new face
「やあ、こんにちは」 明るく楽しげな声にレイが振り返ると、そこに立つのはつい先刻、艦長のタリアよ り新たにミネルバに配属されたとの紹介をされたハイネ・ヴェステンフルスだった。 アカデミーのころから専攻まで一緒だったシンやルナマリアを除いて、レイに対して これほど気軽に話しかけてくる人物はいない。 最初こそ誰かと思ったものの、そこにいるのがアスラン・ザラとタリア・グラディス に続くミネルバの新たな特務隊員であると知ったレイは、反射的に姿勢を正して敬礼をした。 そんなレイの様子にわずかに目を見開いたものの、ハイネはおどけた風に敬礼を返すと 苦笑して首を傾げる。 「そんなに畏まるなよ。ここでのことに関しちゃあ、そっちが先輩なんだからさ」 手を下ろし、しかしどうしたものかとレイはハイネを見上げた。突然に配属された3人 目の特務隊員。先日ここにやってきたアスランといい、それと同時に特務隊に任 命されたタリアといい、一体ギルバートははなんのためにそんなことをと思わずに はいられないが、きっとギルバートには彼なりの考えがあるのだろう。 いつも、思いつきでものを云っているように見えてその裏にはなにかしらの深いも のを秘めているのが、レイの知るギルバート・デュランダルだ。今さら彼の決定に驚 かされることもなく、レイは新たな仲間を常と変わらぬままに受け入れたのだけれど。 それにしても、なぜ今ここで彼に声をかけられたのかがレイにはわからなかった。 なにか艦についてなどでわからないことがあるのなら、立場的に近いアスランやタリア に訊くのが妥当だろうし、いくら同じ赤を着ているとはいえ、ハイネが自分を呼びつけ る理由などないはずなのに。 呼び止めておきながら、ハイネはレイの顔を観察するようにをじっと見つめているの みで、それがなおさらレイにとっては理解不能なものだった。 「……なにか、ご用でしょうか」 訝しげに、しかしそれを表情には出さぬよう極めて機械的にレイが尋ねると、ハイ ネはレイの顔をまじまじと覗きこみ、目の前でにっこりと笑ってみせた。 「うん、やっぱりキレーな顔してるな」 「は?」 「いきなりで悪いんだが、君にミネルバ艦内の案内をしてほしいんだ」 「…………はぁ」 致し方ないこととはいえ、自分たちに集まる視線が煩わしいと思うのは、自分 が神経質だからとか自意識過剰だからとか、そんな理由ではないだろうとレイは思う。 「こちらが、食堂になります」 「ふぅん、けっこう綺麗なもんだな。俺が前いた艦なんかと比べると、本当にレスト ランみたいだ」 そうですか、と適当な相槌を打つレイに気分を悪くするような様子もなく、ハイネは レイの簡潔な説明を楽しげに聞いていた。 しかもなぜか、レイの顔を覗きこむようにしながら至近距離で。 「君はいつも誰と食事してるの? やっぱりあの赤の連中?」 肩に伸びてくるハイネの手をやんわりと止め、なるべくさり気なく流すように下ろさ せながらレイは首を横に振る。 「その日のスケジュールや状況にもよりますので、特定の誰かと決められることはあり ませんが」 「そっか、なら俺にもチャンスはあるってことだよな」 「……はぁ」 気のないレイの返事にも、ハイネはにこりと笑顔を向けてくる。 一体彼が、どんな意図でもって自分に近付いてくるのかレイには毛頭わからない。とに かく先刻から、ハイネは妙に馴れ馴れしいのだ。紳士然としているように見えて、いっ そ強引なまでの気安さでレイに近寄ってくる。 ただでさえ、突然に配属となった新たな特務隊員にみなが注目しているというのに、つい さっき主だったクルーとMSパイロットにのみ紹介された彼が、レイを伴って艦内をめぐ っているというのだから目立たないはずがなかった。 あれが噂のフェイスか、とみなが遠目にこちらを伺っていることに気づかないレイでは ない。それに加えて、ハイネが意味ありげにレイに近づくものだから注目度はさらに 増していて。 フェイスの人間の命令なのだから仕方がないといってしまえばそうだが、なぜ彼はわざ わざ自分に艦を案内させるのだろうかというのがレイの先刻からの疑問だった。 ハイネは、これからこの艦で共に暮らす――文字通り、寝食と命を共にする仲間だ。そのよう な相手に、艦内の説明がてらに案 内をして歩くことしないなど、アスランやタリアがそんなミスをするとはレイには到 底思えないのだけれど。 「それでは、次の場所へ参りましょう」 「次、か。じゃあ、君たちの部屋が見てみたい」 食堂から出て廊下を歩き進めながら、ハイネは半歩前を歩くレイの肩に手を置いた。 気づけばわずかに後ろにいたはずのハイネが真横に立っていて、レイは内心で溜息をつく。 「私たちの部屋よりも、ご自身がお使いになるお部屋をご覧になった方がよろしいのでは?」 「でも、俺は君の部屋が見たいんだよ」 フェイスである彼にきっぱりと云い切られてしまえば、レイに反対する術はない。 それをわかっているのかいないのか――いや、きっとレイの性格を大枠でもわかった上で 云っているのだろう、いたずらっぽい目を輝かせて、ハイネは言葉を続ける。 