tactics


その日の打ち合わせを終え、一旦部屋に戻ろうと廊下を歩くレイの前に現れたのは、 彼らが守るべき対象であるプラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルその人だった。
立場上自由に出歩くことを制限されているはずの彼は、しかしそんなことを気にも留めぬように悠々 とやってきて。
思わず足を止めたレイが、訝しげに最高権力者を見上げてしまっても致し方ないことといえよう。
「どうかしたのかい、レイ?」
ギルバートは常と変わらぬ笑みでレイの前に立ち、レイの様子を楽しげに窺っているようだった。
しかしレイは、ギルバートの微笑に応えることなく、軍人らしい生真面目な面持ちでギルバートを見 つめていた。
「現在は任務遂行中です、デュランダル議長」
決して逸らされることのない瞳を、ギルバートはとても好ましく思っていた。
深く淡い青の瞳は、地球で見る空の色とよく似ている。
プラントで見るものとは異なり、ただあるがままに存在しつづける色は、ときに思いもよらぬ青の姿 を眼前に現してくれる。
「私的な行動は慎め、ということかね?」
意図的に顔を覗いてやると、レイは驚いたように軽く息をつめたものの、その表情を変えるにはいた らないようだった。
「……はい」
小さく頷くその真面目さにギルバートは苦笑し、すぐ横にあった部屋の扉を開くと、一歩踏みこみ レイを振り返って左手を差しだした。
「では、こちらに来なさい。レイ・ザ・バレル」
困惑したようにレイはギルバートを見つめる。
この手をどうすれば良いのかと、レイがそう思っているのだろうことはよくわかる。
そんな表情すらもギルバートは目を細めて楽しげに見やり、レイの次の行動を促すようにわずかに 首を傾げた。
「命令だ」
最高権力者にそう云われてしまえば、一介の軍人であるレイに逆らうことなどできるはずもなく。
諦めたようにレイの差し出した右手は、そっとギルバートの左の手のひらに包まれた。


ギルバートがレイを引き入れた部屋は、ミネルバ乗組員の生活する部屋の予備のものであったようで、 部屋の明かりをつけるとそこはレイも覚えのある空間だった。
「――今だけここを、私の私室としよう」
プライベートな場であれば問題ないだろう、とギルバートは笑う。
ご丁寧に自らの手で部屋の鍵までかける姿に、レイは困ったような視線を向けることしかできなか った。
「あなたという人は……」
それは職権乱用というのではないかと思うも、最高権力者である彼の決定を覆せる力がレイにはない。
それでなくともレイはギルバートには弱いのだ。こうやって押されて、意地になって逆らうことなど できるはずもなく。
先刻とられた手が自然に離れていくのを視界の隅にとらえながら、レイはこの場をどうおさめるかと いう問題に意識を向ける。
そんなレイの心境を見通しているかのように、ギルバートはレイを見る目をわずかに細めた。
レイはいささかむっとしたような顔になるものの、再びゆっくりと上げられるギルバートの手に気づ くと、不思議そうにギルバートを見上げた。
ギルバートはレイの真っ直ぐな髪の、そのひと房を手に問うた。
「いつものように笑ってはくれないのか?」
「――っ、いつもなんてっ」
「プラントでは、私に笑ってくれたろう?」
反論しかけて、けれど適当な言葉が思いつかずにレイは口を閉ざす。
遠目にギルバートを見つけたとき、少しでも近くにと駆け寄ってしまうのは半ば反射的なものとなっ ているのだ。
ギルバートは最高評議会議長であるため、公的な場で近づくことは容易ではない。
だがギルバートを見かけたとき、多少離れた場所であっても彼に対し敬礼をする のはレイの癖のようなものにもなっており。
そんなことを今になって云う必要はないだろう、とレイは思う。
しかしギルバートは云うのだ。レイの目の前で、変わらぬ笑みを湛え。
「外では笑えても、私の前では笑えないのかな、レイ」
ギルバートはさらりと流れるレイの金糸の束を指先で弄んでいた。
レイの反応を楽しげに見つつも、それに満足すると今度は指に絡めた金に唇を寄せ、ごく近い位置で レイの瞳を覗きこむ。
射るような瞳は、ときにレイをとらえては決して放そうとせず、その中に引きずりこもうとする。
思わず目を伏せてしまったレイを、なおもギルバートの視線が追う。
レイは知っている。
穏健派であるこの議長が、温和そうに見えてその実かなり狡猾な面を持っているということを。
普段は柔らかな笑顔に隠されているものの、ふとした瞬間にその顔を見せることがある。
そうでなければ、この若さで評議会議長にまでのぼりつめることはできない。
そんなことはわかっているのだけれど。
「……あなたは、ずるい」
顔を上げることができないままレイが呟くと、ギルバートはくすりと笑ってその肩を引き寄せる。
覚えのあるあたたかさに包まれたレイは、ゆっくりと息をはきだし目を閉じると、その腕に身を任せた。