君の名は それは、ハボックさんが上司に残業を押し付けられた帰りの、もうそろそろ日付が変わろうかというときのことでした。 「ったく何なんだよなー、あのクソオヤジ」 ぶつくさと文句をたれるハボックさんの手にはコンビニの袋がぶらさがっていました。 帰りが遅くなってしまっため、外食も自炊も面倒になったので普段はあまり食べないコンビニ弁当のお世話になることにしたのです。 みゃあ ふいにどこからか高めの鳴き声が聞こえ、ハボックさんは辺りを見回しました。 すると。 「……なんだコレ」 ハボックさんの斜め前、道端にダンボールが置いてありました。 そして、そこからのぞく黒い頭。 「んだ、捨て猫か」 ダンボールの縁から、黒い猫がひょっこりと頭を出してこちらを見つめています。 猫好きな人であれば間違いなくめろめろになってしまうであろうほどに真っ直ぐで健気な視線です。 が。 「……あー、まぁいい人に拾ってもらえ」 動物は嫌いじゃないが毎日の世話なんぞ面倒くさくてやってられるか、という性質のハボックさんには視線の誘惑は無効でした。 みゃあみゃあ あっさりと回れ右をしたハボックさんの背中に、猫の悲しそうな声が追いすがります。 「……」 みゃあ 後ろ髪を引かれるとはまさにこのことなのでしょう。 一度でも立ち止まってしまった手前、このまま放っておくのは後味が悪く、思わずハボックさんは足を止めてしまいました。 おそるおそる振り返ると。 猫が、懇願するような(ハボックさんの思い込みです)目でハボックさんを見上げていました。 ……どうする、ハボック。 ハボックさんの頭に最近目にしたCMのワンシーンが流れました。 「……」 ハボックさんの顔にはどうするよ俺、とでかでかと書いてありました。 みゃあ 「…………はぁ」 深く深く溜息をついて、ハボックさんはまた身体の向きを変えました。 しゃがみこんで、ダンボールごと持ち上げると、また猫がみゃあと鳴きました。 ふと腕の中のダンボールに目を向けると、底の方に紙が一枚ありました。 そこには子供の字でこう書いてありました。 『ロイ・マスタング 地位は大佐です』 元の飼い主まだ幼い子供だったのでしょう、漢字を使ってはいますが形が不恰好で、誰かの書いた字を真似て書いたものとしか思えませんでした。 きっとこの子供は、この猫――ロイを捨てたくて捨てたわけじゃないんだな、とハボックさんは思いました。 だから『ロイ・マスタング』というちゃんとした名前をつけ、捨てた後でも誰かに可愛がって欲しいからこそこんな階級まで与えたのでしょうから。 そう考えて、ハボックさんの胸はちょっぴり痛くなりました。 「ちょっとの間だけだからな? 新しい飼い主が見つかるまでだぞ」 みゃあ 通じていないとわかっていても、ハボックさんはそう云わずにいられませんでした。 けれど。 実は、このときロイが思っていたことが、 『そこのでかいの! 私はお腹が空いた、何か食わせろ!』 だったなんてことはここだけの話。 ――ハボックさんには内緒ですよ? ハボックさんが家にロイを連れ帰ったとき、ロイはダンボールの中でうとうとしているところでした。 どすん、と玄関に落とされ、びっくりしたロイは飛び起きて辺りを見回しましたが、ハボックさんが覗きこんでいるのに気付くとみゃあと鳴きました。 まだ捨てられてからそう時間が経っていないのか、あまり汚れていないからいいだろうとハボックさんはロイの首の後ろを掴んで持ち上げ、部屋の中へ連れて行きました。 足をぶらりとさせながら、ロイはきょろきょろと部屋の中を見渡していました。 好奇心で目をきらきらさせているように見えるのは、ハボックさんの気のせいではないでしょう。 「んな面白いもんなんてないっつの」 ハボックさんはロイをテーブルに下ろしてやりました。 みゃあみゃあと文句を云うように鳴くロイのことは一切無視したように、ハボックさんはどっかりと座りこむとコンビニの袋からお弁当を取りだしました。 残業のせいでまともにご飯も食べていないハボックさんはお腹がぺこぺこだったのです。 家の近くのコンビニであらかじめあたためてもらっていたので、今は少し冷めていますがお弁当はそのまま食べられそうです。 フライや焼き魚など色々なおかずの入ったお弁当をハボックさんが食べ始めると、ロイが興味津々でお弁当箱を覗いてきます。 「なんだ、お前も腹減ってんのか?」 ロイの様子に気付いたハボックさんは、お弁当のフタにご飯を置いてやってロイの前に出しましたが、ロイは食べようとはしません。 