだけ人がいるんだ、こんなやつにひっかかる女の1人や2人はいるだろうに。
まさかこんな子供に興味があるというわけでもないだろう。
「そこの可愛いお譲ちゃん、今なら笑ってくれたら一つ奢るよー。なんならもう一つつけちゃうぞ」
周囲の人々の好奇の視線が自然と自分に集まるのを感じ、ラウは思わず立ち止まって振り返り、男を睨みつけた。
「……お嬢ちゃん、じゃ、ない」
睨み上げたままきっぱりと云い切ってやるとと、男は驚いたような顔をして。
「んなもん見りゃわかるさ」
さらりとかわされ、ラウは毒気を抜かれたように男を見上げてしまう。
男は派手なアロハシャツを着ていた。
赤い生地に原色の黄色の花。
さらに、平べったい麦わら帽子みたいなものを被っている。
普通そんな格好で街を歩いていたら浮いて仕方ないだろうが、今日ばかりはそんな格好もお祭りの異常なほどに高揚した雰囲気に溶け込んでしまって違和感がない。
男は恰幅がよく、大きなフライ返しがよく似合っていた。
……というか、似合いすぎて逆に違和感を感じるほどに。
やっと足を止めたラウに、男は作りたてのお好み焼きを渡してくれて。(もちろんラウに拒否権はない)
「――何で泣いてたのかは知らないけど」
「泣いてない」
「そう? ま、そういうことにしておこうか」
屋台から身を乗り出して、なるべく目線をラウと合わせようとしながら男は話す。
「お祭りなんだから、もっと笑ったら? ひとりで逆走したってつまらないだろ。こういうときくらい、適当に力を抜いて流されてみなって。同じアホなら踊らにゃ損、てね」
ラウはむくれたような顔で男を見上げた。
「ほらまたそういう顔。君可愛いんだから笑ってなって」
「可愛くなんてない」
「そういうとこが可愛いんだって。なに、そう云われるの嫌?」
「嫌だ」
きっぱりと拒絶し、お好み焼きを一口頬張る。
甘いソースが口の中に広がって、美味しい。
「ふぅん。でもさ、『可愛い』ってのは案外普通に思うもんだよ?」
ラウの様子を見ているのかいないのか、男は勝手に話し出す。
やっぱり変な人だ、と思いながらも、ラウは彼の言葉に耳を傾けた。
何となく、これはとても大事なことだと思ったから。
「男でも女でも大人でも子供でも人でも人じゃなくても、好きだと思ったら可愛く見えることってあるだろ」
「そ……」
「そういうもん」
やけにきっぱりと云い、男は大きな手でラウの頭をがしがしと撫でた。
ラウが嫌がって身を捩ると、男は笑って手を離した。
その目が、ふっと真剣なものになる。
「その他大勢の人間の云うことなんて無視すればいい」
「……え?」
「本当に好きな奴の言葉の意味を読み違えないようにする、それで充分だと思わないか?」
一番伝えたいこと、とか。
たった一つの言葉に込めた気持ち、とか。
きっと多分、無意識の言葉であっても意味はあるのだろう。
辞書的な意味をはるかに超えた、気持ちの欠片。
そういったものを、信じるのだとしたら。
そうしたら――。
「よーし、約束どおりもう一つおごってやろう」
突然やる気を出した男に、ラウは驚いたように目を丸くした。
「そういえばお嬢ちゃん、連れは何人だ?」
片手でフライ返しをくるくると回しながら、男はラウを見下ろした。
彼の目には、楽しげな色が含まれていて。
カカン、と鉄板が小気味良い音を立てる。
「お嬢ちゃんじゃない」
「はは、これは失敬」
それで? と目線で尋ねられる。
ラウは唇の端をわずかに持ち上げて答えた。

「――1人」
誰よりも大切な、たった1人の君。








暗くて狭くて物が多くて通りにくい道をどうにか走り抜け、ムウは屋台の群れの入り口にいた。
祭りに出入りする人間を見渡せる場所でずっとラウを待っていたが、どうしてかなかなかラウはやってこない。
ただでさえラウは目立つのだ、その上赤い浴衣まで着ていればわからないはずがない。
けれど、いつまで待ってもラウは来ない。
先を越されたのだろうか、とも考えたが、それはすぐに否定された。
あの人ごみの中を来るのならば、どれほど急いでも前に進むのはかなりの時間を要する。
それを、多少難があったとはいえ裏道を走ってきたムウの先を越せるわけがない。
ふいにムウは、母さんからの出かけのときの注意を思い出した。
『お祭りは楽しいけど危ないこともいっぱいあるから、絶対に離れちゃダメよ?』
まさか、何かあったんじゃ――。
ラウはどこにいても人目を引く。
ラウ自身がどれくらい周りの人に興味がなくても、周りはラウを見る。
なぜかなんてよくわからないけど、とにかくラウと一緒にいると視線を集めることが多いのを身をもって知っているムウは、その分危ない目に遭うことも知っていて。
いつもは、周りの人が助けてくれたり2人でどうにか切り抜けたりしてきたけれど。
今日、ラウは1人きりだ。
「そんなわけ、ないよな?」
誰かにからまれたりとか、変な人に声をかけられてるとか、そんなことはないはずだ。
きっと。――多分。
「っ、くそ」
吐き捨てるように呟いて、ムウは再び人ごみに飛び込もうとした。
しかし、駆け出そうとしたそのとき、雑踏の中から見知った姿が現れて。

