現代パラレル。 ギルレイ養父子関係。
ギルバートは若手議員で、 レイは中学生。




   anticipate


そもそもは、ギルバートのいつもの思いつきから始まった。
遅くに帰ってきたギルバートが、厚いコートを脱ぎながらつけっ放しだったテレビを覗 きこんでいたときのこと。
そのときそのニュース番組では、バレンタインの特集をやっていた。
「バレンタインと聞くと、急にチョコが食べたくならないかい、レイ?」
意味ありげににこりと微笑む姿はなにか面白いことを思いついた子どものように邪気が なく、だからといってその思いつきが無害だということではなくて。
「……あなたは毎年たくさんもらっているでしょう?」
牽制するように睨みつけながら手を差し出すと、ギルバートはレイにコートを渡し 、ネクタイを緩めて微笑んだ。
「やはりああいったものは、想い人にもらったものこそが美味しいと感じるものだ とは思わないか、レイ?」
「あなたなら、魅力的な女性の引く手もあまたでしょうに」
将来有望とされる若手議員である以上に、ただでさえ見目麗しく女性人気の高いギ ルバートだ、毎年山ほどのチョコレートが送られてきては事務所が大変なことになっ ているという話は小耳に挟むどころのものではない。
バレンタイン後、事務所経由で毎年のようにいくらか自宅に届けられるチョコレート を処理するのは本当に労力のいることで。
そんなことをここ数年同じように繰り返しているというのに、ギルバートはさらにレ イにチョコレートを作らせようというのか。
「私はレイのチョコレートが食べたいと思うのだよ」
そう云ってにっこりと微笑まれてしまっては、邪険に扱うことなどできようはずもない。
「……わかりました。ミルクとビターでよろしいですね?」
レイは渋々といったように頷いた。
するとギルバートはそれは嬉しそうに笑みを深め、レイはどうしたものかと内心溜息をつく。
こうして真っ直ぐに頼まれてしまえばレイに断る術などなく、だからといってこのまま でいいとも思えないのだけれど。
「ああ、ホワイトチョコは苦手でね。あとはそうだな、生チョコやトリュフも悪くない」
笑顔で注文をつけるギルバートに、レイは今度こそはっきりと溜息をついた。
何もかも二つ返事でやっているわけではないというささやかな意思表示ではあるのだが、お そらくこの程度ではギルバートには効かないだろうなと思いながら。
「ご期待に添えられるよう力を尽くしますので、14日までお待ちください」
「楽しみにしているよ、レイ」


そんな会話をしたのが、確か1週間ほど前のことだったろうか。
バレンタインに限らず、イベントごとが近づいてくると自然と街が活気づく。デパー トやスーパーのみならず、小さな商店の一角にさえも「バレンタインデー」の文字 が見てとれて。
普段はうるさいばかりで面倒そうに見えたお祭りごとも、踊らされてみれば意外と 悪いものではない、とバレンタインコーナーに足を踏み入れながらレイは思った。
ギルバートにチョコレートを作るのであれば、それなりに本格的なものを作らねばな らない。そうなると、必然的に必要になるのはそれなり以上の材料と調理器具であって。
けれどこの時期には、バレンタインのための特設コーナーが各所に設けられている。初 心者から中級者までを対象とするそのコーナーでは、手ごろな値段で材料と器具が手に入 るため、本格的な菓子作りコーナーで買い求めるよりも特設コーナーで買い求める方が安くあがるのだ。
「……このくらいか?」
塊のままのブロックチョコを手にしたカゴに放りこんで、レイは小さく溜息をついた。
女性客ばかりの中、男子中学生がひとり混じってチョコレートの材料を買い求めるという 姿は自然と周囲の注目を集めるものだが、そこはあえて気にしないことにした。
そう頻繁に利用する店でもないのだから、気に病むだけ無駄だ。ここはさっさっと買い 物を済ませて出て行くが得策だろうと考え、レイは女性客の波をわけながらもどうに か予定通りのものを購入し、その店を後にしたのだった。
抱えた材料は、ギルバート一人のために作るにしては量がやや多かったのだけれど。


