no more


「……っは」
胸をなにか熱いものがこみ上げていく。顔の裏側にじんとした感覚が広がる。息がつ まって呼吸がしにくくなる。どうしようもなく胸が苦しくて、締めつけられるよう に痛くて、けれどなんの対処もできずにただ背を丸めて自分の身体を抱きしめること しかできなかった。
目の裏が熱い。気づけばその熱さが溢れ出て、頬をつたって落ちていく。
どうしようもなかった。どうしたらいいのかわからなかった。ただ、頭の中でなにか がぐるぐると渦巻いていて、やみくもにそこに手を突っ込んでいるような、そんな感 覚が満ちているのみで。
ぼろぼろと零れ落ちる熱いもの。熱くて、そして冷たいもの。これは一体、誰の気持 ちだというのだろう。
「っう……」
なにかが消えていくような気がした。なにかが壊れていくような気がした。駄目だ、 このままではいけないと、そう思うのに。動け、そして自分のなすべきことをしろと、 確かにそう思うのに。
きつくきつく、ただ自分を抱きしめることしかできなかった。指の食いこんだ腕が痛い 。腕に爪を立てた指が痛い。それでも、それでもそうすることしかできなかった。
目を見開いて、目を閉じて、そうしてまた目を開けて。
失われてしまう。消えてしまう。ここではないどこかへ行ってしまう。自分の知らないと ころへ、手の届かないところへ、行ってしまう。
「……ぁ……」
嫌だ、嫌だ、嫌だ。なにが嫌なのか、どうして嫌なのか、それすらもわから ないというのに心はひたすらに叫ぶ。嫌だ、駄目だ、どうして。
失うことなどないと思っていた。恐れるものなどないと思っていた。自分はな にも持たず、なにも求めず、ただそこに在るだけの存在なのだから。名を呼ばれれ ば振り返ろう。求められれば手を貸そう。それが自分にできることならば、できる かぎりのことはやろうと、それだけを思っていたというのに。
なのに、なぜこんなにも怖ろしいと感じるのだろう。
手が届かないと思うこと、届かせたいと思うこと、そんな気持ちを自分は知らな い。届きたいのか、掴みたいのか、そうして触れることができて一体なにをど うしようというのか。なにもわからない。わからないけれど。
「――っ」
胸の奥がつまる。抑えきれないなにかがそこにあった。一瞬で膨大なものとなった それは内側から自分を圧迫する。叫びだしたくてたまらなかった。獣のように喚いて 、暴れて、全てを投げだして。――身も世もなく、泣き叫んでしまえたらよかったのに。

そうして、自分はどこへ行くというのだろう。
なにもないのに。なにも、なくなってしまったのに。

この腕をすり抜け、底のない闇に呑みこまれてしまったなにかがあった。
ぽかりと空いた胸にはもうなにひとつとして残ってはいなかった。どくどくとう るさいほどに鳴る心臓の音だけが身体中に響いていた。腕の力はすっかりと抜け 落ち、その形を保つのみとなってしまった。
なにもかもがなくなってしまった。なにもかもが消えていってしまった。追うこ となどできようはずもない。自分にその資格などは初めからないのだから。
違うもの。自分と違うもの。それでも確かに同じであったのだと、同じでありな がら、決して同一ではなかったのだと、だからこそ共に在れたのだと、だかこそ 求めずにはいられなかったのだと、そう誰かが叫んでいた。
それが自身であったのか、なにか別の存在であったのか、そんなことは知らな い。けれど、その想いを否定することなどできようはずもなく、しかしもう求め ることもできなかった。

冷たいものが頬をつたうのを感じながら、レイはゆっくりと天を仰いだ。
白い天井のその向こうに、なにが見えるわけでもないというのに。