routine 〜例えばこんな一日に〜 何度目かのデートで、何個目かのハロを渡した。 「まぁ、ありがとうございます。アスラン」 そう云ってにっこり微笑むのは、ラクス・クライン。 「いえ……こんなものでよろしかったら」 照れたように微笑むのは、アスラン・ザラ。 親同士の話し合いによって本人の承諾なしに決められた婚約者たちは、けれど自身の思惑とは異なり至極穏やかな 関係を築いていた。 「今度はピンクなのですね」 「お好きかと思いまして……その、ピンク」 目の前でふわふわと揺れる淡い桃色の髪を見つめ、アスランは困ったように笑う。 ラクスの持ち物は、彼女のイメージそのままにピンクや白を中心に暖色で淡色なものが多かった。 彼女に色の好き嫌いはそうないように思えたが、特にピンクが好きなのではと踏んだアスランの予想は正しかったようで。 「はい、大好きですわ」 何個目かになるハロを目の高さまで持ち上げ、ラクスは楽しげに口を開く。 「初めまして、ピンクちゃん」 いつもなら。 このままクライン邸でお茶をご馳走になって。 どこかの公園みたいに広い庭の散歩をして。 他愛もない話をして。 時間があれば、晩御飯をご馳走になって。 ――そうして緩やかに過ぎていくはずだったのに。 ラクスお抱えの運転手の運転は、やはり無理がなくスムーズで、座っているだけなのに心地が良い。 何でこんなことになったんだろう、とぼんやり考えるアスランの前で、ラクスはついさっき『友達』になったハロを膝に抱え、ご満悦といった顔でそれを撫でていた。 「ピンクちゃんの特技はなんなのでしょうね?」 歌うように言葉を紡ぐラクスは、やはり歌姫と云われるだけあって綺麗な声をしている。 「ああ、それは……」 答えかけたアスランに、ふいにラクスの手が伸びる。 人差し指を口の前に出され、アスランは戸惑うように口をつぐんだ。 「ダメですわ」 「……え?」 小さな子供を叱るように真剣な顔と顔の前の指先を見つめ、アスランは目を丸くする。 ……これは一体、どうしたものか。 「わたくし、いつもハロの特技がどんなものかとても楽しみにしていますの」 ですから、今はまだ云わないでくださいね、とラクスはまたいつものように笑顔を浮かべた。 彼らの向かった先は、市街の大きな公園だった。 緑が多く、遊戯などの設備も整っていて市民たちの多く集まる場所である。 こういった場所をラクスが好むことを、アスランは当初とても意外だと思っていた。 彼女はどちらかというと、穏やかで静かな場所を好むものだと思っていたからである。 それに、クライン邸にはこの公園に負けないほどの自然に溢れているし、ちょっとした高台にあるために庭からは海も眺められる。 その風景は彼女自身とても気に入っていたから、不満を抱くとは思えない。 けれど彼女はときおり市街へ出たがった。 休日の公園は人で溢れていた。 その中を並んで歩く少年と少女に、人々の関心は向かっていた。 視線を集めるのは当然のことかもしれない。 国防委員長パトリック・ザラの息子であるアスラン・ザラと、プラント最高評議会議長シーゲル・クラインの娘でプラント一の 歌姫でもあるラクス・クライン。 ただでさえ顔が知れているうえに、2人が婚約者同士だということは既にプラント中に知れ渡っていて。 元々人目を引くタイプであるだけに、彼らが並んでいる場所には人が途切れることはなかった。 衆人環視のデートにアスランは戸惑いを覚えるが、常に人に囲まれているラクスはそう苦痛ではないらしい。 今でも、自身の名を呼ぶ学生らしき少女たちに手を振り返しては黄色い悲鳴を上げられている。 園内を適当に散策して、出入り口の辺りにある売店を見とめアスランは思いついたようにラクスを振り返った。 「何か……飲み物でも買ってきましょうか?」 「まあ、よろしいんですか?」 にこにことラクスはよく笑う。 満面の笑みに困ったように苦笑しながら、それではここで待っていてくださいと云い置きアスランは近くにある売店へ駆けた。 クライン邸で飲むものは大抵紅茶であるが、こういった場ではラクスは普段飲まないジュースを好む。 今日はいつもより少しあたたかいから、さっぱりしたアップルジュースが良いだろうかと店員に注文し。 二つの容器を手にアスランがラクスの元へ戻ろうとしたそのとき。 突然、周囲の雰囲気ががらりと変わった。 