君を追って


それは、その時期にしてはあたたかい、風のとても気持ち良い日のこと。

ムウさんの休日は、ラウと遊ぶことから始まります。
そしてラウが本気で嫌がるぎりぎりまで遊ぶと、今度は部屋の掃除にとりかかります。
ムウさんの仕事にも基本的に週休2日といった休日はあるのですが、それも何かしらの用事が入って潰れることがよくあるので、一日時間が空いたときはムウさんは必ず部屋の掃除をするのです。
溜まった洗濯物を洗濯機に放りこみ、その間床と窓を拭きます。
ラウはムウさんの邪魔にならないように――というか、せかせかと動き回るムウさんを避けるように部屋の隅でのんびりと丸くなっています。

「ラーウ、お前一人で楽してるなよなー」

猫の手を借りたいほど忙しいわけではありません。
けれど自分が働いているのに誰かは何もせず気楽にしているところを見て羨ましいと思ってしまうのも人間というもので。
からかい混じりにそなセリフを云うムウさんを一瞥して、ラウがふらりと立ちあがります。

「っておい、ラウ?」

開け放した窓の外、ベランダに出るラウの後姿にムウさんは苦笑まじりの溜息をついて、脱水の終わった洗濯物を干すべく洗濯機のある洗面所へと向かいました。
洗いあがった洗濯物をカゴに放りこんで、よいしょと持ち上げ部屋に戻ったムウさんは、ベランダを見て首を傾げました。

「……ラウ?」

ベランダに出ていたラウが、しきりに隣の家との間にある仕切りを気にしているように見えたのです。
仕切りの下の部分は十数センチの隙間があって、ラウはそこを覗いていたのです。
隣の家に何か面白いものでもあるのだろうか、と不思議に思ったムウさんでしたが、次の瞬間思わず「あ」と声を漏らしてしまいました。
なんとラウが、仕切りの隙間を抜けて隣の家のベランダに入ってしまったのです。








ラウがこの家のベランダから隣のベランダへ出て行ってしまうなどということを初めて見たムウさんは、ラウの後を追うように慌ててベランダに出ました。
手すりに乗り上げるようにして隣の家のベランダを覗くと、ラウはさらにもうひとつ隣の家へと入ってしまいました。

「なにしてんだ、あいつ……」

思わず呟いて、ムウさんは隣の家とさらに隣の家との間の仕切りをじっと見つめますが、ラウが出てくる様子はありません。
その部屋はこの階の一番奥の部屋なので、出てこない以上ラウがそこに留まっているのは明らかで。
一体どうしたのだろう、と考えますが、初めてのことで何が何だかわかりませんでした。

「追ってみるか? ……でもいきなりお宅のベランダ見せてくださいなんて不審すぎるだろうよ、なぁ?」

誰にともなく同意を求め、ムウさんは唸ってしまいました。
ラウの動向を知るのは、飼い主として当然のことです。
ましてそれが、他人の家に入ってしまうようなことになればなおさら。
まさかとは思いますが、もしラウの身になにかあったらと考え、ムウさんはどきりとしました。
ラウはとても珍しい(らしい)猫ですから、もしかしたら誰かに攫われてしまうなんてこともあるかもしれなくて。
もしも、の話ではありますが、絶対ない、とも云いきれなくて。

「……ちょっと、様子見てくるか」

そうと決めたら、ムウさんは早いです。
早速、隣の隣の家に向かったムウさんは、迷うことなく呼び出しのチャイムを鳴らしました。
そういえば最奥のこの部屋には高校生の男が住んでいたっけかな、と記憶を呼び起こしながら、待つこと数秒。
部屋の扉を開けたのは、記憶どおりの高校生の男の子、ランディくんでした。

「こんにちは。……ランディくん、だよな?」
「はい、そうです。えっと……」
「フラガだ。隣の隣に住む、ムウ・ラ・フラガ」
「ああ、こんにちは、フラガさん」

迷いのないランディくんの笑顔にムウさんは少し驚きましたが、すぐに気を直して本題に入りました。

「突然で悪いんだけど、うちのラウ――白い猫が、こっちの家にこなかったかい?」








まさかそうくるとは思わなかったのか、最初きょとんとしていたランディくんでしたが、すぐに合点がいったのか「ああ」と頷きました。

「あの子、フラガさんの猫なんですか。ラウっていうんですね? ええ、来てますよ。よろしかったら上がりますか?」

願ってもない申し出に、ムウさんは二つ返事でランディくんの部屋に上がりました。
ムウさんの部屋となんら変わりない造りの部屋でしたが、現役の高校生らしい雰囲気の部屋の中には、しかしよくよく見ればあまり似つかわしくないものがいくつか転がっていて。
それが猫用のオモチャなどだと気づくのに、そんなにはかかりませんでした。

「ほら、あそこです」

ランディくんの示した方をみると、なるほど確かにベランダにはラウがいました。
そして、ラウの傍らにはもう1匹、蒼い猫がいて。

「あの猫は、君の?」
「はい、セイランさんっていうんです」

2匹は何をするでもなく、外の風景を見ているようでした。
時折、セイランがラウを観察するようにじっと見つめていたりもしていたようですが、ラウは特に気にしている様子もなく、そこには穏やかな時間が流れていました。

「少し前から、たまにラウさんが遊びに来ていたようなんです。どこから来てるのかわからなかったんですけど、そっか、フラガさんの猫だったんですね」

そうだな、と笑顔を浮かべながらも、ムウさんの視線はラウから離れることはありませんでした。
おそらく初めてであろう、ラウの友達。
ラウには自分しかいないなどと、そんなことを考えていたわけではないのだけれど。
やはり少し寂しいなどと思ってしまうのは、親心(のようなもの)なのでしょうか。

「セイランさんは、いつもひとりだったから……」
「え?」
「ラウさんがいてくれて、よかったと思います」

あ、とムウさんは思いました。
ランディくんには学校が、ムウさんには仕事がある以上、セイランもラウも昼間はほとんどひとりで過ごしていることになります。
いくらひとりが好きだといっても、ずっとひとりきりなのはやっぱり寂しいと、ランディくんは云いました。

「そっか……そう、だよな」

ラウも寂しかったのかもしれない、とムウさんは思いました。
普段はあまり感じないけれど、ラウだってまだまだ小さいのです。
昼間ずっとひとりきりでいて、なんとも思わないわけがない、とムウさんは思います。
そんなラウに友達ができて、こうやって少しずつ楽しいことを増やしていけるのなら、それはきっと素晴らしいことでしょう。

「これからもよろしくな、ランディ」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」

2人の飼い主は顔を見合わせて笑いました。
そうして視線を移した先には、愛しい2匹の猫の姿。