worries
レイに好きだと云った。レイは応えてくれた。 その日から俺たちは、晴れて恋人同士となったわけなのだけれど。 「……」 その現状を前に、シンはどうしようもなく立ち尽くすしか術がなかった。 それというのも、この部屋の空気がとんでもなく悪いのがいけない。 シンと同室者であるレイの性格上、元々それほどに明るい雰囲気の部屋というわけでは なかったが、それでも静かで落ち着けるこの部屋をシンはシンなりに気に入っていた。 それが、今はどうだろう。 このどんよりとした空気を発しているのが、まさかあの常に沈着冷静なレイ・ザ・バレ ルだと一体誰が信じるだろうか。 けれどこの部屋には今シンとレイしかおらず、シン自身がそうではないのだから原因となりえるものはもうレ イしかいない。 レイは自分のベッドに腰かけ、先刻から床と睨めっこをしていた。 表情はいつもと変わらないものなのだが、あのポーカーフェイスを保ったままに周囲の 雰囲気だけが沈んでいるものだから、ある意味ではあからさまに沈まれるよりなお怖い。 レイがこんな風に自分の表情を表すことは滅多にない。 彼はシンたち赤服のリーダーらしく常に冷静で、生真面目な表情を崩すことはほとん どなかったし、それは自室においても同じことだった。 けれどごくたまに、わずかではあるが感情を表すことがあって、シンの知る限りではそれ は自室でのみのことであり、自分の前だからレイもそんな風に気持ちを表せるのだろうとシンは 内心喜んでいた。 ……のだけれど、いかんせん、レイの悩みの原因が問題だった。 レイが自身の能力や容姿や内面的なことで悩むことはない。人間関係でなにかあったとし ても、ここ数日間でレイが誰かとトラブルを起こすようなことはなかったはずだし、自分との関係も然りだ。 レイが自身や周囲の人間との関係以外のことで悩むとしたら、その原因――相手はひとりしかいない。 レイの養父である、ギルバート・デュランダルその人だ。 悔しいことに、レイがこうやって感情を揺さぶられるのはギルバートに関係することがらのみである。 最近になってやっとシンにも感情を向けてくれるようにはなったけれど、それでもまだギルバートほどには至らない。 仕方がないことだとは思っている。シンとギルバートでは最初から立ち位置が違っていて、レイの 中でギルバートは誰とも比べようのない大切な人であると。 それはレイの、ギルバートに対する笑顔を見ればわかるし、否定するつもりもない。 決してギルバートはシンの『ライバル』にはならないのだから、ここで怒りを向け るのは筋違いだとわかっている。 わかっている――のだけれど。 それでもやっぱり、腑に落ちないとは思ってしまうのは仕方のないことだろう。 「レイ? どうかした?」 「……シン?」 なるべく普通にと、細心の注意を払いながらレイに声をかけるも、レイは今やっとシンの姿を 認識したようで。 気配に人一倍敏感なレイが、声をかけられるまでシンに気づかないなんてこと滅多にないことで。 やはり原因はギルバートがらみだと、その様子からシンは確信する。 「なにか悩みでもあるの?」 「悩み……いや」 「俺が役に立つかわかんないけどさ。溜めこんでもいいことないんだから、云ってみなよ」 レイの否定の言葉を遮って、先を促す。 こういう強引さに、実のところレイが弱いことを知っているのはそう多くはない。 彼の言動はいつも理路整然としていて、付け入る隙がないものだったから。だからこそ、 こうして揺らいでいるときに強く出ると拒みようがないのだと、シンは知っている。 「悩みと、いうか……」 ぽつりぽつりと、レイは話し始めた。 最初こそは真剣な顔つきで聞いていたシンであったが、レイの語る『悩み』が深刻さを 増すほどにシンの肩は落ち、頭はうなだれていく。 いつの間にか語ることに夢中になっていたレイは、それに気づくこともなかったのだけれど。 レイに云わせると、こうなる。 それはギルバートといつものように話をしていたときのことだという。 