destiny


生まれたときから、自分が誰だか知っていた。
どこから生まれたのか、どうやって生み出されたのか、誰に教えられることも なく「そう」なのだと知っていた。
だから、彼と自分が同じ人間だということもまた、自分にとっては当然のことだった。
けれど、彼は云ったのだ。
『それは違う』
『ちがう?』
彼がそう云う意味がわからなかった。
だって自分と彼は『同じ』で、だから『一緒』なのだと、そうなのだと自分は ずっと前から「知って」いたのに。
『ああ、違うな。私とお前は同一の遺伝子を持っているが、お前は私ではない のだよ、レイ』
彼の云っていることがわからなくて、レイは首を傾げた。同じだけど違うと いう、彼の声は歌うようにやわらかくなつかしくレイの身体に響くのに、彼は いつも謎かけのような言葉ばかりをレイに残していく。
『ではレイ、ひとつ問おう』
彼はレイに視線を合わせて、レイの手を取った。そのまま手首を持って、レイの 手のひらをレイの心臓に当てた。彼に触れられることは好きだ。触れられたところ からじんわりとあたたかくなるような気がして、とてもほっとする。
『ここにいる命、これは誰のものだ?』
この命は誰のもの――彼の云っていることはやっぱりよくわからなくて、レイは ぱちりと目を瞬かせたけれど彼は答えを教えてはくれなかった。
だからレイは考えた。
命は生きているものに宿るもの。ここで今生きているのはレイ。生きているレイ には命がある。目の前でレイの顔をじっと見つめている彼にも命がある。彼が 生きているなら彼の命は彼のものだし、レイの命は――、
『私のものか?』
もう一度問われて、レイは首を横に振った。彼は微笑んだ。彼がそうやって 笑ってくれるのが嬉しくて、レイは彼に抱きついた。
彼はレイを拒まず、頭を撫でてくれた。
『そうだ、レイ。その命は――』






あの人が消えた瞬間のことを、自分はよく覚えていない。
ただ、激しい痛みと、憎悪と、歓喜と、絶望と、そんなものが身体に流れこんで きてからしばらくして、全てが爆発にでも呑みこまれたようにして一瞬で消えた ときに、身体のどこかが大きく欠けたと感じただけだ。
わけがわからなくて、小さな子どものように呆然としながらギルのところへ 行った。ギルはレイに背を向けていた。
『ねぇ、ラウは?』
『ラウは、もういない』
ギルは振り返り、微笑んでいたけれどその微笑みはレイが望んでいたものでは なかった。
『君がラウだ。――それが運命なんだよ』
ギルにそのとき渡されたものが、彼の遺品だったのかは知れない。けれど、その ケースに入ったものは確かに自分と彼とが常用している薬であって、レイは彼に 否定されてからは初めて、データ以外のもので彼と自分が同一なのだと突きつ けられた。
あの人は違うといい、ギルは同じだという。けれど、レイにとってはどちらも 正しいことのように思えたから、どちらがほんとうに正しいのかなんてことは レイにはわからなかった。
あるのはただ、欠けた『自分』への喪失感だけで。
そうしてからふつふつと沸いてきたのは、数々の疑問と、それに伴う消しよう のない憎しみと痛み。
なぜ。
――なぜ。
その答えが知りたかった。自分の出した答えが正しいのか知りたかった。そして、ギルの 示した道のように世界が在ればいいと思った。
やさしくしてくれる人。微笑んでくれる人。抱きしめてくれる人。人の欲望と その末路とを憎み、変えようと云ってくれた人。
だからレイは、ギルと共に歩もうと決めたのだ。











「でも、僕たちは知っている。わかっていけることも、変わっていけることも!」

つい先ほどまで遠くで近くで聞いた声が鼓膜を震わせ、脳に伝わる。奴だ――あれ が、キラ・ヤマト。今こうしてレイの目の前にいる、この少年こそがレイや彼の 存在の生まれる根源にあり、そうでありながらも自分たちの全てを否定し、滅ぼして いった選ばれしヒト。

――その命は君だ、彼じゃない!
――その命は君だ、私ではない。

違う声。違う人。憎むベき相手。なのに重なる言葉は、かつてのやわらかなあの人 の声を思い出させた。

「だから明日がほしいんだ。どんなに苦しくても、変わらない世界は嫌なんだ」

その言葉に、傲慢だね、とギルバートは微笑んだ。定められた未来などいらないと叫ぶ 最高のコーディネイターに、しかしレイはかつてのあの人の言葉を思う。
ひとは常に「その先」を、いつかと願いながら「素晴らしい未来」を求めるの だと。自由、正義、希望、夢――輝かしい名に隠した欲望のままに、そうやって「今で はない未来」を望んでいくのがひとであるのだと。

「――僕はただの、ひとりの人間だ!」

ああ、そうだ。この世界では全て、誰もがひとりだ。ただ生きて、そして死んで いく。誰もがそうであるはずなのだ。
ひとは生きて、ひとりで死ぬ。誰もが自らのことしか知りはしない。望んでも 願っても、自分の掴み取る道は自分で選んだそれしかない。ひとり――そう、誰も がひとりだ。他の誰かと全く重なる道を選び辿ることはない。
あの人は――ラウは、世界の真理を説いていた。同じであっても決してそうでは ないのだとレイに語った。レイを見てレイとは違う笑顔で微笑んでくれた。
彼の 瞳の奥に巣食う闇と絶望とをレイは知らない。触れることのできないそれを わずかに共有することはあったけれど、それでもレイはレイで、ラウはラウ だった。そうして、異なる自分は確かに自分自身でもあった。
そんなラウを、キラ・ヤマトは2年前に殺した。だというのに、今彼はかつての ラウと同じことを云っている。それがレイには不思議でならなかった。
彼の口から出た言葉は、ラウのものとは異なり奇麗事にしか聞こえず、偽善に 彩られているとわかる。なのに、奴はラウと同じことを、ギルに対したラウと 同じことを、ここで、レイの目の前で口にしているのだ。

