embrace
ようやくたどり着いたディオキア基地であったが、予想していたものとはまったく異 なる現状に人知れず溜息をついたタリアは、浮き足立ったように往来するザフト兵の中か ら覚えのある金の髪が足早に近付いてくるのを見とめわずかに目を見開いた。 「グラディス艦長!」 アカデミーの成績優秀者にのみ纏うことを許された真っ赤な軍服。落ち着いた色合い の濃い赤と黒に、彼の淡い金髪はよく映える。 ミネルバに配属されたザフトレッドの中でも特に成績が優秀で判断力や統率力にも 長けているレイ・ザ・バレルが、しかし普段の彼では考えられぬほどにせわしなく 歩き進め、タリアの前に立つとぴしっと敬礼をした。 その様はいつもとの彼とまったく変わらないように見えるというのに。 「レイ、どうかしたの?」 けれど、いくら同じように歩いていても、例え他のクルーたちにはそうでないよう に見えたとしても、タリアにはわかった。冷静なレイが、一刻を争うように兵士た ちの間をすり抜けてきたことを。 コンディションレッド並の突発的な緊急事態に陥ったというわけでもないのに、ま だ自分の体勢も落ち着いていない状態であるレイが、タリアを呼びつけるようなこと は今までではありえなかったのだから。 とはいえ、タリアもその理由に察しがつかないというわけではなかったのだけれど。 「お忙しいところを、申し訳ありません」 「いいのよ。……それで?」 たたみかけるように問うと、レイは一瞬だけ迷うように視線を下ろした。 なにか他に問題でも起こったのだろうかとタリアは思うも、レイは次の瞬間には常 と変わらぬ顔でタリアを真っ直ぐに見据え、問うた。 「先ほど、議長がこちらにいらしているという話を耳にしたのですが」 やはりな、とタリアは内心で苦笑する。レイの瞳は真剣そのものだが、その真剣さこ そが微笑ましいのだと、そのように思うのはきっと自分くらいだろう。 「ええ、先ほどお会いしたわ。これからホテルに戻られるそうよ。お茶に招待された のだけれど、時間があるのならあなたも一緒にいらっしゃい」 「私が、ですか?」 突然のことに驚いたように目を瞠るレイに、タリアはにこりと笑いかけた。 「ミネルバのパイロットもみな招待すると云っていたから、あなた一人が先に行くく らいは大丈夫でしょう」 ね、と決定事項のように問いかけると、レイはそれが命令であるかのように敬礼をし 、タリアはそんなレイに小さく苦笑をした。 ホテルへと向かう車の中、運転席より仕切られた後部座席に並んで座るタリア とレイの間には、会話らしい会話はなかった。 けれど、互いに互いの性格はそれなりに理解しているためか、車内の沈黙は心 苦しいものではなくむしろ気を落ち着けられるほどのものであった。 それでも、隣に座るレイの様子にどことなく違和感を覚え、タリアはレイを見や る。レイはただ、じっと窓の外の風景を見つめていた。それは車に乗ったときのご くごく一般的な行動ではではあるが、そこにはレイだからこその違和感があるこ とに、タリアは気づいた。 レイはこういった待機時間に、手持ちぶさたに風景を眺めたりはしない。常にな にかしら次の時間や仕事を有効に使うための準備をしているか、本当にすること がなければ静かに目を閉じているのが、タリアの知るレイの待ち方だった。 「議長とお会いするのは、ユニウスセブンの一件以来ね」 前置きもない言葉に、レイははっとしたようにタリアを振り返る。 彼らしくもなく車外の風景を見つめていたことに、レイ自身は気づいていたのだ ろうかと思いながら、タリアはレイに笑顔を向けた。 「久し振りだもの、嬉しいわよね」 レイがユニウスセブンの粉砕作業に参加している間、議長であるギルバートはミネ ルバからボルテールへと移乗してしまっていた。元よりなにかと忙しい2人が、緊急 事態とはいえ数日間同じ場にいられたのだ、タリアとしてはもう少し時間をとって やりたい気はあったのだけれど、あのときは状況が状況だったのでどうしようもない。 「いえ……そのようなことは」 そんなタリアの心を知って知らずか、レイは生真面目な顔を崩さず首を横に振る。 これは年相応の羞恥によるものなのか、それとも自分に対する遠慮か。どちらとも とれるその反応にタリアはどうしたものかと肩を竦めかけたものの、直後わずかに 逸らされたレイの視線に、やはりどちらでもあるのだと確信した。 なんの言葉もなく別れてしまったギルバートの姿は、地球でかろうじて流れるプラン トの映像で見ることができるが、だからといってレイやタリアが直接に彼の無事を確 認できるはずもなく。 