04. He went out without so much as saying good-bye.
それはまさに青天の霹靂だった。 バタン、と音を立てて扉が閉まり、ムウは思わず顔を上げた。 直後に入ってきたのは予想通りラウであったが、ムウには彼の様子がいつもと違う ように見えて。 元々表情豊かな方ではないが、それにしても表情が硬すぎるように思えたのだ。 「おかえりー……ってラウ?」 部屋に戻るなり、ラウが始めたのは読書でも食事でもなく部屋の片づけだった。 いや、片づけとは少し異なるかもしれない。棚や机にある私物を手にとり、そ のうちいくつかのものを次々とカバンにつめていく。 そうやって荷物をまとめていく様に覚えがあるような気がしてムウは眉を寄 た。自分の考えるそれより多少適当で荒っぽいけれど、もしやこれは俗に荷造りとい うものではないだろうか。 「ラウ、お前なにしてんだ?」 ムウの問いを聞いているのかいないのか、ラウはただひたすら私物の選別をしていた。 カバンにつめているのは、彼がよく読んでいる本や講義で使うテキストなどが主なもののようで。 泊まりこみの実習でもあるのだろうかとも思ったが、そうであるのなら一言くらい説 明があってもよいだろう。事実、今までは事前にそういった情報は端的ではあったが ある程度伝えられていたし。 わけがわからず見守るムウの前で、選別が終わったのかラウがカバンを手に立ち上がる。 やっと説明をしてくれるのかとラウに手を伸ばしかけたムウだったが、けれどラ ウの淡々とした声にそれは止められた。 「保護者からの命令が下った」 「保護者って……」 ラウには身寄りがおらず、彼は大学に入るまでは後見人をつとめる保護者 の元で暮らしていたという。それはいつだったかラウ自身の口からもざっと語ら れたことで。 思いもよらぬ存在の名に、ムウはわずかに顔をしかめた。 「他人の家に間借りするくらいならば戻ってこいと」 それだけ云って玄関へと歩き進めるラウを、ムウは慌てて追う。 「おい、ちょっと待てって」 思わずその腕を取ると、ラウは振り返り感情の読めない目でムウを見た。 冷たい瞳だ。その蒼はムウにとって初めて見る色合いで、見るものに畏怖 を抱かせずにいられないようなものだった。 「必要なものはあとで取りに来させる。それ以外は好きに処分して構わない」 「……ラウ?」 これは、誰だ。 とっさにムウはそう思った。 昨日まで、いや、今朝までのラウはこうではなかった。こんな顔を、目を、ラウはムウに 向けてなどいなかった。ほんの数時間、そんなわずかな時間であったのに、一体その間ラウに 何があったというのか。 「それではな」 冷たく云い放ち、ラウはムウに背を向けた。 振りほどかれた手が行き場を失い、ムウは閉じられた扉を見つめることしかできなかった。 ひとり部屋に残され、ただ立ち尽くすことしかできなかった。 追いかけたい、追いかけなければとそう思うのに、なぜか身体が動かない。 「……追いかけてどうなるってんだよ」 あんな目をしたラウは見たことがなかった。 冷たく、周りのすべてを拒絶したような感情の見えない目。出逢った当初のころのラ ウに似ているようにも思ったけれど、あのころよりも今日のものはもっときつくて 鋭いものだった。 保護者からの命令、とラウは云った。 元々、ラウの保護者はラウの一人暮らしに反対していたようで、了承を得るのに骨 が折れたと苦笑まじりに話していたのをムウは覚えている。 確かに、一人暮らしをするといって送りだした子どもが見知らぬ男と共に住んで いると知れば驚きもしよう。しかも、この家の権利者はラウではなくムウで。 2人の関係を怪しみ、ラウに戻れと命じるのは至極まっとうな思考だとは思う。思う のだけれど。 保護者の命令を受け入れて出て行ったラウを、ムウは止めることができない。 連れ戻すことも可能ではあるだろうが、例え保護者やラウの居場所を調べ上げつきとめた としても、今の自分にその資格があるとは到底思えなくて。 「……俺、あいつのことなんにも知らないんだな……」 保護者のこと、ラウの事情、ラウの過去、ひとつとしてまともに知らぬままに、一体自分はラ ウのなにを見てきたというのだろう。自分はそんなに信頼がなかったのだろうか。 そうではないと思いたい。 思いたいが、今となってはなにを信じていいのかすらわからなくなってくる。 「なぁ、ラウ。お前、本当は俺のこと――」 ラウが家を出た数日後、ラウの代理というスーツ姿の男たちがムウの家にやってきた。 彼らはラウのパソコンや先日持ちだせなかった専門的な本など、ラウにとっての『必要なもの』を車に運び こみ、なにも告げることなく去っていった。 彼らのうちひとりに聞けばラウの様子や居場所などはわかったかもしれないが、ムウはなにも聞くこと ができなかった。ここでラウの居場所がわかったとしてもどうなるという のだ。人づてに聞いてラウの元に訪れたとしても、それではラウに会うことは できないような気がして。 それに、無理に会いに云って真実を知るのが怖かった。 ――そう、怖いのだ。自分は。 追い返されるだけならばいい。もう用済みだと、そう云われるだけならばまだ平気かもしれない。 けれど、もし笑われたら。 お前など最初から意味のない存在だったと、なにを思い上がっているのだと、そう云って 笑われたとしたら。 その瞬間のことを考えるとどうしようもなくて。 ラウに出逢って感じたこと、思ったこと、その全てを否定されるのが怖かった。 なにもない状況でなにを恐れることがあるのだと、自分でも思う。 けれど、全てを否定されるくらいならばここでラウへの想いに苦しんでいた方がはるかにましだと、 自分を保っていられると、そのときのムウは確かにそう思っていたのだ。 |