Kiss me, please.
いとし子にそうせがまれて、拒める人間など一体どこにいるというのか。 ふと視線を落せば、すぐ真下に見覚えのある金色の丸い頭がへばりついていた。 足元で服の裾をしっかりと握っている小さな手を包みこみ、服を手放させるとギル バートはその場にしゃがみこんで小さなその子に視線を合わせる。 それでも若干高い位置にあるギルバートの顔を正面から見たいのか、レイはギルバー トの手をしっかりと握りこんで背伸びをするように力をこめた。 「レイ?」 必死に手に力をこめてくるレイの様子に苦笑して、ギルバートはレイの身体を 両脇からすくいあげるように抱き上げる。 「わ」 視線が急に高くなったことに驚いたのか、レイはギルバートの頭にしがみついた。 小さな腕に頭を抱えられて視界を塞がれようとも、相手はこの小さな子であるのだか らなんの痛みも衝撃もあるはずがなく、ギルバートはレイから香るあまやかなものを 吸いこんで笑みを浮かべた。 「これでいいかい、レイ?」 高さに慣れたのか、それともギルバートの支えがあるから安心だと気づいたのか、 レイはそろそろと腕を外すとやっとというようにギルバートの視界を解放してくれた。 それでも多少は怖いのかギルバートの頭に手を乗せたまま、レイはギルバートの顔を 少しばかり上から覗きこむ。 先刻までと正反対の位置に、レイは満足したような笑みを浮かべた。 幼い笑顔を前にギルバートが思わず目を細めると、気づいたレイがまたにこりと笑って 、ギルバートは嬉しくなる。 自らの感情というものはギルバートにとっては自身でほぼコントロールできるものだと 思っていたのだけれど、どうもこの子どもに出逢ってからギルバートの調子は狂う一方で。 こんな風に、些細なできごとで感情を左右されるなどということは、今までではありえ なかったのだけれど、ギルバートはそれに関して特に嫌だと思わない自分にまず驚いていた。 これが子どもの――いや、レイの力なのだろうか。 「レイ、どうかしたのか?」 先刻にギルバートの服を掴んで放さなかったことを指摘すると、レイは思い出した ような顔をした。 あ、と無防備に口を開く姿さえ可愛らしいと思ってしまうあたり、やはり自分は重症なのだろうと ギルバートは思う。 なにを云いたかったのかを思い出したらしいレイは、けれど云いにくそうに少し俯 いてちらちらとギルバートを見やる。 それは云おうかどうか悩んでいるというよりもむしろ、焦らしてこちらの反応を伺 っているようにも見えて。 ならば期待通りに訊いてやろうと、ギルバートは困った風な表情を浮かべてレイの 顔をのぞきこむ。 「レイが云ってくれなければ、私にはなにもわからないのだよ?」 ギルバートの言葉に、どうやらレイは満足したようだった。 ぱっと表情を輝かせ、レイはギルバートの頭を掴んで横を向くよう動かそうと した。されるがままに顔だけを横に向けると、耳があたたかなものに包まれる。 レイの小さな両手に耳を包みこまれ、レイの顔が両手の隙間に近づけられる。 そうして告げられた、言葉は。 「――」 思わずレイを振り返ると、レイは些細な企みが成功したときのような満足げな、 けれど期待に満ちた顔をしていて。 つられるようにギルバートも微笑み、腕の中のレイを抱えなおした。 そうしてその額にそっとキスをすると、レイはくすぐったげに楽しそうに笑うのだった。 「ということがあったのだけれどね、お前は覚えていないのだろう?」 「……一体いつの話ですか」 くすくすと楽しげに笑うギルバートは、レイの記憶の内ではどこまでも変わらない。 レイが生まれたころにはギルバートはとっくに成人していたのだから当然といえばそ うなのだけれど。 それでもギルバートはレイの幼い頃から今までを知っているというのに、自分はギ ルバートの今の姿しか知らないように思えて、レイは内心面白くないものを感じていた。 「あとはそうだな、ひとりで眠るのが怖いといって私の寝室に忍びこんできたこと もあった」 「――っ、それは!」 その話はやめてくれ、とレイは思わずギルバートの服の裾を引いて止めに入る。 ギルバートはどうしてこう、恥ずかしい話ばかりをわざわざレイに聞かせようという のか。面白がられていることは十二分にわかっているのだが、それでもレイは反応 せざるをえなかった。 半ば睨みつけるようにやめほしいと目線で訴えると、ギルバートはレイの顔をのぞき こんでにこりと笑う。 「そうだな。あのころのように可愛くおねだりをしてくれたのなら、思い出話は後ほ どということにしてもよいけれどね?」 ……それでもいつかは話す気なのか、とレイは思ったけれども、ここでそれを突っこ んでもどうしようもないことはわかっていた。 要は、今ギルバートを止めたいか止めたくないか、それだけのことで。 そんなことにも半ば慣れてしまった自分に呆れつつも、結局のところギルバートの思 惑通りしかレイは動くことができない。 一度目を閉じて小さく溜息をつく。 次にギルバートを正面から見据え、レイは一息に云いきった。 「――キスを、してはいただけませんか?」 ギルバートはそんなレイに目を細めると、そっと彼の頬に手を添える。 愛おしむように頬をたどられ、レイはゆっくりと目と閉じた。 |