ロイが入っていたダンボールの中には、まだ乾いたり湿気たりしていないパンやお菓子があったので、きっと学校帰りの子供やなにかに餌を貰っていてそんなにお腹は空いていないだろう、とハボックさんは思ったのですが、どうもそれとは雰囲気が違うようです。 かなりの早さでご飯を口に運ぶハボックさんを、ロイはじっと見つめているのです。 ハボックさんが焼き魚に箸を向けた瞬間、ロイがみゃあと鳴きました。 思わず箸を止めて、ハボックさんはロイを見下ろしました。 ロイは真っ直ぐにハボックさんを見上げてきます。 「……お前、これ食べたいのか?」 みゃあ ロイがあまりにも食べたそうな目で見ている……ように見えたハボックさんは、仕方ないなと焼き魚の三分の一ほどを切ってお弁当のフタに載せてやりました。 ロイはちょっと魚の匂いをかいで、一度舐めると、気に入ったのか焼き魚をぺろりと食べてしまいました。 みゃあ あまりに一生懸命食べるロイを思わず感心して見やっていたハボックさんでしたが、ロイの鳴き声にはっと我に返りました。 まだお弁当の半分も食べていません。 明日もまた朝早いのです、さっさと食べて寝なければ、と思いハボックさんは急いで箸を進めました。 そして、ハボックさんがおかずのウインナーを摘みあげたとき。 みゃあ 再び催促されるように鳴かれ、ハボックさんは顔をしかめました。 お腹が空いているのなら、ご飯をあげるべきだとは思います。 このウインナーがひとつしか入っていないものだとしても、あげること自体は特に構わないと思うのです。 けれど。 「……なんでお前ばっかいいもの食ってんだよ……?」 そんな風にハボックさんが呆れたような声を出したは、ロイにフライの中身の白身魚を分けてあげたときのことでした。 どことなくロイの言いなりになっているような気がしてしまうのは、これがこのときだけで4度目のことだったからでしょう。 ロイが食べたいと鳴くたび、ハボックさんは仕方がないなとおかずを分けてあげていました。 ロイの真っ直ぐな目で見つめられると、どうも従わなければならないような気がしてきてしまうのです。 一時的にロイを預かっただけのつもりでしたが、例え短期間であってもこの先の自分の苦労が目に見えたようでハボックさんは深々と溜息をつきました。 そんなハボックさんを見上げて、ロイはまたみゃあと鳴きました。 お腹がいっぱいで満足そうなロイに、ハボックさんは呆れたように溜息をつきました。 ロイがねだるおかげで、目当てのおかずはほとんど食べられずハボックさんは少しだけがっかりしていたのです。 けれどロイはそ知らぬ顔で毛づくろいをしていました。 ハボックさんは思わず恨めしげな目でロイを見てしまいますが、ロイは全く気にしていないようです。 ロイは一体、前の飼い主にどれほど甘やかされていたんだろう、と呆れつつもハボックさんは思いました。 「……とりあえず、風呂入るか」 今のロイは外から連れてきたままなので、あまり綺麗とはいいがたいのです。 一度立ち上がってからロイの前にしゃがんだハボックさんをロイは一瞥しました。 「ロイ」 風呂に入れてやるからこっちに来い、とハボックさんは手を伸ばしましたが、ロイは寄ってきません。 それどころか、ぷいっとあらぬ方向を向いてしまいました。 「ロイ? ローイ」 いくら呼びかけても、ロイはハボックさんを無視します。 一瞬、無理矢理に抱き上げて連れて行こうかとも考えたハボックさんでしたが、やはりできればロイの意志でこちらに来てほしいので、どうにか方法を考えてみました。 ふと、ロイが入っていた箱にあった紙のことを思い出しました。 『地位は大佐です』 確かにそう書かれていた紙。 テーブルの隅に放っておかれたそれに視線を向け、ハボックさんは肩をすくめました。 「……俺だって少尉だってのに」 そう、実はハボックさんも軍人なのです。 ハボックさんの地位は少尉。 一般的に見ればかなり優秀な軍人といえるのですが、ロイの『大佐』に比べればまだまだです。 「こーんなちっこい猫が大佐なれるんだったら、誰も苦労しねーよな」 ロイに目を向けるとさらに手を伸ばし、苦笑まじりに呟いたハボックさんにロイの耳がぴくりと揺れました。 「ほら大佐、ちゃっちゃと身体洗って寝ましょーねー」 一歩近づきましたが、ロイは逃げようとはしませんでした。 それどころか、驚いたことにみゃあとひとつ鳴いたではありませんか。 思わずその理由を考えて、ハボックさんは目を丸くしました。 「……もしかして、『ロイ』じゃなくて『大佐』って呼べばいいんスかね?」 みゃあ 呆れまじりの声にも、ロイはちゃんと返事をします。 明らかに肯定の意味が含まれていると理解したハボックさんは、今日何度目かになる溜息を深々とつきました。 |