wish
大切な人に銃を向けた。 誰よりも大切な人。失いがたい人。守りたいと、力になりたいと、心から願った人。 なにが起きたのかわからなくて、頭の中はなにかにかき回されたほどにめちゃく ちゃで、ただ、涙が流れることを止められないままに、レイは声を絞り出すことしか できなかった。 「……ごめん、なさ……」 柱に背中を預け、ずるずると身が沈む。 溢れる涙は止まる術を知らない。めちゃくちゃで、ぐちゃぐちゃで、どうしよう もなくて。漏れる嗚咽よりももっと、届けたい言葉があったはずなのに。 幼い子どものように、ただ泣くことしかできなかった。 どうしたかったのか、どうしていたのか、どうすればいいのか。わかっているは ずなのに、わからなくて。わかろうとするのに、わかりたくなくて。 「でもっ、……彼の、明日は……?」 彼の? 誰の? それはキラ・ヤマトか、シンか、ラウか、それとも――? 求めたかったのはなんだろう。それは平和な世界。それはあたたかな未来。人の 勝手な欲望によって悲しい命が生み出されることのない、そして、生まれてきた 命それぞれが必要とされる世界。 自分は必要とされた命ではなかった。いつ処分されてもおかしくない、いらない 命だった。けれど、救ってくれた人がいた。愛してくれた人がいた。俺は俺なの だと、誰でもない自分自身なのだと、教えてくれて、受け入れてくれて、嬉しく て。 だから、どんな運命でも受け止める覚悟はあった。 長く生きられることがなくても、それでも自分にできることをしたいのだ と、するのだと、そう思って。あたたかい世界とつめたい世界、どちらも知 る自分だからこそ、望む世界があったから。 『ねぇ、ラウは?』 『ラウは、もういない』 ――あのときは、「ああ、そうか」と。 予感はしていた。確信もしていた。ラ ウはもう、この世界にはいないのだと。自分を救ってくれた人はもうどこにもいないのだ と、事実を投げかけられて、気持ちがすとんとどこかに落ちた。 『君がラウだ。――それが運命なんだよ』 運命。 ラウと同じだから? ラウと同じく構成されているから? それとも、ラウと同じ く欠陥があるから? それが逃れられない運命なのだとしたら。逃れる気など毛頭ないけれど、生まれた 瞬間から与えられた結末があったとしても、それでも最期の瞬間まで確かに自分 は生き続けるのだと、生きているのだと、それだけはわかっていたから。 だから、運命がそうやって目の前に立ちはだかるのも、仕方のないことなのだと 思っていた。 決められているのなら。逃れられないのなら。ならば、それまでに自分ができる だけのことをできるだけやればいい。 だから、戦い続けた。抗うのではなく、受け入れながら、さらにその先を求めて。 あんな痛みを苦しみを感じる人が、これ以上生まれない世界を。生まれ出でた命 が、みな必要とされる世界を。 けれど、それはただの傲慢だったのかもしれない。その気持ちに嘘はない。確か にそう感じていた。 それでも――救えると救いたいと思うよりも、もっと単純で 幼い想いが、確かにどこかにあったのではないのだろうか。 本当は、なにを求めていたのだろう。怖くて仕方がないと思ったのはなにに対し てなのだろう。それは望んだ未来の姿か。望む未来の先には自分はいない。ラウ もいない。それでも求める未来とは一体どんなものだというのか。 零れる涙をぬぐうこともできぬまま、レイは呆然と床を見つめていた。 もう、なにもかもなくなってしまった。望んでいた未来も、救いを与えてくれ た人も、守りたかった大切な人も、この手から零れ落ちて消えていってしまった。 もう、全てを、紛れもない自身の手で壊してしまったけれど。 あのときあの瞬間に感じたことは、この命を未来へと繋げることではなくて。 ――レイにとって、ギルバートこそが『未来』だった。 レイを救い出したラウが過去の象徴なのだとしたら、レイに明日への望みを与えた のがギルバートだった。彼はレイに未来を与え、未来への望みを示してくれた。 なのに。 あの瞬間に……なぜだろう、引鉄に指をかけて力を込めようとした瞬間に感じた のは、ギルバートへの畏怖だった。 未来を望むギルバートに。 ギルバートの作ろうとする、自分のいない未来に。