ざわめきと同時に響くのは、先刻ラクスに手を振っていた少女たちの叫び声。 アスランの瞳に映るのは、穏やかな公園の風景に不似合いな黒い車体。 その中に呑み込まれる、白とピンクのわずかな軌跡。 「ラクス様がっ……!」 誰かの声が、聞こえるか聞こえないかの瞬間。 手にした容器を放り出し、アスランが駆け出したのとその車が発車したのは同時だった。 が、いくらアスランが優秀なコーディネイターであっても、機械と生身の人間とでは性能が全く異なる。 数秒とたたぬ間に、アスランとラクスを攫った車との決定的な距離差が生まれる。 それを認識すると同時に、アスランは服のポケットから通信端末を取り出した。 緊急用にと持たされたその端末は、スイッチを入れると即座に近隣の警備関連の施設に連絡が入るという代物で。 車の特徴や予想できる逃走経路を頭に叩き込みながら、アスランは端末のスイッチを入れた。 そのとき。 ふわり、と。 予想もしなかったものが空を舞う。 数メートル先を行く車の扉が無造作に開き。 その中から、舞うのは白とピンクの軌跡。 アスランは目を丸くした。 重みを感じさせぬままに舞い降りたそれは、しかし着地に際してバランスを崩したらしく、ニ・三歩よろめいて前のめりになる。 駆けていたままであったアスランが慌てて両手を伸ばすと、傾いたそれがふわりと腕の中に納まり。 「ラクス……っ」 驚いた顔でアスランを見上げ、ラクスは安堵したように笑った。 無事を確認し、アスランはそのまま彼女を自分の背後に押しやった。 車と彼女の間に立ち、相手の出方を伺う。 目的にあっさりと逃げられ、この場は逃げるが得策と判断したのか、車の扉さえ閉じずに車は再発進しようとしたらしい。 が。 気付けば、周囲には銃を構えた男女が数名。 アスランと同時に駆け出した、ラクスの動向を始終伺い、彼女を護る人々。 一般人でも軍人でもないその道のプロに囲まれ、勝ち目はないと悟ったのか、犯人たちは両手を上げて車から降り立つ。 後部座席から、ラクスが手にしていたはずのハロが飛び出してきた。 車内の全員がSPによって拘束されるのを見届け、アスランは深く息を吐いた。 「……大丈夫でしたか、ラクス?」 「ええ。ありがとうございます、アスラン」 普段と変わらぬままの、穏やかな笑みを浮かべるラクス。 どうしてここまで気を保っていられるのだろうと疑問はあるが、それこそが彼女であるのだから仕方がないとも思う。 相も変わらず綺麗な笑顔を惜しげもなく零す様に、アスランの口元も思わず緩む。 「それは、よかったです」 わぁ、っと。 割れんばかりの歓声が響く。 そういえばここは天下の往来だった、と思い出したがもう遅い。 映画のワンシーンのような展開を息を呑んで見守っていた大衆は、わずかな時間内でのクライマックスに敏感に反応したらしい。 見せ物じゃないんだぞ、と心中で呟くが、アスランのその声は誰に聞こえるわけでもない。 しばらく収まりそうもないその様子に溜息をつくアスランの横で、ラクスは穏やかに人々に手を振っていた。 そうして、その一件には瞬く間にプラント中に広がって。 彼らが定められた者同士だという住民たちの認識は本人たちをよそにいよいよ強まっていった。 「あの、ラクス」 「はい?」 恐る恐るといった風に尋ねてくるアスランに、ラクスは不思議そうに首を傾げた。 「どうやってあの車の扉を開いたのですか?」 もしや、という予感を否定できないままのアスランに気付かないのか、ラクスはああ、と合点がいったように頷いた。 「あのとき、急にピンクちゃんが動き出しましたの。『ハロ、ハロ』と鳴いたら突然扉が開いたので、そこから外へ出たのですわ」 「そう……ですか」 やはり、と思いながら、アスランはひくつく頬を必死で抑えていた。 この穏やかな少女のどこに、走り出した車から飛び出せる大胆さがあるのかと思う。 けれど、それ以上に。 あのとき、ハロが自らの『特技』を出さぬままでいたら一体どうする気だったのだろう、という疑問が先刻からずっとアスランの脳内を渦巻いていた。 今となっては、彼女に問うことはできないのだけれど。 仮に問うたとしても、きっと明確な答えを返してはくれないだろうことは明白で。 だからこそアスランは、空を仰いで嘆息した。 ――本当に。 女の子って、よくわからない。 |