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フェイス所属となったアスランの正式な紹介の後、改めての自己紹介をされ たきり、レイとは軍務に関わること以外にはほとんど口を利いていなかった。 偶然に足を踏み入れた休憩室にはレイがいて、アスランは内心密かに喜んでいた のだけれど、レイがこちらに対してどう思ったかは知れない。 部屋に入ってきたアスランに気づきはしたものの、話しかけてくるでも睨みつけるでも なく、軽く頭を下げてすぐに作業に戻るところはやはりレイだと、彼のことをそれほ ど知っているわけでもないというのにアスランは自然とそう思い、小さく苦笑をした。 「君も、めちゃくちゃだと思うか?」 ぽつりとそう呟いたアスランに、しかしレイは申し訳程度に視線を向けるのみでなに も返そうとはしなかった。 その様子はアスランの予想していた通りのもので、失礼だとは思いながらもアスラン は苦笑を禁じえず、密かに唇の端を持ちあげる。 初めて会ったときから彼はこの調子だ。アスランがフェイスとしてミネルバにやって きたときも、その事実に多少は驚いたのかわずかに目を見開いたようだけれど、それ以 上の反応はなかった。 休憩室にまでコンピュータの端末を持ち込んでなにかのチェックをしているレイのこ とだ、もしかしたら邪魔に思われているかもしれないと最初こそは距離をとっていた アスランだったが、沈黙に耐えかねて――というよりも、レイの意識をこちらに向け たくて放ったのが先の問いだった。 それは先刻、ミネルバのデッキの上でシンと話していた内容と同じもの。自分の行動 について、その矛盾とかみあわなさについて、自覚はしている。 「迷っているのですか?」 零すようにレイが呟いた言葉に、アスランは反射的に顔を上げた。気づけば自分 は俯いていたようで、視線の向こうのレイはこちらを見つめていた。 その瞳は、いつか見たような色合いだった。あれは地球の空だったか、海だった か。吸いこまれるような蒼は、アスランを惹きつけてやまないもので。 けれどレイは、アスランの言葉を待つように、ただアスランを見やる。 「迷ってる……そうだな、迷っているのかもしれない。やりたいこと、やるべきこ とはわかっているけれど、現実はそう簡単なものじゃない。望む未来は確かにある のに、俺がしているのは前進ではなく足踏みだ。昔も今も変わらない――惑わされ てばかりだな、俺は」 会話にもなっていない、自らの中にある言葉を羅列するだけのアスランに、しかし レイは物静かな視線を送るのみで。 言葉を遮られることなく、かといって否定も肯定の様子もないレイに、なぜかアス ランは安堵した。彼ならばこうしてくれるだろうという気持ちがあった。 初めて会ったときから、レイは変わらない。 あれだけの状況を経てきたミネルバの中で、彼だけは変わらない瞳で自分を見てくれ ていた。それがアスランにとって良いことなのかどうかはわからないが、周囲に流さ れているばかりの自分よりもずっとしっかりしている『まともな』人間なのだろう、彼は。 そうして、そんなレイの態度に心地良さを感じている自分も確かにいた。 アスランの考えを知ってか知らずか、レイは手元の端末に視線を戻し、なにかの打ちこ みを再開する。 けれど、その意識が完全に自分から離れたわけではないらしい気配に、今度はアス ランがレイを見つめることとなった。 「――力のあるものは、その力を自覚しろ」 ふいにレイが呟いた言葉に、アスランは思わず目を丸くした。それは、インド洋での 戦闘後に、独断行動に走ったシンに対してアスランが云ったこと。 確かにレイもその場にはいたが、彼がなぜここでそれを云うのか、アスランにはわか らなかった。 「そう云ったのは、あなたではないのですか」 なにも返せずにいるアスランを一瞥すると、レイはコンピュータの電源を切って ディスプレイを閉じ、ゆっくりと立ち上がった。 「……あなたはもっと、ご自分の力を自覚すべきです」 静かな蒼に見下ろされながらも、アスランはただレイを見つめ返すことしかできなかった。 この流れで一体どんな言葉を返せばいいというのか。肯定などできるほどアスランは自身を 過信してはいないし、さらにレイの前では 謙遜も無意味なもののように感じてしまうというのに。 「それでは、失礼します」 わずかに口を開いたまま考えあぐねるアスランに、レイはいつもと変わらぬ 様子で敬礼をして休憩室から出て行ってしまった。 扉の向こうに消えるレイの後姿を反射的に見送り、その気配が完全に消えた ことを感じとってアスランは肺の奥から息を吐きだした。 ……なんだか、とんでもない人間にとんでもないことを云われたような気がす る。 しかもあれは、もしかしなくてもかなり一方的な感想を押しつけられたということになるので はなかろうか。 あのときのレイは、どうもアスランの返答を待っている気配がなかったようだと思い返し、アスランは苦笑した。自分もよくやってしまうこととはいえ、気にかけている 人間からあんなこ とを云われて動揺しない人間などいるはずがない。 認められていると、そう考えていいのだろうか。 それとも、もっとしっかりしろというレイなりの進言なのだろうか。 レイはアスランの問いに、答えを与えてはくれなかった。レイに与えられ たのは、ひとつの問いと、自分の放った台詞と、どうにも判断しがたい言葉 だけだ。それらを判断材料に答えを導き出せといわれても、今のアスランに は到底無理だろうことはわかっていたが、それでも。 「――励まされたと、考えていいのかな」 レイの蒼い瞳は、まったく変わらないままアスランの前にあった。あの目は 真っ直ぐにアスランを見つめていた。見 下すでも拒絶するでも揶揄するでもなく、ただアスランを見据え、言葉を紡ぐ。 彼の言葉に、彼自身が考え語ったことに、きっと嘘偽りはない。 自分の世界は未だに揺らぎ続けているけれど、そんな中でもどうしてかそれだけは 絶対だと信じることができた。 それを羨ましいと思いながらも、どこか嬉しいと感じるのは、信じたいものを 信じ続けることの難しさを知ってしまっているからだろうか。自分自身でさえ信じきることが できない中で、ただ真っ直ぐに立つレイを信じられるというのは奇跡にも近いことのような 気がした。レイの本当の心など知れようはずもないが、それでもアスランはそう感じていた。 レイの瞳は、地球の空と海の色だ。広く遠く深く、けれど驚くほど近くにあり、信 じられないほどのものを内に秘めた色。かつて実際に見たときの、驚きと恐怖と、そ してなににも勝る感動を、今になって思いだす。 彼がここにいてくれてよかったと、人ごとのようにアスランは考える。同時に、レ イに見放されないようにしっかりした人間にならなければなと、そんなことも思いながら。 |