12月26日


そのときのレイの変わりようは、ある意味でとても見事なものだった。
ほんの一瞬ではあったけれど。


「――ギル!」
それまであまり変化のなかった表情が、わずかに緩む。
細められた目元と、綻んだ口元に目を奪われ、ムウは思わずその場で足を止めた。
軽く駆け、揺れる金が、ムウの目の前をゆっくりと横切り、そのすぐ後ろでわずか跳ねる。
「おかえりなさい、ギルバート」
「ただいま、レイ。いい子にしていたかい?」
レイの表情はそれまで見たことがないほどに嬉しそうで。
いや、彼の本来の居場所はそこなのだから当然といえばそうなのだけれど、それでも 多少驚いてしまうのは致し方のないことだろう。
約束どおり、26日の朝にレイの保護者はやってきた。
ムウはてっきり、保護者の代理で誰かが迎えに来るものだとばかり思っていたのだが 、多忙であるはずのレイの保護者は、しかし護衛も伴うことなく一人身でこの部屋ま でやってきた。
テレビなどでよく見る温厚な微笑みを湛えたまま。
予期していなかった来訪者に、ムウがわずかにひきつりつつも彼を部屋に案内したのが つい先刻のこと。
レイの保護者――ギルバート・デュランダルの姿に気づいたレイが彼の元に駆け寄った のが、その直後のことだった。
やはり寂しかったのだろう、無意識なのかギルバートの服の裾を掴んだまま放さないレ イに、ムウは密かに苦笑する。
大人びた少年であっても、やはり子供は子供なのだ。
ムウが妙な納得の仕方をしている間、ギルバートとレイはいくらか話をしていたよう で、ギルバートの視点が再びムウに向けられたときには、レイは既にムウの知るレイに 戻ってしまっていた。
それでも、ギルバートの傍から離れようとはしなかったけれど。
「急な頼みだというのに、助かりました。お2人には本当によくしていただいたよう で、レイもとても喜んでいます――ありがとうございました」
「いや、こっちこそ楽しかったですし」
にこやかなギルバートに、ムウはへこへことしながらそう返したのだが、なぜかラ ウの表情は少々厳しかった。
レイが初めて家に来た日の電話のときやギルバートについての説明を聞いていたとき もそうだったのだけれど、もしかしたらラウはギルバートが嫌いなのだろうか。
そんなことを考えながらラウを見つめると、その視線に気づいたのかギルバートもま たラウへと目を向ける。
ムウの視線の意図に気づいたのか、ラウはそれまでの表情とは正反対の、わざとらし いまでの笑みを浮かべてギルバートの前に立った。
「あなたが育てているとは思えないほどに良い子ですね。おかげでこちらも楽しませ ていただきました」
「お褒めに預かり光栄だが、久し振りだというのにその言い草はないのではないか な、ラウ?」
わずかに棘を含んだラウの言葉をやんわりと流しつつも、ギルバートはその内容に関し ての追及を忘れようとしない。
どこか楽しげに発せられた、挑発ともいえるギルバートの台詞にラウはわずかに眉を寄 せると、常と変わらぬ尊大な態度で云い放った。
「……それ以外で貴様にかけてやる褒め言葉などない。レイのためというのなら、さっ さと帰ってやったらどうだ。でなければ、レイをここにおいて行っても私たちは一向に 構わないのだぞ?」
「ああ、それでは遠慮なく帰らせていただこうかな。これまでの時間の埋め合わせもし なければならないのでね」
ラウの態度の変化にも動じることなく、ギルバートはにっこりと笑いかけると、ソフ ァ脇に置いてあったレイのカバンを手にした。
そうしてレイの肩を抱くと、あっさりと元来た扉の方へと向かう。
振り返って形式どおりの帰りの挨拶をし、ギルバートが玄関の扉を開けたそのときだった。
ふいにレイがギルバートの腕から離れ、ムウとラウに向き合う。
「ありがとうございました。楽しかったです、本当に」
「ああ」
「ん。元気でな」
レイはこくりと頷く。
その様子にムウが目を細めると、扉を半分ほど開いたままのギルバートがレイの名を呼び、 気づいたレイは慌てて靴を履いて一歩踏み出した。
彼の姿が玄関をくぐったそのとき、ムウはレイの背中に思わず声をかけた。
「レイ、またな!」
その言葉に、レイは驚いたように振り返る。
ひらひらとムウが手を振ってやると、その表情をわずかに綻ばせて。
「――はい」


扉は閉じられ、レイは元いた地へと帰っていった。
レイとギルバートの、互いを見つめる瞳を思い出してなんとなく悔しくなり、ムウは隣に立つ ラウを抱きしめた。
その腕を振り払うこともなく、ぬくもりに身を任せてたラウの脳裏にある男の声が響く。
あの日、レイをここで預かると決めまったときの電話で、ギルバートが最後に云った一言を。

――私の天使を、君たちに預けよう。

ああ、もしかしたら本当に天使だったのかもしれない。
やさしくあたたかな腕の中、レイの微笑みを思い返し、ラウは小さく笑いを零す。





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