君に会いたい五秒前

キスミープリーズ 云えたら苦労はしないのに 
君といるとキスをしたくてたまらなくなるから
だから僕は、いつも苦しくてたまらない



 院内でクリスマスを祝うことを、以前から竜弦は不思議なことと考えていた。
 それは神といわれた人間の誕生を祝う日だ。いや、神の子、だったか。
 竜弦は宗教に興味がない。信じる人を否定する気は毛頭ないが、自身がわざわざ肯 定すべきものでもないとは考えている。
 さらに思うことは、祝う相手となる人間(と云ってしまうのも宗教的には問題 があるようだが)がそもそも死んでいるということだ。
 生きている人間が、生まれた日を祝うことはわかる。例え相手が亡き人だとして も、近しい人や生前のその人を知っている人間が祝うというのなら、それもまあわ かる。
 けれど問題はそこではないのだ。人は死ぬ。死んだ人間は生き返らない。
 だというのに、かの人物は確かに死したのちに復活したという。
 そこに、宗教的意味があることは否めない。伝承を全て事実なのだと仮定すること 自体無意味なのかもしれない。
 けれど、思うのだ。
 ならばなにを祝うというのか、と。
 かの人物の生まれた日を祝うことで近しい誰かと重ねようというのだろうか。そ してよもや復活を望むのか。そうして祭が終わって落胆するのは、毎年のように変 わらないというのに。
「またくだらないことをクソ真面目に考えてるな?」
 そういえばこの男は、その摂理に逆らって生きているのだった。人間ではな い、けれどおそらくはかつて人であったもの。
 それがどうしてか今はこの世界にいて、極めて人間らしく振る舞っている。生き ることを諦めたような暗い目をした人間に比べたら、こいつの方がよほど人間だ。
「……あのな。云いたいことがあるなら口に出して云ってくれ」
 これを馬鹿だと思う人間は多いだろうが、人間ではないと気づくものはいない。
 まったく、いつからこんな人間のようなモノになったのか――
「……なぜ貴様がここにいる」
「や、結構前からここにいるぜ?」
 お前考え始めると周りが見えなくなるからな、などとお前がほざくなと竜弦は思 う。娘の話となれば所構わず違う世界へ行けるこいつに云われる筋合いはないのだ。
 というかそもそも、
「どこから入ってきた」
 ここは空座総合病院の院長室。来客があるという連絡は来ていないというのに、ど うしてこいつはさも当然のような顔をしてここにるというのだろうか。
「どこって、普通に、扉から」
 お前考え込んでたから気づかなかったんだろ、と笑う男を竜弦はただ睨みつけた。
「お前に逢いたいから来たんだ」
「そうか」
「あっさりだなおい」
 別にお前の理由などどうだっていいのだ、と竜弦は呟く。
 思考は最初から別のところにあった。
「なぜクリスマスなど祝うのだろうな」
「お祝いだから、じゃねーの?」
 クリスマスに限らずイベントごとには敏感でその都度盛大に仕掛けてくる町医者 は、当然のような顔で不思議そうに竜弦を見やる。
「祝いか。……それで、なにを祝う?」
 12月に入ると、いや、下手をすれば11月末ごろから、街はクリスマス一色にな る。竜弦は、その浮かれたムードが好きではなかった。
 竜弦は宗教を信じない。神を、信じない。
 ――かつて竜弦の隣にあった滅却師としての生き方の中には、もしかしたら宗 教めいたものや神のような存在があったのかもしれない。
 けれど竜弦はそれに興 味がなかった。
 そこにあるのはただ違えられない現実のみだったのだから。
「……あのな、竜弦」
 両腕で頭を掴まれた。そのままホールドされる。
 ヒゲ面が眼前にまで迫ってきて、けれどその手の強さから暴れても無意味だと 気づき、竜弦はあえてそれを受け入れる。
「そう細々と考えることはないだろ。クリスマスなんてのは、大切な人と一緒にい て、あったかい部屋で美味いもん食べて、それでプレゼント交換する」
 どこかの雑誌にある典型的なクリスマスの様だな、と思ったけれどあまりにも真剣 なその顔に竜弦は喉まで出た言葉を飲みこんだ。
「外国じゃ違うのかもしれんが、ここは日本だろう。万国共通の祝い方なんてな いんだ。宗教信じる外国じゃあきちんと定義づけて祝うんだろうが、日本にゃほと んどそれがない」
 ああ、一応勉強はしているんだな。
 思いながら、竜弦はその黒い瞳をただ見やる。こんなに近くにいるのは、そう いえば久し振りかもしれない。
「だから、いいんだ。祝いたいやつは全力で祝えばいい。本当の意味に興味ないや つだって、今日くらいは周りに流されて浮かれてりゃいいんだ」
 毎年クリスマスはそんなふうにやってきたと思う。
 周りが楽しみにしているから、パーティの許可を出す。楽しみにしている から、パーティの準備をして、周りが楽しそうな中で、パーティに参加する。
 ただ流されるだけだったけれど――そうか、流されることそれ自体に意味がな いという意味があるのだと考えれば、無為に流されることもなくなるのだろうか。
「だから、俺はお前に会いたいと思ったんだ」
 なにがどうしたらそこに繋がるのか、竜弦には甚だ疑問であったけれど。
 けれどそれでも。
「……そうだな、私も」
 お前に会いたかったのかもしれない。
 続けて唇に乗せようとした言葉は、黒崎のそれによりあっさりと霧散させられて しまった。
 なにを我慢していたのか知らないが、噛み付くな、馬鹿。




2006/12/22