「――ラウっ!」

思わず叫ぶと、周囲の人間は何事かとこちらを見、ラウは顔をしかめた。
駆け寄ったムウは、その身が無事なのを確かめる。
「何ともないな? 大丈夫だな?」
「……何がだ」
「お前、今まで何してたんだよ。オレずっと待ってたのに」
「待っていろと云った覚えはない」
「……お前なぁ」
ある意味いつも通りなラウの反応に、ムウはなぜかほっとした。
いつもならきっと、頭にきて怒るはずなのに。
ほっとして、急に力が抜けて、ムウはがくりと肩を落とした。
すると、ついさっきまで見えなかったものが目についた。
ラウの右手にあるビニール袋。
「なあ、それなんだ?」
ラウは右手を持ち上げ、そのままずいとムウのほうに突き出した。
「え?」
「やる」
反射的に受け取り、ムウは袋を覗き込む。
途端に、中からソースのいい匂いが広がった。
「うわ、お好み焼きだ。つーかお前これどうしたんだよ?」
「もらった」
「もらったってなぁ……」
呆れたようにムウは口を開きかけたが、しかしラウへの言葉はその場に響くお腹の音にかき消された。
そういえば、まだここにきて何も口にしていない。
まぁいいか、と小さく溜息をついて気を取り直す。
「こっちで食おうぜ」
ラウの手を引き、比較的人の少ない道の隅へ移動する。
段差になっているところに腰かけて、袋の中身を取り出した。
「って、これ食いかけじゃん」
「お前のはその下だ」
3分の1ほどなくなっているものの下には、もう一つお好み焼きのパックがあった。
触れてみるとまだ熱い。
できたてなのだろう。
ラウのように適当に切ったりせず、ムウはお好み焼きに直接かぶりつく。
「お前、こんなんどこでもらってきたんだよ?」
ラウは答えず、黙々とお好み焼きを口に運ぶ。
「まさか、変なやつに声かけられたとかそういうんじゃないよな?」
ふ、とラウは顔を上げた。
変なやつ、確かにそうかもしれない。
けれどそれを云うとムウはまた騒ぎ出すから、あえて黙っていることにした。
ラウの沈黙をどう解釈したのか、ムウはいつものように軽く溜息をついた。
未だに人の波が途切れない祭りの風景を眺め見て、そして恐る恐るといった風にラウを見る。
「お前やっぱり、祭り……嫌か?」
きょとん、とラウは首を傾げる。
そうして、ああ、と心の中で頷いた。
「お前がほんとに嫌なら、帰るけど。でもオレ、お前と来るの、すごく楽しみだったから……」
だから、とムウは上目遣いにラウを窺う。
そのときラウの頭に浮かんだのは、あの屋台の男の言葉だった。
ああこういうことか、と思わず苦笑が洩れる。
「――お前は、可愛いな」
「は?」
何の脈絡もない言葉に、ムウは間の抜けた声を上げる。
そうして数秒固まっていたが、我に返るとムキになったように叫ぶ。
「なに云ってんだよ、お前の方が可愛いに決まってんだろ!」
云われ慣れない言葉に混乱しているムウに、ラウは珍しく声を上げて笑った。
ムウは一瞬驚いたような顔をするが、つられて一緒に笑いだす。


お好み焼きを食べ終え、おもむろにラウが立ち上がった。
ムウと自分の分の殻のパックを袋に入れ、近くにあったゴミ箱に放る。
「ラウ?」
「行くか」
「え?」
「食べるんだろう、わたあめ?」
「――っ、ああ」
満面の笑みでムウはラウに駆け寄ると、その手を取って歩き出す。
この手を、今度こそ離すものかと握りしめ。
「あと、金魚すくいもな」
わかってる、とラウは小さく苦笑した。






夏祭りムウラウ。
緋月煌羽さまの残暑見舞いフリーイラを見て
びびっときたので書いてみました。
屋台のにーちゃんで微妙に某虎さまらしき方がご登場。
内容がつながってないとか、むしろこれはラウムウじゃないかとか、
細かいことは気にしない☆(笑)

緋月さんのイラストはこちら



BACK