心配でないわけがないのだ、この、一見すると無感情だが、けれどその実ミネルバク ルーの誰よりも細やかな心配りをできる少年のことなのだから。 「大丈夫よ、あの人もきっと、あなたに会えることを楽しみにしているに違いないのだから」 仕事となればときに冷酷なほど『素直』な判断を下すレイであったが、こと自分の気持 ちに関してはそう正直にはいられないらしい。というよりも、単に個人的な感情を人前 で表すのが苦手なのかもしれない、とタリアは思った。 この子は、ミネルバクルーの少年たちの誰よりも大人びたようでいて、けれどその分こ の歳の少年らしい感情の発露を知らない子どもだから。 「私のことは気にしないで、思いきり甘えてしまいなさい」 レイがなにか云うよりも早くそう云い切ってしまうと、その意図を感じとったのか レイは困ったように小さく微笑んだ。 指定されたホテルに到着したタリアとレイは、すぐにギルバートのいる部屋へと通された。 小さなホールほどの大きさの部屋には横に長いテーブルが用意されていて、おそらく 今回の『お茶会』はここで開かれるのだろうことが安易に予想できた。 部屋から直接繋がっているバルコニーには、ギルバート・デュランダルがいる。 「まったく、呆れたものですわね。こんなところにおいでとは」 ギルバートはタリアの言葉に、常と変わらぬ鷹揚な笑顔を浮かべ、振り返った。 「はっはっは、驚いたかね」 実に楽しげに両手を広げて首まで傾げてくる姿に、相変わらずと思いながらタリアは 背筋を伸ばして右手を上げる。隣ではレイが、倣うように敬礼をしていた。 「ええ、驚きましたとも。今に始まったことじゃありませんけど」 常にないくだけた物言いを、咎めるものなどここには存在しない。笑顔でこちらにや ってくるギルバートと、それを待つタリアとレイの間には、それだけの関係があった。 部屋の周囲には警備をしている軍人がいるものの、彼らはあくまでプロで、しかも議長の護衛という特別な任務 のために選ばれたものたちだ。ギルバートに危害が及ばない限り、彼らがこちらに関わって くることはないのだから気兼ねする必要もない。 眼前に立つギルバートは、別れて以来、映像を通して見てきたものとなんら変わりの ない様子だった。先刻はここへの招待を受けたのみでまともに話もすることがなかったの だ、改めて見るギルバート・デュランダルの無事な姿に、タリアは内心密かに安堵する。 とはいえ、温和なようでいてとんでもなく狡猾なこの男が、そう簡単にくたばるような ことはないというのも重々承知であったのだけれど。 「元気そうだね」 ギルバートは、タリアの傍らに立つレイに微笑みかけた。 「活躍は聞いている、嬉しいよ」 レイはギルバートの口から綴られる何気ない言葉に表情を和らげ、頬を紅潮 させる。タリアでさえこの男の存在に多少なりとも安心感を抱いているのだ、レ イがどれほど喜んでいるかなど考えずともわかりそうなもので。 「ギル……」 先刻の車内でのタリアの言葉に甘えることとしたのか、レイは艦長であるタリアの 前でありながらギルバートを愛称で呼びつけた。 まったくレイらしくない行動であるが、レイの前で紳士然として微笑むギルバート はそれをさも当然のように見つめていた。 「こうしてゆっくり会えるのも、久し振りだな」 レイの表情が輝く。タリアは、レイがこれほど誰かの言動により一喜一憂する姿を 見たことがなかった。――この男、ギルバートを除いては。 レイはわずかに間をおいたものの、決心したようにギルバートに駆け寄り、両腕を 伸ばした。跳ねるようにしてギルバートの首に腕を回すと、ギルバートも待ちかねて いたように抱きとめる。 レイがどんな顔をしているのか、タリアからは見えなかったけれど想像はできた。お そらくレイは、久しいギルバートのぬくもりに安堵して嬉しそうな顔をしていることだろう。 ギルバートはレイの身体をしかと抱きしめ、満足そうな微笑みを浮かべていて。そ の笑顔が、普段の笑顔とそれほどの違いがないことに、タリアは気づいていた。気 づかないわけがなかった。 それでも、今はまだ、レイがこうして幸せそうにしている姿を見るのは個人的に嬉 しいと思った。どうしてこの男を無心に慕えるのかとも思うが、それでもレイはギ ルバートに心を寄せているらしいしギルバートもまたレイをとても可愛がってい る。本人たちが幸せならばそれで構わないのだろうと、タリアは考える。 久々の逢瀬を心より喜ぶレイの姿に、微笑ましさと共にどうしてか切なさを感じ て、タリアはただわずかに微笑んだ。そうするより、術がなかった。 |