レイにとって未来の象徴たる ギルバートに、底知れぬ恐れを抱いたのはもしかしたらレイが未だ人である所以な のかもしれないけれど。 だからメサイアの議長室に銃声が響き、ギルバートがやけにゆっくりと倒れてい くそのときになにが起こったのかわからなかった。 わからなくて、けれど、自分がギルバートを撃ったのだという感触は確かに手の中 に残っていて。 目の前は、黒く赤く。胸の辺りは燃えるように熱いと思うのに、指の先はひどく冷 えてきっていて。頭の中もまた、冷たいのか熱いのかレイには判断できなかった。 苦しくて、悲しくて、悔しくて、痛くて、どうしたらいいのか、どうしたいの か、わかっているはずなのにわからなくて、わからないと思うのにけれど全てわ かっていて。 俯いて、ただ涙を流すことしかできなかった。嗚咽をこらえることもなく、幼い 子どものように肩を震わせて。 けれど。 「レイ、いらっしゃい」 静かな、凛とした声が耳に飛び込んできて、レイはゆっくりと顔を上げた。 ――呼ばれている。レイの大切な人を腕に抱き、やさしく微笑みかける人。その 瞳を知っている。やさしくあまく、ただ真っ直ぐに見つめてくれる瞳。 誘われるように、レイはゆらりと立ち上がり、一歩ずつ確かめるように進んで いった。ゆっくりと、倒れそうになりながらも低い階段を昇り、その人の前で 膝をつく。 2人の傍らには、ギルバートが横になっている。倒れたときそのままの体勢 で。あの瞬間までレイを確かに見つめていたその瞳は今は閉じられているが 表情は驚くほどに穏やかで、彼はただ眠っているだけではとさえ思わせるほ どだった。 ――そんなことは、もうありえないのだけれど。 改めて突きつけられた事実に、レイは呆然とギルバートのその端正な白い顔 を見つめていた。触れてみれば、きっとまだあたたかいと思うのに。 身体から力が抜けて、ぺたりと子どものように尻をつくと、それまで黙って 見守っていたタリアの手が頬に触れて。 「貴方もよく頑張ったわ」 さらりと頭を撫でられ、頭を抱え込まれるように身体を引き寄せられ た。あたたかい。互いに防護のためのスーツを着ていて温度など感じるは ずもないというのに、どうしてか素直にあたたかいと思った。 そのぬくもりを、懐かしいと感じた。 聞き慣れた声が、慣れない位置で響きを伝える。 『頑張った』。頑張ったのだろうか、自分は。 だってそれが当然だと思っていた。自分のやるべきことはそれなのだ と、望む未来のために進むのみなのだと、進みたいのだと。たくさん考 えたけれど、それより良い方法は見つからなくて、だからそうあることは 自分にとって自然なことで。 でも、もしこれが『頑張って』いることなのだとしたら。だった らもしかしたら、それは『当然なこと』ではなかったのかもしれない。知ら ないうちに、無理をしていたのかもしれない。どこかに無理を科していたのかもしれない。 頑張ってきたつもりはない。必死になったつもりはない。当然のことをし てきたまでと、自分では確かにそう思うのに。 「――だから、もういい」 でも、そうやってやさしく囁かれてしまえば。あたたかなぬくもりに包まれてしまえば。 知っているものにごく近い、けれど初めて知るぬくもりに、心はじわりと 溶け、どこかへ消えていく。 このあたたかさの名前を、自分はきっと知っている。受けたことはない熱だ けれど、これによく似たあたたかさを知っている。それは誰につける名前 でもなくて、ただ思いがけずレイの脳裏に浮かんだもので、けれどレイはそ れを間違いだとは思えなくて。 「……お、かあ、さん……」 口にして初めて、その言葉の本当の意味を知ることができたような気がした。 もしかしたらひたすらに求めていたのはこれだったのかもしれない。 抱きし めてくれる腕を。包んでくれるぬくもりを。これまでのこと、これからのこ と、そんなものは関係なくただ自分自身を認め触れてくれるあたたかな人を。 本当はずっと近くにいたのに、光を見たその日からそれはレイのすぐ傍に あったのに。確かにそこにいると感じていたはずなのに。 どうして気づかなかったんだろう。どうして気づけなかったん だろう。 ――『あなた』は最初から、俺をみてくれていたのに。 頬を伝う涙をただ送りながら、レイは胸に灯ったなにかに身を任せるように目を閉じた。 |