faith2


ディオキアの街には潮気の多い風が流れる。海沿いの街なのだから当然のこと なのだけれど、オーブとはまた異なる空気に満ちたその場所は、とても心地が良 い反面、わずかながら違和感を持たざるを得なかった。
いや、この居心地の悪さは決してこの土地に起因するものではないのだと、わ かってはいるのだけれど。
誤魔化しようもない事実を前に、アスランはなにかを云いかけた口を閉じ、しば らくしてまた開ける、という妙な行動を起こしてしまっていた。
アスランのいくらか前で振り返ったプラント最高評議会議長ギルバート・デュラ ンダルはアスランのその様子をただ黙って見つめ、次の行動を待ってくれて いる。アスランの後ろでは歌姫ラクス・クラインに扮した少女ミーア・キャン ベルもまた赤いハロと戯れながらアスランを待っていた。
ギルバートの目に急かすような色合いはなく、だからこそアスランは内心でより 焦ることとなる。最高評議会議長とあろう者が、このようなときに時間を割いて いていいはずがない。この話を終えたらすぐ次の場所へ移動するだろうことは明 白なのだから、引きとめてしまった手前早くこちらの話を終了させてしまわなけれ ばと、そう思うのに。
思うとおりに口が動かず、アスランは苛立たしげに眉を寄せる。ギルバートに尋ね たいことが確かにあるはずなのに、どう訊いてよいものかわからなかった。どうす ればこの胸にかかった霧を払うことができるのか、今のアスランにはわからなかった。
ただ、訊かなければならないと、そんな気だけがするのだ。
「アークエンジェルについて、なにか思い出したことでも?」
「いえっ、そうではありません」
要領を得ないアスランに、ギルバートが助け舟を出した。反射的に否定しな がらも、アスランは内心ギルバートに感謝する。
あえて違うだろう話題を出すことで話すきっかけを与えてくれたのだ。この タイミングを逃すほど、アスランは愚鈍な人間ではない。
「そうではなく……その、レイについてなのですが」
ようやく口にできた、以前からの疑問。
アスランのフェイス就任後の、カーペンタリアでの再会直後に突然銃を突 きつけ、さらにギルバートの名の下に自身を撃てと命じたレイの姿は、今で もはっきりと覚えている。
あのときのレイは、本気で自身を撃たせようとしていた。それはレイの瞳を見 れば明らかなことで、だからこそよりアスランを動揺させた。誰かのためなに かのためならばどんな命令にでも従うと、そういった主義の者は確かにいるだ ろう。アスランとて、その気持ちはよくわかる。
しかし、レイの場合はそれとはまた違うように感じたのだ。ミネルバのザフト レッドたちの中で、常に冷静で実力があり、また誰よりも軍人らしいレイだっ たが、そのときばかりは彼に対して異質な感覚を覚えた。
その、レイの行動の大元にいるのがここにいるギルバート・デュランダルなのだ といいう。それはレイ自身がはっきりと口にしたことであるのだから違えようも ないことだった。
既に決意しているレイにそれ以上のことを訊くことはできなかった。けれどア スランにはどうもそれは感情的に納得できるものではなく、だからこそこの機会 にギルバート本人に尋ねてみようと思ったのだけれど。
レイの名を出しても、ギルバートからの明確な反応はない。アスランのこの問い も予想の範疇内というのだろうか、常と変わらない温厚な笑みを湛え、ギルバ ートはアスランに向き合った。
「ああ、私もレイから君の話は聞いているよ。君は私の見こんだとおりの素晴らしい人物だ」
ギルバートはレイとの繋がりを否定しない。やはりレイは彼自身の云うとおりフ ェイスなのだろう。そもそもレイが偽りを述べるなどとも思えなかったが、半 信半疑だったアスランはギルバートの反応により彼らの繋がりを明確に意識する こととなった。
ならば、訊きたいことはただひとつだ。
「やはりあれは、あなたの命令だったのですか。なぜ彼にあんなことを……!」
なぜ、とそれだけがわからなかった。レイはギルバートの命令だといった。命 令ならば、アスランにレイを撃たせても良いというのか。それ以前に、どうし て彼にそのような命令を下せるというのか、この男は。
「命令……確かに形としてはそうなるだろう。しかし私は決してそれを強制して はいないのだよ。レイが自身で選び、行動したというだけのこと。――君と同 じ、フェイスとしてね」
当然のように言い放つギルバートに、アスランは頭の中が真っ赤に染まったよ うに感じた。目の前がぐらぐらする。
だから、自分でもよくわからないままに大 きく息を吸って一息に云い放った。
「彼は……っ! レイはあなたの、可愛いお人形じゃない!!」
アスランの突然の剣幕に、ギルバートは驚いたように目を瞠るも、その視線から 目を逸らせることなくアスランを見つめて笑った。
「もちろんだとも。あの子は私の最も大切な――私だけの愛しい子だ。だから」
ギルバートは笑っていた。表情は変わらない。けれど、細められた目のその鋭 さに、アスランは背筋にひやりとしたものが走ったように感じた。なにも変わって いないのに周囲の温度だけが数度か下がったような、そんな気がした。
「――アスラン、君にもあの子を渡しはしないよ」
冷たいと思うのは、その眼差しか、声音か、それとも薄らと感じとれる彼の本 質らしきもののせいだろうか。
どれほどに温厚な笑みを浮かべていても、ギルバートはプラントの頂点に立ってい るただひとりの男だ。不安定なこの状況下で、優秀で優しいだけの男がプラントを 支られるはずがないことなど、最初からわかっていたというのに。
ギルバートは、覇者の笑みを浮かべてアスランを見据える。アスランは、息 をつめてその視線に耐えることしかできなかった。
「アスラン、君はひとつ勘違いをしている。君は私があの子を束縛していると 思っているのかもしれないが、そうではないのだよ」
一旦言葉を切り、ギルバートは今度こそにっこりと微笑んだ。
「これは全てあの子が選んだことなのだ。――私のために生き、私のために死ぬ、と」
それをまるで考えるべくもない当然のことのように、ギルバートは云う。
それがどこかおかしいと、妙だと、アスランは感じていた。この感覚には覚えがあ る。そう、これは以前レイと向き合ったときにも感じたこと。
あのときの、レイの言葉は今でもよく覚えている。
――命令にのみ従う兵などただの駒でしかありません。
――議長に忠誠を誓い、しかし自らの意志で動くことのできる人間、それが、我 々フェイスに必要なのです。
そう云いながら、確かにレイは自身の意思で行動しているように思えたけれど、そ れはなにか違う気がした。それがなにか、明確にわかるはずもないのだけれど。
ただ、得体の知れない奇妙さだけがアスランにまとわりついて離れなかった。
なにかが、おかしい。かみ合わなければならない歯車がどこかで食い違い、それでも表面 上は上手く回っているような、そんな感覚がするのはなぜなのだろう。
レイとギルバートが本当はどういった関係なのかなど、アスランが知るはずも ない。
人の内面にむやみに干渉する趣味はないが、それでも気になるのは致し方 のないことではないのか。 ……あのようなレイを見て、放ったまま平気でいられるほど自分は大人ではなし、そんな 人間になどなりたくもない。
気づけばギルバートはその場に背を向けて歩き出し、後方で待っていたはずのミー アがアスランの右腕に両手を絡めていて。
夜の闇に消えていくギルバートの颯爽とした後姿を、アスランは睨むように見送るこ としかできなかった。