君のいるとき


部活もない休日の昼間、部屋の掃除や買い物を済ませたランディくんはキッチンに立っていました。
もちろん料理を作るためです。
前までは料理など面倒だと思っていたランディくんですが、一人暮らしを始めてから少しずつ料理をするようになって、だんだんと好きになっていたのです。
一人暮らしを始める前にお母さんに教わった料理の他にも、今ではいくらか自分でも作れるようになりました。
今日は、何かと使いまわしのきく煮物を作ろうと思ったのですけれど。

「……あれ?」

調味料の棚を覗いて、ランディくんは首を傾げました。
醤油が、ほんの少ししか残っていないのです。
流石にこれだけでは煮物は作れないな、と判断したランディくんは、棚の前でしばし悩みました。

「買いに行く……? でも、いるのは全部買ってきたしなぁ……」

今日明日の食事の下準備を済ませておこうと思い、必要なものは全て買い揃えてしまったので、また買い物に出るのは少し面倒な気がします。
かといって、醤油がないと煮物は作れず、考えていた計画が狂ってしまいます。
どうしたものかとしばし考え込んでいたランディくんですが、ふいに頷いて顔を上げました。

「――借りてこよう」

そうと決めたら後は早いランディくんです。
キッチンから室内に戻り、勉強机の上にあるカレンダーを覗きこみます。

「えっと、今日は日曜日だから……」

カレンダーの上に指先を滑らせ、日付と曜日を確認しました。
大丈夫そうだ、と呟いていると、足元にいたセイランが不思議そうに顔を上げます。

「オレ、ちょっと出かけてきますね。すぐ戻ってきますから」

セイランの頭を撫で、ランディくんは部屋を出ます。

そうして、目指す扉の前に立ちました。








しばらくして、ランディくんが醤油を借りて戻ってくると、部屋の中に見慣れぬ影がひとつありました。
窓のあたりに、セイランがいるのはいつものこととして。
セイランが気にしているらしい窓の向こう、ランディくんの家のベランダに、いつのまにかいる黒い影。
セイランと比べてもさほど大きさは変わらないだろうその影は、部屋の中に入りたがっているのかそれともセイランに対して何か用でもあるのか、かりかりと外から窓をひっかいていて。

「あ、ちょっと待ってください」

思わず窓に駆け寄ったランディくんを、セイランがちらりと見上げました。
窓を開けると、外にいた影――黒い猫は、なぜか我がもの顔で部屋の中に入ってきて。
その堂々っぷりに圧倒されて、ランディくんは何も云うことができませんでした。
元々、猫が部屋に勝手に入ったくらいで文句を云えるような子ではないのですけれど。

「セイランさんのお友達ですか?」

部屋に上がりこんだ黒猫は、ランディくんのことをじっと見つめていました。
セイランの蒼い毛色は珍しいけれど、真っ黒な色も綺麗だなぁとランディくんはなんとなく思いました。

「こんにちは、オレはランディ。いつもセイランさんがお世話になって……るのかな?」

思わず首を傾げたランディくんでしたが、黒猫はランディくんを見上げたままでなんの反応もありませんでした。
困ったように苦笑して、ランディくんは横にいるセイランに視線を向けました。

「今度は黒いお友達なんですね」

けれど、セイランは気づくと横になっていて、全くランディくんの話を聞いていないようで。
見ればセイランに倣って(?)黒猫も窓辺で丸くなっていました。
まあいつものことだからいいか、とランディくんは軽く肩をすくめ、借りてきた醤油を持ち直してキッチンへ向かいました。








「よし、できた」

予定通りに煮物を作り終え、下準備も全て整い、ランディくんは醤油を手にしました。
借りたものは、なるべく早く返さなければなりません。
しかも今回借りたのは日常よく使うものですので、早いにこしたことはないでしょう。
玄関に向かう前に、猫たちの様子を見ようと部屋の中を振り返ったランディくんは、おや、と首を傾げました。
先刻まで部屋の中でのんびりとしていたはずのセイランと友達の黒猫がいません。
ベランダからさらにどこか外に出たのでしょうか。

「まあ、いいか」

セイランがいなくなるのはいつものことです。
きっとまたいつもどおり、夕方になれば帰ってくるだろうと考え直し、ランディくんは部屋を出ました。

「こんにちはー」

隣の家のチャイムを鳴らすと、しばらくして中から咥えタバコの若い男の人が出てきます。
その人はランディ君の顔を見てすぐに用件がわかったのでしょう、軽く笑って扉を開けてくれました。

「お醤油、どうもありがとうございました。助かりました」
「いや、これくらいなら気にすんなって」

ランディくんのお隣さん、それはハボックさんでした。
ランディくんの家はこの階の端の部屋で、お隣さんはハボックさんだけなので、なにかしらお世話になったりしていたのです。

「これ、少ないんですけど、よろしかったらどうぞ」
「お、いいのか? サンキュー」

ラップをかけた深皿には、ハボックさんから借りた醤油を使って作った煮物が入っていました。
ランディくんお手製の煮物は少し前におすそ分けをしてからハボックさんに好評で、以来ランディくんは煮物を作ってはハボックさんの部屋に届けているのですが。
ふいに部屋の奥から何かが鳴く声が聴こえ、ランディくんは何気なく部屋の中を覗きました。
玄関からリビングまでは一直線で、その奥の窓も半分くらいが玄関先から見えるのです。

「……あれ、セイランさん?」

ハボックさんの家の、窓の向こうに見える覚えのある色合いに、ランディくんは目を丸くしました。
ベランダの方に、セイランとさっきの黒猫がいるではありませんか。

「ん? ……ああ、あれ、もしかしてお前さんの猫か?」
「はい、そうです。セイランさんっていって……じゃあ、あの黒い猫は、ハボックさんの?」
「ロイっていうんだ。そうかあれがお前の猫か」

まさか猫までもがお隣さん同士で仲良くなっているとは思わなかったのでしょう、ランディくんはハボックさんと顔をあわせて笑ってしまいました。
いつも、気づくとセイランはベランダからも姿を消していて、ランディくんは少し心配していたのですけれど。
ハボックさんに聞いたところによると、どうやらセイランはよくハボックさんの家に来ているようで。
こんな風に、お友達の家に上がりこんでいるのならば心配ありません。

「それじゃあ、セイランさんをお願いします」
「ああ。――夕方までには帰るよう云っとくよ」
「はい、ありがとうございます」


自分の部屋に戻って、ランディくんは部屋の中がほんの少し広いように感じました。
さっきまで、セイランとロイがいたときはそんな風に感じなかったのに。
気のせいだろうと思いながら、ランディくんは窓がちゃんと開いていることを確認して、またキッチンに入りました。
夕方、ちゃんと戻ってくるであろうセイランに、いつもように美味しいご飯を食べてもらうために。