「同室はやっぱり、赤のあの黒髪のやつ? えっと……」 「シンです。シン・アスカ」 「そう、シン・アスカ。……議長ご指名の、インパルスのパイロット」 一瞬、ハイネの声のトーンが下がったような気がして、レイは思わず彼に目を向け た。ハイネの口元からは先刻までの笑みが消えていた。代わりに浮き出たものは鋭 いまでの真っ直ぐな視線。彼が、軽薄に見える裏では違えようもないほどに軍人な のだということを、ただ事実として受けとめるのではなくこの身で実感する瞬間だった。 「実のところ、俺は未だに彼がなぜインパルスのパイロットに選ばれたのかがよくわか らない」 虚空の、どこか遠くを見据えるハイネがなにを見ているのかはレイには知れない。 「確かに、インド洋での戦闘時における彼の戦績は、データで見たけれど素晴らしい ものだった。勲章を得るに相応しいものだとは思う。けれど、俺としては――」 ハイネが足を止め、レイも同じように立ち止まった。前を見据えていた瞳が、ゆっく りと自分を捕えていく。 淡い碧の瞳は、アスランと同じような色でありながらも鮮やかで、鋭い。 「君の方が、より相応しかったのではないかと思うよ」 眼前の碧の瞳にはレイが映っていた。包み込むような色合いに、目が離せなくなる。 ふいにレイの顎に、ハイネの手がかかる。指先でレイの顔を上げるように力をこめら れかけたところを、レイはそっと右手で押し留めた。 「――……議長の、ご命令ですから」 だから自分にはその決定を覆す気などないのだと、そんな意図をこめながら呟き、しか し視線を外さないでいると、ハイネは降参したとでもいうように肩をすくめた。レイ につき返された左手を上げながら、悪かったよと笑う。 「なるほど、議長が自慢するわけだ」 「自慢……?」 フェイスであるハイネのことだから、議長であるギルバートと個人的な話をしたこ とがあるだろうことは想像に難くないが、そこでどうして自分を自慢することになる のだろうかとレイは首を傾げた。 「一応、はっきり君だとは云っていないけどね。だけど会ってすぐにわかった。ああ この子が議長の自慢の子なんだなってさ」 「はぁ……」 なんと答えていいものやらわからず、レイは気の抜けた返事をする。それまでとは異 なり、本当に困っているらしいレイの様子に、ハイネはますます嬉しそうに笑った。 「議長が気に入るわけもわかったよ。俺も君を気に入ったし」 言葉と共に腕をとられ、レイはあからさまに眉を寄せた。 どうやら口説かれているらしいことはわかったが、これを一体どうすれば良いのか。相 手は特務隊員で、自分はいちザフト兵。立場を考えれば無下にできるはずもない相手では あるが、彼の様子を見ていた限りでは多少無礼を働いても笑って許してくれそうな気も するし。 とりあえずは、このまま流されることだけは阻止しなければと、レイがその手を振り解 きかけたそのとき。 「ハイネ! こんなところに――」 突如その場に割りこんできた覚えのある声に、レイが振り返ると自然と掴 まれた腕も放された。そのまま右手を上げ敬礼をすると、廊下の向こうからや ってくるアスランもまた敬礼を返し、ハイネの隣に立つと彼を小さく睨みつけた。 「どうしてこんなところにいるんですか。艦のご案内をするとお伝えしたばかりでしょう?」 「ああ、忘れてはいなかったのだけどね。ちょうどこの子がいたから、案内をし てもらってたんだ」 ちょうどそこにレイがいたというよりも、むしろ呼びつけられて振り回された感があ るのだけれど。あえて口に出しはしなかったが、レイは内心で呟いて小さく溜息をついた。 レイの目の前では、口の巧いハイネにアスランが流されそうになるのをどうにか留ま っているようで、その攻防はなかなかに面白いものがあった。悪いとは思いなが らも、どちらにつくこともなくレイはその様子を眺めていたのだけれど、ふいにア スランがレイを振り返る。 「レイ、あとは俺が案内するから、君は持ち場に戻ってくれ。わざわざすまなかったな」 「……いえ、命令ですので」 「そうか、ありがとう。それじゃあ俺たちはここで。――ほら、行きますよ?」 渋るハイネをどうにかなだめ、アスランはハイネと共にレイに背を向けた。共だって 廊下を歩いていた2人だったが、先の角を曲がる直前、ハイネは思い出したようにレイを振り返るとにこり と微笑み、 「レイ、またな」 そうして廊下の向こうに消えていくオレンジの軌跡を見送り、レイは深々と溜息をつ いた。誰かを髣髴とさせる強引さでレイを連れまわしたミネルバの新人。新人という には意識はしっかりとしており、実力も確かな3人目のフェイス。 どことなくではあるが誰かに似ているとは思ったが、まさか直属部隊の人間は忠誠を 誓った相手にまで似るのだろうか。そんなことはないと思いつつも、レイはその可能 性を否定しきることができなかった。 また騒々しくなりそうだ――ミネルバの今後を思い、レイは本日何度目かの溜息をついた。 |