医務室から出てきたムウは、レイをどうにか寝かせてきたからと云って苦笑する。それを 聞いて、キラとアスランもまた安堵したように微笑んだのだけれど。

「……あのままあの場所にいたほうが、彼にとっては幸せだったのかな」
先刻のレイの姿を思い返し、キラは俯いてぽつりと呟いた。キラの言葉にアスランは 視線を落とし、ムウはキラを一瞥する。
喜ばれるとは思わなかったけれど、まさか彼があんな風になるなんてことはキラにとっては 予想もしていなかったことで。
キラたちと同年代か年下だろう少年が、身も世もなく怯えた姿を見せて泣いていた。それは まるであのときの再現のように。小さな子どものように彼は震えて、ただただ涙を流していた。
だからそんな彼を見て、キラは思ったのだ。
タリアに云われるままにここに連れてきてしまったけれど、彼としてはメサイアに残った方が よかったのではないのか、と。
微笑みに赦されたまま、慈しむ瞳と共にいるべきだったのかもしれない、そう思ってしまっても 仕方がないだろう。――あんな風に泣く姿を見れば。
けれど、けれどそれでも。
「でも彼は、あのとき確かに『明日』を望んでいたのに」
ギルバートを撃ち、泣いて謝る彼は震える声で云ったのだ。「彼の明日は」と。彼がキラの ことを云ったのか、キラの知らない誰かのことを云ったのかは定かではない。だがそれでも、 彼が戦いの末に選んだものは「明日」だったのだとキラは考える。
彼がギルバート・デュランダルを一瞬でも否定したのだというのなら――いや、だからこそ、 彼のあんな姿を見て心が痛んだ。
「あの子が議長を撃った、か……」
ぽつりと呟いた言葉に、同時にキラとアスランの視線を浴び、ムウは居心地悪げに 肩を竦める。
「いや、あの子のことは俺だってアスランに聞くまで知らなかったさ。けどな、」
ムウはレイを知らなかった。キラはレイを知らなかった。
アスランだけはミネルバでのレイを知っていて、『ネオ』もまた2度戦場でレイとまみえた ことがある。――彼らとレイとの繋がりは、たったそれだけだった。
アスランは思う。ミネルバにいたころのレイの姿を。いつも冷静に周囲を見渡し、的確な判断を下し、 ギルバートの命令に従い、ギルバートに逆らう人間を討つ。それはときに冷たい刃のよう であり、アスランは、そんな彼の姿しか知らなかった。
あんな風に泣く姿など見たことがないし、あれほどまでに彼が誰かを想うだなんて 想像もできなかった。
ギルバートの命令に従うだけの、冷たい戦う人形だとそう思っていた。アスランを撃ち、討とう としたときの彼は、機械のような冷徹さでもって、そして深い憎しみすら宿してアスランを 睨みすえていたというのに。
アスランがそう零すのを聞きながら、ムウは医務室の扉に向き合って手を触れる。
一度そっと目を伏せ、そうしてからアスランを振り返り、困ったように笑いかけた。
「でも、それほどまでに信じる相手を、あの子は自分の手で撃ったんだろう?」
ムウの言葉に、アスランは息を呑む。
そうだ、彼が自身の手で議長を撃ったのだとキラは云っていた。あれほどまでに、 ギルバートの手足ではないかと思えるほどだったレイが、ギルバートを撃った。
よくよく考えてみれば、アスランにとってそれはとてもにわかには信じられないこと ではないだろうか。
「自分が第一に信じてきたものを撃つってのはどんな気持ちなんだろうな。あの子 は、泣いていたんだろう? 今みたいに」
今度はキラが息を呑んだ。
ムウはキラを一瞥するのみで、手を当てたままの扉に再び目を向ける。
「自分の命より大切なものってのは、あるんだよ」
ムウは知っている。命を懸けても、自分の命を捨ててでも守りたいものがそこにあるという こと。信念とは違うが、それでも命よりも大事だと思えるもののその重さを、ムウは よく知っている。
