decision


「レイ」
そうやって名を呼べば振り返り、レイはすぐにこちらにやってくる。
その素直な様はまるでよく懐いた犬のようにも見えて、真面目で気難しげな普段の 彼と重なるものがあるも、それ以上にとても微笑ましいものだった。
ギルバートの座るソファの傍らに立ったレイに手を差し出し隣に座ることを勧めると 、困ったように眉を寄せる。
それでもと笑って促すと、小さく溜息をついてレイはギルバートの隣に腰かけた。
「まだ慣れないか?」
「……いえ」
口では否定するも、そのわずかな間が肯定の意を示していた。
普段のポーカーフェイスは図らずとも完璧であるのに、相変わらず自分に対しては嘘が 下手だとギルバートは小さく笑う。
彼らのいるのは議長のプライベートルームとして用意された部屋だった。
つい先日、ギルバートがプラント最高評議会議長に就任してから、彼らがこの部屋 を訪れた回数は当然ながら数えられるほどにしかなく。
元々、レイは人や場所に慣れることが得意ではない。
さらに、共にいるギルバートの地位はかつてのものとは異なりプラントの最高責任 者にと変わった。現役の軍人であり、上下関係をきちんと意識しているレイがそれ までのようにギルバートの隣にいることに戸惑いを感じているだろうことは容易に想像できた。
それでもギルバートはレイを望み、レイもまたギルバートを拒むことはなかったのだけれど。
「……私の身分はお前には迷惑だったかな」
伏せ目がちにギルバートが呟くと、レイは慌てたように顔を上げた。
「そんなことは……っ」
迷惑なわけがない、とレイは首を横に振る。今までギルバートが議長になるた めに様々な努力をしてきたことをレイは知っている。いつもごく近くで見ていたのだから。
だからギルバートが、彼自身が望んだように議長になったことは、レイにとっても喜ば しいことで、決して迷惑などと思われるようなことではないのだ。
「そうではなく、ただ……」
「ただ?」
レイは困ったような顔で視線を彷徨わせ、最後には俯いてしまった。
その顔を上げさせるように、ギルバートはレイのつややかな金の髪に指を差し入れ、 小さく微笑んだ。
「どうした、レイ?」
細い金糸のひと束を指に絡ませ、弾く。するりと指先の間を抜ける感触の心地良 さはいつ感じても飽きないもので。
そうやってレイの髪をいじりながら、ギルバートはレイの言葉を待つ。
しばらくして、観念したのかそれとも沈黙に耐えかねたのか、レイは小さく息を吐い てギルバートに向き合った。
その眼差しの強さに、ギルバートはわずかに息を呑む。
「どうか、危険なことだけはなさらないでください」
レイが自分を心配してくれているだろうことは予想がついていた。けれど、彼が このように真剣な表情で自分にこう告げるほどのものだとは思っていなくて。
「――わかっているよ、レイ」
レイの想いの強さは本物だった。
だからギルバートは、レイの瞳を正面から覗きこんだ。
その想いに報いるために。
「だが、私にはやらねばならぬことがある」
わかっています、とレイは頷く。
この先、自らが進む道は決まっていた。互いにすべきことがあった。それはおそらく 、どちらも口に出さずともわかっていたことで。
ギルバートが小さく微笑む。
レイはギルバートの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
彼らにとっては、それだけで充分だった。










ボギーワンの奇襲により足を止められたミネルバから、レイの乗る白の ザクファントムが発進する。
敵モビルアーマーが接近しているという。
ザクファントムのコクピットの中、岩石の間を注意しつつ進みながら、レイは 画面に映る背後のミネルバをちらりと見つめ、呟いた。
「ミネルバにはギルが乗っているんだ。絶対にやらせるものか」
ギルバートの乗艦の有無に関わらず、ミネルバを堕とさせるようなことはしないけれど。
それでもギルバートが乗っているのなら、絶対に1機でも自分を抜かせやしないと、レイは画 面の隅に小さく映る見覚えのあるモビルアーマーをきつく睨み据えた。
『私にはやらねばならぬことがある』
あの人の――ギルバートの想いを、誰にも妨げさせやしない。
それを決めた日から、誰かを殺すために引き金を引く指が迷うことはなくなった。
『――守ってるくれるのだろう?』
守る。守ってみせる。 ギルバートを、その想いを、こんなところで消えさせやしない。
モビルアーマーの操る複数のガンバレルが間をおかずに攻撃を加えてくる。そ の間を縫い反撃に出ようとするザクファントムに、さらに2機のモビルスーツが迫っていた。
「邪魔だっ」
振り向きざまにうち1機を堕とし、さらにレイはかのモビルアーマーへと銃を向けた。



敵の戦略に陥り、動きを止められたミネルバのブリッジ内、どうにか艦体を動か そうとクルーたちは騒然としていた。
そんな中、ギルバートは極めて冷静に戦局を眺めていた。
レイの乗る白のモビルスーツが正面のディスプレイの隅に映る。レイの発 進を自らの目で確認し、彼は小さく笑みを浮かべた。
今は確かに危険な状態といえよう。しかしギルバートにはわかっていた。 決して、自分がここで死ぬようなことはないと。
『どうか、危険なことだけはなさらないでください』
真剣な中に心配そうな色を含んだ目でそう告げたレイの、言葉の裏にある決意を知 らぬわけがなかった。
レイは自分を守るだろう。なにがあろうとも、彼が自分を死なせることはないだろう。
ギルバートはそれを知っていた。
『――当然です、デュランダル議長』
ほんの数刻前のレイの言葉が響く。そこには確かな決意の音があった。絶対であ ると、彼の瞳が物語っていた。
そのためか、ギルバートは自分でも驚くほどに冷静にそこにいることができた。
そうして彼は振り返る。
自らの更なる思惑を達成させるために。