murmur


ふいに視界が暗くなったかと思うと、目を覆うようにあたたかなものが触れて いた。大きさと感覚からそれがなにかを判断し、レイは内心どうしたものかと呟く。
しばらくすればどうにかなるだろうとひとり結論づけて待っていると、その犯人は無 反応なレイに拍子抜けしたのだろうか、レイのすぐ後ろで小さく溜息をついていた。
「……なにか反応をしてくれないのかな、レイ」
わずかに不満の混じったような声は、レイが予想したとおりの人物――ギルバートの ものだった。
彼は自分に対し一体なにを期待していたのだろうかと、レイは不思議に思うも、暗い ままの視界を気にすることなく淡々と言葉を返す。
「俺にこんなことをするのはあなたしかいませんから」
だから驚くべきことではないのだと告げると、背後のギルバートはあからさまにがっ かりしたような溜息をついて。
そうしてやっと目を覆うギルバートの手が離れたかと思うと、しかしその手は再び後 ろからレイの身体に回され、レイはわずかに目を見開いた。
ギルバートの左手は腰を、右手は肩をがっちりととらえられて、それらはレイに身動 きをとれなくさせている。今度はなんのおふざけだ、と問いただそうとも、こう身体 を拘束されてはなんの抵抗もできない。
だからといってどうにもならないこの状況から彼に説明を求めたとしても、明確な答 えが返ってくるとは到底思えず、レイはどうしたものかとこっそり溜息をつく。
そんなレイの考えを知ってか知らずか、ギルバートはレイの耳元に顔を寄せた。
「……レイ」
ぴくり、とレイの肩がわずかに揺れる。
「どうかしたのか、レイ?」
耳元で響くギルバートの声はいつもより抑え気味に聞こえて、レイの髪を揺らす吐息も どこか甘くくすぐったい。
「……なんでもありません」
「そうか、ならよいのだが」
そう思うのならこの手を放して離れてくれと、レイは思う。けれどギルバートの腕 の力は緩むことがなく、しっかりとレイをとらえて放さなかった。
そうしてまるでレイを試すかのように、ギルバートは続けて耳元で言葉を紡ぐ。
「レイ、私はここ最近気になって仕方のないことがあるのだよ」
ギルバートの声は音よりも響きでもって耳を通過点にレイの前身に伝わっていく。
耳の奥が妙にざわざわとして、レイはわずかに顔をしかめた。
「……なんでしょうか」
「ん?」
ギルバートの声音がさらに深いものになったような気がして、レイは肩を震わせた。ら しくもなく、ここから逃げ出したいと思うのはなぜなのだろう。
しかし逃げようともレイの身体はギルバートの腕の中にあり、変わらず耳元に感じる吐 息は今さらにレイを逃すようなことはないと物語っているようにも思えて。
「私はお前のものだというのに、なぜお前は私だけのものになってくれないのだろうか」 ――背筋を、なにか不思議なものが落ちるように走った。
指先が震えて、レイはきつく手を握りこむ。足元が浮くように軽くなった感じがして必 死で両足に力を入れるも、自分が自分の力で立っているという感覚がないようにすら感じる。
おかしい。変だ。そう、思うのに。
どうしたらいいかわからず、レイはただ俯いて、きつく目を閉じるしかできなかった。
「……わかりましたから」
だからそれ以上話さないでほしいと、どうにかそれだけを発したきり、レイは口を開く ことはなかった。



――やりすぎてしまっただろうか。
俯いて黙りこんでしまったレイに、ギルバートは内心少々慌てていた。
つれない彼を、ほんの少しからかってやろうと思ってのことだったけれど、レイの反 応から少しばかり引き際を誤ったらしいことをギルバートは悟る。
レイの普段の生真面目な言動とはまた違った、本人にもどうにもしがたい素直な反応 はギルバートを大いに満足させたのだけれど、免疫のないレイにとってはもしかした ら苦痛にも近いものだったのかもしれない。
それでも長い髪からわずかにのぞく耳が真っ赤に染まっているのが可愛いなぁ、など と悠長なことを考えながら、安心させるように肩の拘束を解いてレイの髪をゆっくり と梳いてやった。
すると、強張っていた肩の力が抜け、わずかな震えも止まったように思えて、ギルバ ートは安堵する。
そうして腕の中の愛しい子を今度こそ怖がらせないようにと、ギルバートはゆっくり と振り返らせ、その赤い頬にかすめるようなキスをひとつ落としたのだった。