「だが、君の言う世界と私の示す世界、みなが望むのはどちらかな? 今ここで 私を撃って、再び混迷する世界を、君はどうしようというのだ?」

欲望のはびこる世界の中で、存在するかすら定かではない望む未来を信じて進 むか。それとも、欲望のない争いのない世界で、全ての人に正しく役割を存在を 与えられて生きるか。
ラウは笑っていた。ひとは見えぬ未来へと進むものなのだと。今ではないいつか を、ここではないどこかを、なによりもかえがたい素晴らしいものを求めてひとは 血の道を彷徨うのだと。
そしてそれはとても不幸なことだと。

『我らは常に、見えぬ未来へと進むしかないのだ』

その世界に救いはないのかと、かつてギルバートは問うていた。レイはそれを見 ていた。そのときも、ラウはやはり笑ってた。望みが願いが叶うことが救いなの かと、それとも悔いた過去を戻し願った未来を手に入れることなのかと、――そう して得た未来の先に、確かに間違えず絶対の未来を見ることはできるのかと、ラウ はそう云って変わらぬ笑みを浮かべていた。

「でも、だからあなたを討たなきゃならない。……それを知っているから」

ギルバートはその世界を変えるといった。ギルバートの示す世界は素晴らしいもの だとレイは思った。自分たちのような、エクステンデッドのあの少女のような、欲望 により生み出され捨てられていく命がない世界。職がないと、住むところが食べる ものがないと嘆き死にゆく人がいない世界。争いのない、無駄であるかのように人が 死んでいくことのない世界。
自由などなんになるだろう。欲望などあるから人はときにひと以下とされるものを 生み出し、その果てに人は人でなくなってしまうのではないのか。
それがひとなのだと、ラウは云った。そして――、

「覚悟はある。僕は戦う」

キラ・ヤマトがギルバートに銃を向け、レイもまたキラ・ヤマトの背中に銃口を 合わせた。彼の向こうにはギルバートが見えた。
ギルバートを失ってはならないと思った。未来を背負うべき人。これからの世界 を導いていく人。
そしてなにより、自分の大切な人だから。

だからこそ。
けれど。
――それでも。



放たれた銃弾は、誰よりも大切な人の胸を貫いた。







わからなかった。違う。失いたくなんてなかった。誰よりもなによりも、無垢で残酷 で真っ直ぐで優しい、レイにとっては愛しくて大切で失いがたい人。今のレイを 作ったのは彼に与えられた限りなく素晴らしいものたちのお陰であるに違いないというのに。
なのに。――なのに。
「ギル……ご…めんなさ……」
なにを云ったらいいのかわからなくて、ただ謝ることしかできなかった。こんな ことが云いたいわけじゃない。こんなことがしたかったわけじゃない。
望んだ未来は、本当に願っていたものは、確かに悲しみの生まれない世界では あった。けれど。
「でも……かれの、あした……」
彼の云う明日を、あなたもまた知っているのではないのですか。あのときラウの 云った言葉を、あなたは覚えているのではないですか。だからこそ、あなたは 違う未来を望んで、ラウとは違う彼を否定して、本当に素晴らしいとあなたが 求め願う世界を作ろう としたのではないのですか。


レイはラウが大好きで。レイはギルが大好きで。
ラウはそう云うと一瞬だけ黙ってからレイに微笑みかけてくれた。ギルはそう云う と嬉しそうにレイを抱き上げてキスをしてくれた。
『君は君だ。私ではない』
そう、確かに自分はラウとは違うようだ。だって自分はラウのように自分自身をも 憎むことはできない。レイはラウの嫌いなラウを好きで、他人であるギルが好き で、ともに在った仲間たちが好きで、そうやって生きている自分を嫌いにはなれ なかった。
ラウの嫌いなラウを殺した世界を、レイもまた嫌だと思うし憎いとも思うけれど、その中でも 大切だと思えるものが確かにあった。ラウはそれを知っていたし、レイもまた そうなのだと知っていた。
『君がラウだ』
ギルの未来を選んだ自分は、ラウの云った未来と異なる未来を選んだ自分は、それ でもラウと同じなのだろうか。ラウのようにありたいと思っていた。強く、誰よりも 強く、そしてギルの力になるだけの力を持てるようにと。
そうして自分で選んだ道を、悔いたことはない。そうあるべきなのだと知っていたし、そう でありたいと望んだから。

この想いは誰でもない自分だけのものだ。自分が選び、進むと決めたひとつの 未来。悔いることはない。悔いてはならない。
――そう、全てを失い、なにもかもを炎に奪われようとも、それでも自分がこう して生きていたことを誇りに思うのなら。




救世主の名を持つ要塞は、世界の救世主になるべき男を、男がかつて愛した女 を、伝説を駆りながら全てを知り全てを失った少年を抱いたまま、世界そのも のを思わせるように形を失っていく。




崩壊する世界の向こうで、レイは彼を見た。

彼は微笑んでいた。

久し振りに見る彼の笑みは穏やかだった。

レイは目を瞠り、ゆっくりと目を閉じた。

溢れた涙は炎に消えた。