「しかもあの子は、自分の手でそれを壊してしまったんだろう? ――つらかったろうな」
ムウと初めて出逢ったレイは、思えばステラと同じ瞳をしていた。ステラは死を怖がって 泣いていたけれど、あの子は自らの罪の重さに怯え、震えていた。
目の前で泣いている子どもがいるのに、自分はなにもすることができない。涙を止めることは できても、それだけではなんの解決にもならないのだから。
これまでと全く変わらない自分の姿にうんざりする。それでもまだ、ムウは彼との関わりを 絶ちたいとは決して思わず、むしろ彼に微笑んで欲しいとさえ思うのに。
微笑んでいられたら、いちばんいい。あたたかくやさしい世界で笑っていてくれたら、 本当はそれだけで充分であるはずなのに。
「なあ。君たちのしていることは、君たちにとっては確かに『正義』かもしれないけれど、 それでもこうして泣く子が確かにいるんだよ」
世界にはいつだって光の届かない場所があって、光を奪われた場所があって、 そんな場所で泣いている子どもたちは、見えないけれどこんな風にたくさんいるのだ。
うたうようなムウの声を聴きながら、キラは表情が固まり、アスランは表情を失う。
「……あぁ悪い、俺の勝手な感傷だな。気にしないでくれ」
彼らの如実な様にムウは慌てて冗談めかした声を出したけれど、目の前の少年たち は曖昧に頷くのみで。
ここにいるレイが泣いている理由。そんなものは明白だ。この戦いが、メサイアでの戦いが、 あの場所での彼らの対峙がなければきっと彼は大切なギルバートを撃つことはなかった。
彼が自分の意志で引鉄を引いたとしても、それはその場の判断であってきっと彼自身の 本当の想いは別にあったのだ。でなければ、ここでこうして生きる彼があんな風に泣く はずもない。
わかりきったことを今さら告げるのも、追い詰めるように云い募るのも無駄だとムウは 思った。そんなことをしてもレイの涙は止まらない。あの子はなにひとつとして 求めてはいないのだから。
自らの罪を背負い、その重圧を受け入れながら涙を流す子ども。救いきれなかった魂。それ でも、今ならまだ間に合うと、ここにこうしているのだからきっと声は届くと、そう思って しまうのは傲慢だろうか。
「――あの子の世話は、俺がするよ」
唐突な言葉に、キラは驚いたように顔を上げ、アスランは先の言葉を待つようにムウを 見つめた。驚くほどのことでもないだろうにと、キラの顔を見て思いながら、流石に アスランは状況を把握するのに長けているなともムウは考え、その対比に知らず 苦笑する。
今の状態のレイを、彼を知らない人間に預けるのは不安だし、かといって彼の心情を 考えるとキラやアスランが近づいては逆効果だろう。その点自分なら、ああいう子ども の面倒を見たこともあるし、因縁もたっぷりある。それに彼のことをもっと知りたいとも 思うから、これ以上適任な人間はいないだろう――そう告げると、キラもようやっと 納得したように表情を緩めた。
これでひとまずは大丈夫だろう。ムウは小さく溜息をついた。扉の向こうで、眠りながら 涙を流す少年の心を想いながら、届けばいいと思いながら語りかける。
もう、君のこわいものはここには来ないから。だから泣くのはおやめ。君は生きている んだ。ということは、生きなければならないということ。君の罪は重いだろう。君は君を 赦せないだろう。それでも君は生きなければならない。君の未来を望んだ人が 確かにいて、確かにいるのだから、君は生きていい。その想いの分、生きなければ ならないんだ、君は。
だから今は、ゆっくりおやすみ。そうして目覚めたら、一緒に考えよう。少しずつでいい、 前へ進んでいこう。俺は君の傍にいるから。


生きなさいと、行きなさいと、大切だと愛しいと、
そう想ってくれた人が君にはいるのだから。