06. You are the last man I expected to meet here.
ぎらぎらとした照明に一瞬目がくらみ、ラウはわずかに顔をしかめた。 とあるホテルの大会場では、現在立食形式のパーティが開かれている。 主催者やパーティの名目などになど興味はないが、パトリックの指示によりラウもまた 彼と共にこの会場に足を運んでいた。 パトリックがラウをここに連れてきた理由、それは明白だ。近い将来、パトリックは 優秀なラウを自らの右腕とすると考えており、それは彼に近しい人間からすれば暗黙の了 解となっていた。 以前から身内の集まりにはラウを連れていたが、彼が大学生になり、再びパ トリックの元に戻ったことを契機に、今回から正式に社交の場に出すこととしたのだろう。 案の定、政界の有力者であるパトリックが連れてきた息子ではない青年に自然と注目は集まる。 わざとらしい笑顔や会話に食傷気味になりながらも、ラウはその場にふさわしい笑みで誰より もそれらしくそこにあった。 「どうかしたか、クルーゼ」 「いえ……」 ふいに声をかけられ、ラウはひそかに息を詰めるもつとめて冷静な対応をする。 一瞬ぼんやりしていたのか、誰かの問いに答えそこねたらしい。先刻よりも一歩進ん だ内容であったようだが、それもあくまでラウの予想内で、『それなり』の答えを 提示してやるとその場の人間たちは感心したような溜息をもらす。そして隣ではパト リックが、満足げに笑みを深めていた。 会場の注目、特に有力者たちの関心はラウに向かっていた。 それを意識しているからこそ、ラウは常に隙のない笑顔を絶やさなかったし、ご く簡単な挨拶や世間話においても気を抜くことがなかった。全てはパトリックの望 んだ通りであり、ラウの予想の範囲内であった。 そうであったはずだった――あの一瞬を除いては。 会話の最中、ラウが何気なく周囲を見回したときのことだった。 ふいにのぞいた青に、目を奪われた。それは、いつか望んだ空の色。 いくら手を伸ばそうとも届くはずのなかったそれが、一歩踏み出せば、手を差 し出せば手に入るそこにあった。 ――なぜ、お前がここにいる。 問うことはできなかった。 直後にラウはその場の会話に引き戻され、次に見たときは彼の姿はそこにはなかった。 あれは幻だろうか。頭の片隅でラウは考える。 否、幻であればあのように驚いた顔をするわけがない。 目を丸くし呆けた、間の抜けた顔。ラウは彼ほどに抜けた顔はしていない自覚はあ るが、それでも彼から見れば驚いた表情をしたのだろうかと思う。 久方振りに見る彼の――ムウの顔に、胸の奥でなにかが動き出したように感じた。そう してこれまでの自分の時間が止まっていたのだということがわかって。 しかしここでこの場を放棄することなどできようはずもなく、ただ変わらぬ笑顔、乱れ ぬ口調のままラウは最後まで静かにその場を支配し続けたのだけれど。 きらびやかな会場に一歩足を踏み入れた瞬間、ムウは用事を済ませたらす ぐにこの会場を去ろうと決意した。 元々このパーティに招待されたのはムウではなく、ムウと親しい大学の教授 であるのだが、急な出張で不参加となった彼の代理として、彼はムウにパーテ ィに出るよう頼んできた。どうしても言付けをしたい人物がいるのだと、用が 済めばばすぐに出て行っても構わないと云われ頭を下げられてしまえばムウに 断る術はなかった。 どうせ暇だし、社会勉強もかねてそういったパーティにひとりで出るのも悪くないなど と考えながらの参加であったが、会場であるホテルに着いたとたんにそのよう な軽い気持ちは消えうせた。 広い会場、高級な料理、どこかで見たことのあるような顔が居並ぶこの場所は 、ムウにとっては居心地の悪さしか感じないもので。 実のところ、ムウの家はそれなりに手広く商売をしていて、父親は政界や財界 にも顔が広かったようだから、このようなパーティに連れて行かれたことは何度 かあるけれど、これほどに盛大なものは初めてだった。 今さらながらに教授が代理としてムウを選んだ理由がわかり、ムウは小さく溜息をついた。 ムウの性格的な部分も少なくないとはいえ、ごく普通の学生ではこんなパーテ ィに緊張ひとつせずに出られようはずもない。よほど神経が図太くない限りは、会 場のあるホテルを見上げた時点で足がすくんで進めなくなってしまうところだろう。 こんな場所で父の知り合いに見つかってはたまったものではないと、ムウは来場 してすぐに用事を済ませ、いくらか料理をつまんでから早々に会場を出ようとした。 会場の中央辺りから、人の間をすり抜けて出口を目指していたムウだったが、ふと すれ違った一団に目を向けた。 気づけば周囲の視線はそこに集められていて、一体どんな有名人がいるのだろうかと 興味半分で視線を移しただけだった。 だから、思ってもみなかったのだ。 ひたすらに焦がれた人が、その中で冷たく微笑んでいるなんて。 ――彼と目が合った、とムウは感じた。 表情の変化はほとんどないように見えるけれど、ムウにはわかる。彼はムウを見て、ほ んのわずかだが驚いたように目を見開いた。 突然のことに自分がどれほど間の抜けた顔をしたかはわからないが、取り繕っている 暇などなかった。 ラウ、そう呼びかけた口をつぐむことになったのは、直前に誰かが自 分たちの間を横切ったのと、ムウの視界に父と懇意にしていた覚えのある人物が映った からだった。 反射的にムウは出口を目指し、足早に歩き出した。ここから出たい、出なければと思い ながら、あの場に残りたいとも思った。 あれはラウだったのだろうか。 いや、ラウでないはずがない。自分が確かにそうだと思ったのだから、あれは間違いなくラウだ。 ホテルのエントランスを駆け抜け、冷たい空気に身をさらしたところでムウはやっとというよ うに一息をついた。 パーティ会場となったホールがあるであろう階を見上げ、目を細める。 あそこにいたのはラウだ。 なぜラウがあの場にいたのかはわからないが、おそらくは彼の保護者に関係するこ となのだろう。 ほんの一瞬目が合っただけだが、ラウは以前に比べ少し痩せていたように見えた。ち ゃんと食べているのだろうかと、かつてした心配が再びわきあがってくる。 共に暮らした日々の記憶があふれだし、ムウは今すぐにでもあの場に戻ってラウを連 れ出したい衝動に駆られていた。 気づかないふりをしていたけれど、本当はずっと会いたかった。会って話をしたかっ た。そしれ彼に触れたかった。 きつく手を握りしめ、ムウはただホテルを見上げていた。 心を占めるのは大切だった――いや、今でも大切な彼の姿。 これほど近くにいるのに、その距離はどこまでも遠く果てしなく感じる。 息ができないほどに苦しくて、歪みかけた視界を遮るようにムウは目を閉じ、吐き捨てる ように呟いた。 「どうしてお前がここにいないんだよ、ラウ……!」 |