05. The more we have,the more we want.
この窓から見上げる空はこんなにも狭かったろうか。 何年も暮らした見慣れた部屋のはずなのにどこか違うと感じるのはなぜなのだ ろう。そんなことを考えながらも、ラウはパソコンのキーを叩く手を休めることはなかった。 この部屋に戻ってから自分はどれくらいの間こうしてパソコンに向かっているのだろうか。 久々に会った保護者である後見人――パトリックに渡された1冊のファイル。そのうちにつ まった書類と資料を全てまとめて打ち直せというのが彼から与えられた仕事で。それが 終わるまでは、大学への通学を含む一切の外出を禁じるとも彼は云った。 その日からラウは、食事をするのもそこそこにひたすらこの作業を続けていた。通常は 新入社員がやるような雑務ではあったが、大学入学以前からよくパトリックの仕事の手 伝いをしていたラウにとっては苦になるものでもなく、静かな自室ではなおさらはかど るものであった。 早く外に出たいからというわけではない。それしかやることがなかたからだ。一心 不乱にも見えるラウの打ちこみようにパトリックはしばしば訝しげな顔をしていたも のの、早く大学に出て勉強がしたいのだと心にもないことをそれらしく告げ、とりあえず納得をさせた。 本当は大学なんてどうでもよかったのだけれど、そのときはそう云うのが一番効果 的ではないかと思ったために云ったまでのこと。 それに実際のところ、ラウがこうまでして作業に打ちこむ本当の理由をと聞かれ ても、ラウ自身わからないのだから答えようがないのだ。 カタン、と右手薬指のキーを叩き終え、ラウは小さく溜息をついた。画面に向かい すぎたのか、目が疲れて視界がわずかに歪む。これ以上やると後の作業に支障が出ると判 断し、パソコンの電源を落とした。 そうしてすぐ隣にあるベッドに身体を沈め、わけもなく天井を仰ぐと、ふと手足が妙 に重くなっているように感じた。 ずっと同じ体勢でパソコンに向かっていたためだろうか、身体が固まってしまったよ うに冷たくなっている。 ふと部屋の中を見回したラウは、けれど特に面白いものも見つからずに小さく溜息をついた。 こうして休んでいても、なにもすることがないと思うのはなぜなのだろう。 ここにはなんでも揃っている。パソコンや最先端のAV機器など高価なものから、稀少で あるはずの本まで、ラウが望めば全てが手に入った。 つい先日、ここに帰ったばかりの頃になにかほしいものはとパトリックに問われ、 ラウはコンピュータのとあるソフトを望んだことがあった。かなり前のバージョンであ るために既に絶版となっているのだけれど、と前置きをしたものの、パトリックは二つ返 事で了承し、ほんの数日でそれを手に入れていた。 新品であるところを見ると製造元に直接かけあったのかもしれないが、それにしてもあ の短時間での入手だ、部下にどれほどの無理をさせたかは定かではない。 そんな風に、ここではなに不自由なく生活ができる。 パトリックに従っている限りは、なにもかもがラウの望むままに。 人はそれを、幸せと呼ぶのだろうか。 ――けれど、とラウは思う。 望むものが手に入ったというのに、どこか物足りないと思うのはなぜなのだろう。 決して広くはないあの部屋で、2人で暮らしていたときには感じなかったもの。広い部屋 で感じる圧迫感の意味を、ラウは知らない。 息苦しい、そう感じてラウは重い身体を起こしてゆっくりと立ち上がった。 ベッドの正面にある窓枠に手をかけ、一気に窓を開けると冷たい風が部屋に流れこんでくる。 そこには青い空が広がっていた。 それは覚えのある青だった。 一面の青に包まれ、ラウは深く息を吸いこんだ。 |