いつものように何かと話題を見つけてはからかってくるギルバートに、いつものように レイは半ば逆らうような返答をしていたのだが、そのあとのギルバートの反応がいつも とは違ったのだと。 笑顔は消え、口をつぐんでしまったギルバートにレイは何も云うことができずにその場 を去ってしまった。 ――と、ざっと要約すればこんなところになる。 そうしてギルバートを怒らせてしまったと思ったレイは、このあとどんな顔をし てギルバートに会えばよいのかわからない、と云った。 嫌われていたらどうしよう、もう二度と笑いかけてくれなかったら――と、レイ はずっとひとりで悩んでいたらしい。 そして明日、いつものようにギルバートと会う日を目前にしてもなおその悩みは 解決できないままで、約束を翌日に控えた今になって、悩みはピークに達したのだろう。 いかに状況が深刻かをとつとつと語られたシンは、ひきつる顔をどうにか抑えな がらも、心の中では何度も深い溜息をついていた。 「……あの、さ」 「?」 きょとん、とした顔で上目遣いにシンを見る様はとんでもなく可愛らしいと思っ たが、それを口に出すとあとが色々面倒なのであえて心中に留めておくことにして。 シンはレイに向き合い、その両肩に手を乗せて顔を覗きこんだ。 「レイは、なんで議長を怒らせたかはわからないけど、とりあえず仲直りしたいんだよな?」 「……あ、ああ」 「だったらさ、とにかく謝っちゃえばいいんじゃないのかな」 ギルバートの考えていることなどシンにはわからないが、どうせあの意地の悪い 議長のことだ、おおかたレイを困らせるつもりでわざとそんな態度をとったのだろう。 そのおかげでこちらがどんなに迷惑しているとも知らず。……いや、もしかした ら全てわかってやっているのかもしれない。レイを一喜一憂させる存在がギルバー トであるのなら、シンにとってはレイがそれなのだから。 そのあたりをわかっていてやっているのなら、本当にたいそうよろしくない性格を している。あの、頭の切れる議長殿は。 「議長だって、レイが素直に謝れば許してくれるよ、きっと」 というより、ギルバートならばレイが謝って許さないわけがないだろう。 そう思うのは決して間違いではないと、シンは思う。 「そう、か?」 「うん」 「……わかった」 ほんの少し考えこんでいたようだけれど、そう呟いたレイは先刻とはもう顔つきが違っていた。 行動の方向性がつかめたことで、気が楽になったのかもしれない。 自分の言葉でレイが救われるのなら、レイの負担が軽くなるのなら、それに越したことはない。 それはある意味でシンの本望でもあるのだ。 ……その根本理由はともかくとして。 翌日の夕刻、訓練終了後すぐにギルバートに会うために緊張した面持ちで出か けていったレイは、就寝時間ぎりぎりに帰ってきた。 このときにはもう、レイはいつものレイに戻っていて、シンにはすぐに『仲 直り』が上手くいったのだとわかった。 多少複雑な気はするけれども、レイが幸せならばそれでいい。 そう結論づけて、シンはさっさと着替えてベッドに潜りこもうとしていたレイに声をかける。 「議長と仲直りできたんだ?」 レイは一瞬驚いたように目を見開いたものの、ただこくりと頷いた。 ならよかった、と呟いて、シンもレイと同じくベッドに身体を滑りこませたのだけれど。 「……シンのおかげだ」 「え?」 「助かった。ありがとう」 問い返す間もなく、レイはシンに背中を向けてしまった。 レイの後ろ頭をまじまじと見つめたまま、シンはなぜか動くことができなかった。 反則だ、と思う。 最後の最後でこれか。こんなの予想なんてしているわけがない。心の準備なく受け入れるに は衝撃が強すぎる。 ――あんな顔、ギルバートにしか見せないと思っていたのに。 ちくしょう、嬉しいじゃないか。 口の中で呟いて、シンは頭から布団をかぶるときつく目を閉じた。 今のレイのあの顔を、忘れるものかと思いながら。 |