please


君の笑顔が見たい。
願うのは、それだけ。


「レイ、笑って?」
ベッドに身体を沈めてシンがぽつりと呟くと、ベッドに腰をかけて本を読 んでいたレイは顔を上げてわずかに眉を寄せた。
なにを云っているんだこいつは、とかそんなことを思っているのだろうなとシンは考える。
無表情で無感情に見えて、レイは表情や動きの細かいところに感情がでやすい。気を つけていなければ見逃しそうなものばかりだけれど、アカデミー入学以来、毎日同じ部 屋で寝起きしていて同じ授業を受けているシンにしてみれば、基本的に真面目で素直な レイの思考など表情の変化によりなんとなしにでもわかってしまうもので。
だからなのか、気づいてしまう。ふとした瞬間にレイが浮かべる苦しげな表情に。レイ がその顔の裏でなにを考えているのか、そこまではわからないけれど。
ごく稀に、レイわずかに苦しげな悲しげな顔でどこか遠くを見つめていることを知っ ているのは、おそらくアカデミー内ではシンだけだ。他の人間にそれを云っても、「ま さか」としか云われない。あのレイがそんな顔をするはずがない、なにか考えごとをし ているだけだろう、と。
そんなことはないのに、とシンは思う。シンの友人であり根が素直でリアクションも 大きいヴィーノなどと比べてしまえば確かにレイはわかりにくいかもしれない。しか し、レイの場合はそれが表面化されないというだけで、こちらが考えもつかないような ことを考えているということはないのだから。
レイは決して誤解されやすいタイプではないけれど、感情の起伏が少ないためか理解さ れにくいタイプではあるようだ。
シンのように敵を作ることはないが、味方を作ろうともしないのがレイの長所であり短 所でもあるのだろう。とはいえ、どういうわけか自然、レイの周りには人が集まるのが 常なのだけれど。
「笑ってよ、レイ」
それでもいつもどこか、他の人間とは違う雰囲気のレイが、シンは気にか かって仕方がなかった。
彼はシンたちとはどこかが違う。それがどこかはわからない。だからいつも 少しだけレイが遠くて――こんなに、近くにいるのに。
身を起こし、ベッドから降りて触れ合うほど近くにやってきたシンに、レイ はいよいよその顔をしかめていく。
気づけばシンはベッドに座るレイをほぼ真上から見下ろすような格好になって いて。真っ直ぐに見上げてくるレイの瞳はいつもと変わらず近くでも綺麗に輝 いて見えるのに、どこか遠い。
それが悲しくて、シンはその場に膝をつきレイの膝に片手を乗せると、と今 度は真下からレイを見上げた。
「シン?」
「ねぇ……笑って?」
怪訝そうな顔に、あくまでも告げる願いはひとつだった。レイに笑ってほ しい。あんな悲しそうな顔をしないで、どうか心からの笑みを浮かべてほしい。
レイが望む誰かが自分でないことはシンにはわかっていた。レイには誰 か、とても大切な人がいるだろうことも薄々気づいてはいた。レイが心を 開き、穏やかでいられる場を自分が作れるだなんてこと、考えたことがな いとは云わないができるとは思えなかった。
それでも、今ここにはレイと自分しかいないのだから。
「俺、レイのことが好きなんだ。レイが幸せだったら嬉しいし、レイが笑って くれるだけでも俺はすごく嬉しい」
だから、笑って。
冗談だと思っていたのだろうか、それともからかわれているとでも考えていた のだろうか。レイの表情は最初こそ明るいものではなかったけれど、シンが 必死に――それこそ、捨てられかけた仔犬のようにレイの顔をのぞきこむと、レ イは驚いたように目を丸くする。
「シン……」
「レイっ」
レイの膝に乗せた手に力がこもる。身を乗り出すようにして、レイに近付こうとした。
自分でも、なぜこんなに必死になっているのかはわからなかった。それでも、今こ こでレイを逃がしてしまってはダメだと、今は無理矢理だろうがなんだろうが負 けてはならないのだと、それだけが頭の中にあって。
願いは、たったひとつ。
レイの笑顔が見たい。それだけ。
「シン」
ふいに表情を緩めて、レイが首を傾げる。その目にはまだ困惑の色が残って いたようだけれど、シンを見つめる瞳はいつもと変わらないものだった。
「なにを云っているんだ、お前は」
くしゃりと頭を撫でられ、シンは反射的にむっとした顔になる。子ども扱いされ たいわけじゃない。冗談でもからかいでもなく、こっちは本気だというのに。――なのに。
目の前の、レイの表情から目が離せなかった。笑っているわけじゃないの に、レイは少し表情を緩めるだけでこんな優しい顔になる。
レイは気づいているのだろうか。自分が今、どんな顔でシンを見ているのか。
「だが、もう大丈夫だ」
あ。
笑った。
「――ありがとう」
感謝されるほどのことをした覚えはない。シンはただレイを見ていて、レイの 笑顔が見たいとそう思っただけなのだから。
むしろありがとうはこっちの方だと思いながらも、シンは熱くなる頬を抑えるこ とができずただレイを見上げていた。