少し出かけてきます、そうレイがギルバートに告げて自室からコートを持ち出したの はバレンタイン前日の休日の正午過ぎだった。
久々にレイと重なった休日に、ギルバートはキッチンでチョコレート作りに励むレ イの背中を微笑ましく見守りながらソファに沈んでのんびりと資料に目を通していの だけれど。
甘い香りの充満する室内に苦笑してギルバートは立ち上がり、それまでの主がいなく なったキッチンに足を踏み入た。
大型の冷蔵庫を開けると、先刻レイが作っていたと思われるチョコレートが数枚のプ レートに整然と並べられていた。よくよく見てみれば奥のほうに黒くて四角い、ケーキのような塊もあり。
一体あの子はこの1日でどれだけのお菓子を作ろうとしているのか、と思いながらギル バートはプレートの1枚に手を伸ばす。
冷蔵庫に入れてから多少経っているからか、プレートの縁のひやりとした感覚が指先 に心地良い。
『つまみ食いをしないでください』
確か出かけぎわにレイがそう釘を刺していったなと思いながらも、ギルバートはプレ ートを覆うラップを取り外そうとする指を止めようとはしなかった。
レイはああ云ったものの、慎重な彼のことだ、失敗分やギルバートがつまみ食いをす る分のためにとわざと多めに作っているだろうことは想像に難くない。
ギルバートは、プレートの隅にあるチョコレートをひとつつまんで口に放りこむ。
まだ固まりきっていないミルクチョコレートは口の中でやわらかく溶けていった。
「ふむ……甘いな」
ならばこちらはと、ギルバートは冷蔵庫から別のプレートを取り出し、今度はビター チョコレートを口に放りこんだ。


夕刻、帰宅したレイは真っ直ぐにキッチンへと向かい、冷蔵庫の中身を確認してい たようだった。
小さく溜息をついてリビングにやってくるレイを、ギルバートはいつもと変わら ぬ笑みで迎えたのだけれど、レイの反応はあまりよろしくない。
「……食べましたね?」
軽く睨みつけられ、ギルバートは大仰に肩を竦めてみせた。
「せっかく作ったチョコレートだというのに、私にはくれないのかね?」
「バレンタインは明日のことでしょう。約束通り、当日にはお渡ししますから今 は我慢してください」
「わかった。では明日を楽しみに待つことにしよう」
そうはっきりと云い切られてしまってはギルバートは引き下がるしかない。
仕方がないなと笑うギルバートに、レイは少しだけ申し訳なさそうな顔をしたのだ けれど、ギルバートは気づかないふりをしてレイの頭を撫でてやった。


翌朝、ギルバートは早くに家を出ることとなっていた。
一介の議員といえど、市民に人気の高いギルバートにとっての仕事は会 議や打ち合わせのみならず、テレビ出演や市民との交流など多岐にわたっていた。
この日もまた、常と変わらぬスケジュールをこなすために玄関に降り立ったギルバートで はあったが、ギルバートを見送るため玄関先までやってきたレイを振り返って笑みを 浮かべる。
レイは、送りだす言葉と共にシンプルな紙袋を差し出した。
「よろしかったらこれを」
「これは?」
「約束のチョコレートはきちんと包装して、お帰りになってからお渡 ししますので、こちらは皆さんで召し上がってください」
それは昨日レイが午前中に作っていたチョコレートや、帰ってきてから作り出 したクッキーなどのようで。
どうりで、ギルバートひとりのために作るには多すぎると思うほどの量だったわ けだ、とギルバートは小さく微笑んだ。
それと同時に、せっかくレイが作ってくれたものをギルバートの秘書たちや同僚 といった周囲の人間に配るのは少々癪だとも思ったのだけれど。
「くれぐれも、みなさんで召し上がってくださいね、ギル」
「……わかったよ、レイ」
みなさんで、という部分を強調されて云われてしまい、ギルバートは思わず苦笑する。
どうやらレイには、ギルバートの考えなどすっかりお見通しらしい。
何年も共に暮らしていれば当然ともいえようが、それでもやはり、真っ直ぐに向けられ る好意を嬉しく思うのはギルバートだけではないはずだ。
なんだかんだと云いながら、 結局のところレイはギルバートに甘い。
それはきっと養われているという負い目や感謝の 気持ちからだけではないと、ギルバートは確かに感じていた。
出かけぎわのキスをレイの額に落とすと、レイは小さく微笑んでギルバートの頬にキスを返す。
「いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
約束したものを渡してくれるのは帰宅後だとレイは云った。
様々なチョコレート菓子を、レイはそれらしく綺麗に飾ってギルバートに渡してくれるこ とだろう。
ならば、できる限り早く仕事を片付けて帰ってこよう。
ギルバートはそう固く心に誓い、颯爽と家を出た。