12月24日 PM6:30


ムウが子どもを拾ったという。

十数分前のムウからの電話は極めて端的なもので、ラウはその内容に関して首 を傾げざるをえなかった。
待ちぼうけをくらっている凍えた子どもを連れて帰るから風呂を沸かしておいてく れ、とそれだけを告げて、ムウはラウの返答を待つこともなく電話を切ったのだ。
ムウがラウに対してなんの断りもなく物事を決定させることはそう珍しいことでも なかったが、それでも基本的にムウはラウが許さないようなことをすることはなくて。
2人の暮らす家に他人を連れ込まないということは、一方的ではあるがラウが絶対 だとした決め事のひとつだった。
今回は状況によっては情状酌量の余地はありえ そうなもので、とにかくムウが家に戻らねばなにもわからないのだからとラウは 湯船に熱い湯を張ったのだけれど。


「ただいまー」
能天気な声が聞こえ、ラウは手にしていた本から視線のみを扉の方に向けた。
部屋に入ってきた気配は、2人分。本当にムウは子どもを拾ってきたのだと、ラ ウは思わず溜息をついた。
理由はともあれ、連れてきてしまったものを今さら追い返すわけにはいかないだ ろう。ムウによれば、その子どもは凍えているというのだからなおさらのことだ。
仕方なしに出迎えてやろうとソファから身を起こして、傍らのテーブルに本を置 きラウは立ち上がる。
リビングの扉が開き、その向こうからムウが顔を覗かせたのはそのときだった。
「ただいま、ラウ」
「ああ。……その子か」
ムウの後ろに隠れるように立つ子どもの頭をムウの肩越しに見、ラウはごく 小さく溜息をついた。
「うん。レイ、だってさ」
呆れまじりのその表情に、ムウはばつが悪そうに笑ったけれど、悪いことを したなどとはまったく思っていないだろうことはその顔から読みとれる。事 実、これは悪事ではなく人助けであるのだし。
もちろんそれも、受け取る側の意志によって決められるものではあるのだけれど。
ムウの後ろからおずおずと顔を出すおそらくは中学生ほどの少年――レイの、 その幼いながらも整った顔立ちをみとめ、ラウはわずかに目を見開いた。
金の髪が揺れ、白い手が伸ばされる。
「――っ?」
次の瞬間、気づけば、レイはラウの腕の中にいた。
頭ひとつ分ほど小さな身体がラウの胸にすがりついている。驚いて目を見開き つつも、しかしその懸命な腕を振り払うことなどできるはずもなく、ラウは反 射的に彼の背中に腕を回していた。
冷えきった身体は、暖かな部屋の中にいるのにも関わらず小さく震えていた。
この子になにかしたのか、そんな意味をこめてムウを睨みつけるが、ムウはラウの視 線で状況を悟ったのか慌てたように首を横に振った。
ならばどうしたものか、とラウが目の前の金の髪に触れたとき、ラウたちの傍らにあ る電話が鳴った。
左手でレイを支えたまま、ラウは右手で受話器を取る。その向こうからは聞き覚えの あるような声がしてわずかに表情を変えたラウを、ムウが心配そうに見つめているの がわかった。
「――……あぁ、久しいな。ギルバート」
その名に、腕の中の子どもが弾けるように顔を上げた。
ムウもまた、覚えがあるだろう名に目を丸くしていたのだけれど、ラウはとりあ えずは電話の相手の対応に専念する。
しかし、そのあとギルバートの発した言葉に、ラウはわずかに目を瞠った。
「レイ? ……レイ・ザ・バレル?」
電話の向こうの男が口にした名を思わず尋ね返し、ラウが腕の中の子どもに目を向 けると、彼はラウの呟いた自らの名に深々と頷いたのだった。


