夢の見た夢
ラウは夢を見ない。 見ないというより、見たとしても覚えているということがない。 もしかしたら見ているのかもしれないが、朝目覚めると何も覚えていないのだから、ラウからすれば見ないも同然だった。 反対に、ムウはよく夢を見るようだった。 ラウや両親、友達が出てくる夢や、アニメのヒーローのようになって世界を救う夢、自分でない誰かになる夢など、様々なものを見た。 朝食の席でムウがその日見た夢を語るのはよくあることで、父と母もそれを楽しんで聞いていた。 全てが、夢だとわかっていたからだ。 それは、家族が揃ってなにかのテレビ番組を見ていたときだった。 バラエティ番組だったかドラマだったかはわからない。 ラウはそのとき本を読んでいて、何気なく聞いていたのはテレビから発せられる音ではなくムウと両親の声だったから。 ――この世界は、誰かの見ている夢なのかもしれない。 きっとテレビの向こうで、誰かがそんなことを云ったのだと思う。 そして、ムウはこう返した。 「そんなわけないじゃん。だってみんなここにいるんだから、これは夢じゃない」 ムウは笑って云った。 父と母も笑った。 楽しそうに。 けれどラウだけは笑わなかった。 ラウはただ、顔を伏せて本を読んでいた。 夜の天井はいつだって真っ暗だ。 カーテンはちゃんと閉めているから月や星の光が部屋に入ることはなくて。 真っ暗な部屋の中、手を伸ばせば届きそうなくらいに近く見える天井をじっと見つめていたラウは、ほんの少し顔をしかめて軽く首を振った。 天井はいつものようにそこにあるのに、どうしてかいつもより大きく見えて。 今に落ちてきて潰されてしまうのかもしれない、なんていつもは思わないようなことまで考えてしまって。 ベッドに入って、目を閉じてしばらくすれば眠れるはずなのに、ラウは今日はそうしなかった。 ちゃんと目を開けて、ただ天井を見つめていた。 ゆらゆらと視界が揺れるたび、そのまま瞼が落ちてしまわないようにぐっとこらえていた。 目を閉じたくなかった。 まばたきのようにほんの一瞬なら構わない。 けれど、それがもっと長い時間、例えば10秒とか1分とか1時間とか、それくらいになるまで目を閉じるのが嫌だった。 (――この世界は) 身体の力が少しずつ抜けてくるのがわかって、ラウはぎゅっと手を握った。 頑張って力を入れようとするけれど、いつの間にか手は開いてしまっていて。 それに気づいたとき、自分がうとうとしていたということにも気づいて。 とくん、とそれまで静かだった心臓が音をたてて、ラウは背筋が少しだけ冷たくなったように感じた。 (世界は、誰かの見ている) ダメだ、眠ってはダメだ。 自分に言い聞かせた言葉は、もう声にならない。 声も出ない。 目は閉じてしまう。 (夢なのかもしれない) もし、一度目を閉じて。 次にもう一度開けたとき。 そのとき見た風景が、今までと全く違うものだったら。 この世界が誰かの見ている夢なのだとしたら、もしかしたらほんの一瞬で世界は『元の形』を取り戻すかもしれないのに。 もしかしたらその世界に自分はいないのかもしれないし、父や母やムウの誰かがいないのかもしれないのに。 そんなこと、あるはずがないけれど。 それでも、もし、と考えてしまうのは止められなくて。 だって自分は、自分たちは――。 「……ラウ、まだ起きてんのか?」 ひゅっ、と息を呑む音がした。 けれどその音は、予想外のことに驚いた自分が発したもので。 薄暗い部屋の向こう、ぼんやりと見えるのはラウと同じ顔をした子どもで。 その心配そうな顔を、困ったような顔を、ラウはよく知っていた。 子ども――ムウがなぜここにいるのか、ラウにはわからない。 ただ、いつの間にかムウはラウのベッドの横に立っていて、ラウの顔を覗いていた。 「汗かいてる。だいじょうぶか?」 ムウの指先がラウの頬を滑って、はりついていた髪のひと房を取り払う。 いつもあたたかいムウの指先が少しだけ冷たく感じたけれど、これは自分の身体が熱くなっているのだとラウは思い直した。 「寝ないのか?」 「眠りたくない」 「どうして」 「…………いやだ、から」 理由を答えようとしないラウに、ムウは少し考えこむように首を傾げていた。 そうして何度かラウの髪を梳いて、頭のてっぺんから肩まで下ろしていった手をそのままの勢いで布団に滑らせて持ち上げ、その隙間にするりと身を潜りこませた。 「――っ」 驚いたようにラウは目を丸くさせたけれど、ムウは気にせずにこりと笑ってみせた。 「ラウ、寝ないんだろ? じゃあオレも寝ない」 「ムウ!」 「ラウが寝たら寝るよ。それまでずっと、朝起きるまでこうしてるから」 ぴったりと身体を寄せて、ムウはラウの手をぎゅっと握っていた。 いつもより狭くなってしまったベッドだけれど、ラウは不思議とそれを嫌だとは思わなかった。 ラウたちにとって、こういったことが日常茶飯事だということもあるのかもしれない。 けれど、それ以上に。 手のひらを包みこむ、同じ大きさのぬくもりを感じる。 繋いだ手だけじゃない、触れ合っている肩や腕、足までもが少しずつ熱を持っていって。 あたたかな、これは決していつもと違うものなんかではなくて。 目を閉じても、ムウを感じる。 このぬくもりも、この感覚も、確かにそこにあるもので。 これを感じている限り、きっと世界は変わらない。 ――大丈夫、大丈夫だ。 声に出さずに繰り返した言葉は、今度はすとんとラウの中に落ちてくる。 世界が誰かの見ている夢だとしても、ラウにとっての世界はここでしかありえない。 ムウがいて、ラウがいる、この世界が目を閉じても目覚めても変わらない、と。 今はそう、信じることができるから。 |