レイの宅急便  「2.海の見える街で」より抜粋



 出逢った場所のすぐ真横にあるパン屋に先ほどの青年の姿を見つけ、レイが見 せの扉をくぐると、ちょうど逆が途切れたらしいそのパン屋の主人は人好きのする 笑みでレイを迎え入れてくれた。
 店の扉に『休憩中』のカードを下げ、主人はレイを店の奥へと促し、インスタント らしいが妙に味のいいコーヒーをレイに振舞ってレイの斜め前の席に腰掛けた。
「俺の名前はムウ。見てのとおりここでパン屋をやってる」
「俺はレイです。こちらは黒猫のギルといいます」
 何者かもわからない相手であるのにムウはレイを家へと上げ、レイもまたそんな ムウに好感を抱いていた。
そうしてレイが魔女の修行のことや、この街で見聞きしたことを話していくと、ムウ は興味深げな表情で時折頷きながら話を聞いてくれた。
「この街には、長らく魔女がいなかったようですね。先程のお客様にもからかわれてし まいました」
 ついさっき荷物を届けにいったネオという客の様子を思い返し、レイは思わず眉を寄せた。
 ――君、魔女だろ?
 なにかを含んだような、どこかひっかかる微笑みが癪だった。
魔女の血については広く理解されていないとはいえ、あんな風にあからさま に驚かれからかわれるいわれはない。ネオと呼ばれた彼とムウはよく似た顔 立ちをしているというのに、性格は正反対ではないかとレイは思う。
聞けば、ムウとネオは従兄弟同士なのだとか。兄弟同然の付き合いだというの に、どうして彼らはこんなにも違うのだろう。第一印象のあまりの違いにレイは 半ば呆れたように内心で溜息をついた。
「まあ、あいつはアレが普通だから気にすんなって。それに、俺は君を気に入ったし」
 云うと、ムウはカップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。レイもつられるよ うにコーヒーの最後のひと口を口に含み、ギルもまた皿に残ったわずかなミルクをな めとってしまう。
「で、今日はどこに泊まるか決まってるのか?」
 レイが目を伏せて首を横に振ると、
「なんだ、なら早く云ってくれたらよかったのに」
 ムウは笑って、空になった二つのコーヒーカップを手に立ち上がると、ついて おいでとレイを促した。


 ムウが案内してくれたのは、店と家が一緒になった建物の隣にある小屋の 二階で。一階は物置になっているが二階は使われていないままだからと、ム ウはその部屋をレイに貸し与えてくれた。
『レイ、本当にこの街に住むのかい?』
 ぴかぴかに磨き上げた床から、取り替えたばかりのまっさらなシーツの上 に飛び乗って、ギルはベッドの上で胡坐をかいたレイの足に擦り寄った。
レイはといえば、この修行のためにと溜めたお金をベッドに広げ、しばらく考 え込んでいたけれどまた丁寧に紙幣を重ね合わせて大きめの財布にしまいこんだ。
『……もっといい街が他にあると思うけれど』
「それでも俺は、この街が気に入りました。海も空も空気も、とても綺麗だ。ム ウさんのような人にも出逢えたし、もう少しここにいたいと思うのです」
 ギルは溜息をつく代わりに尻尾をぱたりと揺らした。
『ここでなにをするか決めたのかい?』
 荷物の整理でもするのだろう、レイはカバンをベッドに引き上げた。その一 番奥にお金を入れた財布をごそりとしまいこむ。
「届け物屋などはどうだろうかと、考えています」
『……空を飛んで?』
「そうです」
『君には他にもできることがあるだろう? 例えば、』
「魔女としての俺ができることは、空を飛ぶことだけです。他のことは母さん から習ったものではないし、なにより確実性がない」
 占いやら物当てにそもそも確実性などあるのだろうか、とギルは思ったけれ ど、今のレイにそれを伝えても意味がないとわかりきっているので口をつぐんだ。
「それに俺は、この街のことをもっと知りたいと思うから」
 だから、空を飛ぶという力を使ってこの街を見て行きたいのだとレイ云う。
 レイが自分で考えて決めたことだ、ギルがこれ以上口を出す必要はなかった。こ うなってしまったレイを口先だけで止めることは不可能に近かったし、それになに より、レイがとても楽しそうだ。ならばいいだろうと、誰にともなくギルは呟いた。


 これからもここに置いてほしいと告げ、そしてこれからやりたいことの説明を すると、ムウは二つ返事でそれを許してくれた。
「まだこの街にも不慣れなんだから、うちの店を拠点にして届け物屋をやればい いじゃないか。暇なときには店番でもしてくれれば、俺は助かるし」
「それだけで……いいのですか?」
「あとは、店の準備や片付けも手伝ってくれると嬉しいかもな。今はちょっと相方 がいなくて人手が足りないんだ」
 本来ならば、この店は二人で切り盛りしているのだとムウは云う。レイには事情 がわからないが、本来いるべきもう一人が今はいないために、現在はムウがひとり で店をやっているのだと。
「はい、ぜひ手伝わせてください!」
 レイが身を乗り出すようにしてそう云うと、ムウは嬉しそうに笑ってレイの頭を くしゃりと撫でた。