ギルバート・デュランダルは若手政治家の中でも特に将来有望とされる男だ。
ラウの保護者であるパトリック・ザラの、最大のライバルといわれているシーゲ ル・クラインの片腕でもあるその男は、なぜか以前からラウに妙に目をかけていて。
そのギルバートが後見人となって育てているのがこのレイという少年なのだという。
そこまではどうとでもなることなのだが、ギルバートは続けてとんでもないことを 云いだした。
今日から26日の朝まで、ラウたちの家でレイを預かってほしい、と。
いつもならばレイと過ごすはずだったクリスマスに、突然の出張が入ってしまい、 レイをひとり家に置いておくのは可哀想だからだとギルバートは説明したが、なぜそ こでラウの元へ彼を預けようというのかラウにはわからない。
元々は駅前からレイをラウたちの部屋まで送る車があったはずなのだが、手違いで車 の到着が大幅に遅れ、しかもレイを見失ってしまったためにラウの元へと連絡をよこ したのだとギルバートは続ける。
運良くラウの同居人がレイを見つけてくれて本当によかった、と笑いながら。
「……なんの説明もなしに非常識だとは思わないのか」
けれど非難をこめたラウの言葉にも、ギルバートは怯むことなく笑っていた。
そういえば以前から、ギルバートはなにかにつけてラウを困らせようとする節があった 気がする。
今回もそういったことの一端かと小さく溜息をつき、これ以上押し問答を していても埒が明かないということで、ギルバートの望むままに受話器をレイへと手渡した。
レイは驚いたような顔をしていたけれど、受話器の向こうから聞こえるギルバート の声にわずかに安堵したような表情を浮かべる。
「はい。……はい、わかりました」
レイの、受話器を握る手にきゅっと力が入る。一度目を伏せ、レイは「それで は代わります」と告げると手にした受話器をラウへと返した。
受け取りながらもう片手でレイの頭を撫でてやると、レイはくすぐったそうに 目を細めていた。
「――わかった。26日まででよいのだな」
本来ならばギルバートからの頼みごとなど即座に却下してやるものだが、今回は 事情が事情だ。外はすっかり暗くなってしまったというのに、この寒い中レイを ひとり放りだすほどラウは冷たくはない。
ようやっと受話器を置き、ラウは小さく息をついた。そんなラウをレイが不安 げな目で見上げていて、ラウは思わず苦笑するとその頭をまた撫でてやった。
「……えぇっと、ラウ?」
すると、横合いからおそるおそるといった風にムウの声が聞こえてきた。
そうい えばムウはこちらの事情をまったく知らないのだということを今さらながらにラウは気づく。
「ムウ、この子を明後日まで預かることになった。詳しいことはあとで説明する」
とりあえず結論のみをムウに伝え、ラウはレイに向き合った。
横ではムウが少々不満げな顔をしていたようだったが、とりあえず説明はあと ですると云ったのだから問題はないだろうと考え直す。
レイの方に手を置き、彼らが先刻やってきた扉を指差した。
「――君は先に風呂に入ってくるといい。ゆっくりと沈んで、温まってきなさい」
「あ、そうだよ。あんだけ寒いとこにいたんだから、そのままじゃ風邪ひくって」
ラウだけでなくムウにまで勧められ、レイは戸惑うように視線を泳がせる。
場所を示されながらも動こうとしないレイに首を傾げ、ムウが案内してやろうと手を 差し伸ばす。ラウもまたその背を軽く押してやると、レイはラウをじっと見上げた。
その手はしっかりとラウの服の裾を掴んでおり、ラウは内心苦笑する。
ギルバートはレイについて、しっかりしていて手のかからない子どもだから迷惑はかけな いだろうといっていたが、やはり子どもは子どもだ。1時間以上も誰かわからない待 ち人を待ち続けたうえに、突然に見ず知らずの人間の家に預けられることとなって 不安に思わないわけがない。
そこで頼るのが、なぜ人懐こいムウではなく自分なのかは甚だ疑問ではあるけれど。
「――わかった。では一緒に入ろうか、レイ」
「え、ずるっ」
反射的にあがった不満げな声はレイではなくムウのもので、ラウは思わず眉 を寄せムウを睨みつける。
一瞬後にはムウも気づいたのか、まずいと彼の顔には書いてあったがレイは それらのことには気づいてはいないようで、ラウは内心安堵した。
レイはムウとラウの関係を知らないのだから、こんなところでわざわざ教えてやる必要 などはない。
「ムウ、私たちが上がってくるまでにレイが着られそうな服を用意しておいてくれ」
そ知らぬ顔で続けると、ムウもまた半ば慌てたように云い繕う。
「わ、わかった。一番風呂なんだから、じっくり堪能してこいよなっ」
そう云ってクローゼットのある部屋に飛び込むムウの後姿を見やり、ラウはレイを 促すと風呂場へと向かったのだった。





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