『My dear, My Angel』 sample1 空も飛べるはず
(出逢った頃のように+空も飛べるはず) 出逢ったとき、彼はまだ十二歳だった。 再婚相手――自分が父方の、彼が母方の連れ子同士という、同じ境遇で顔を合わせたとき、彼はまだビリーの胸元までしかない小さな子どもだった。 互いに新しい片親と兄弟との初顔合わせ。 数日前、父がもらってきたという写真で再婚相手とその息子顔だけは見たけれど、写真と同じ顔が当然ながらそのままそこにあって、勝手だけれどビリーは少し驚いた。 よく似ている母子だとは思ったが、本当に瓜二つだった。 新しいビリーの母の名はマリア・エーカー。そして息子が、グラハム・エーカー。 マリアは優しげな美しい女性だった。これで本当に三十も半ばを過ぎた人なのかと疑いたくなるほど、微笑む姿は少女のように可憐だった。 波打つ金の髪は背中の半ばまであり、碧の瞳はビリーと父を見てやわらかに細められる。 父が未だ愛し続ける亡きビリーの実母とはまた違ったタイプの女性ではあったが、父が彼女に魅かれた理由がわかったような気がした。 そしてその息子もまた、愛されるべき姿をしていた。 絵画から飛び出した天使のような、自然のままなのだろうくるりとした短い金の髪がいいようもなく愛らしい。マリアと同じ碧の瞳は生気に溢れ、父とビリーを見上げて彼はとても嬉しそうに、笑った。 「グラハム・エーカーです。これからよろしくお願いします、新しい父さん。――そして、兄さん」 四歳年下の彼はそれはたいそう魅力的に、ビリーが思わず息を呑むほどに、可愛らしく鮮やかに微笑んだのだった。 さてグラハムはどこだろう。思ったけれども、幸いというべきかわざわざ探すような手間はかからなかった。 ビリーの家の裏手には開けた場所があって、家の表にいないのならばそちらにいると考えるのはごく自然な考えでもあったから。 予想した通りに、グラハムは裏庭にいた。そして一本の木の前に立っていた。 「なにか気になるものでもあったかい?」 驚かせないようにゆっくりと声を出したけれど、グラハムはびくりと肩を震わせて振り返る。誰も来ないと踏んでいたのか、またはもしかしたら、ビリーではなくマリアが迎えにくると思っていたのかもしれない。 予想外の反応は、けれど悪くないものだとビリーは思う。 「……にいさん」 「そんな堅苦しい言い方をしないで。ビリーで構わないよ」 そうビリーが苦笑すると、グラハムは少しだけ困ったように眉を寄せた。 「でも、父さんは父さんで、兄さんは兄さんだ」 真面目な子なのだろう。その表情には新しい父と兄に思うところがある様子もなく、ただ当然のことをしたがゆえの困惑のようなものが見てとれた。 「そう、思ってくれるんだ?」 ビリーは新しい母のことをマリアと呼んでいる。マリアがそう呼んでいいと云ってくれたからだ。 父の妻というだけで母と呼べなどと云えないし、ビリーたちにとっての母はいるのだから自分のために無理をしなくていいと、そう、云ってくれたからだ。 「……だって、『そう』だろう?」 けれどグラハムはそれを当然だという。これが幼い少年であるからこその純粋さなのか、ビリーにはまだ判断がつかないけれど。 グラハムの父親のことはまだ聞いたことがないが、もしかしたらグラハムが物心つく前に亡くなっているのかもしれない。そう考えれば、新たな父と兄とを本当の親兄弟だと思い受け入れてくれることも、納得できない話ではなかった。 「まあ、確かにそうなんだけど、ね」 それでもなんとなくこそばゆいと感じてしまうのは、やはりビリーがこの十六年間一人っ子として生きてきたからだろうか。 兄弟姉妹が欲しいと考えたことはあれど、まさか本当に自分に弟ができるだなんて思ってもみなかったから、実のところこの現実が未だに不可思議で仕方ないのだ。 「じゃあこうしよう。普段は僕のことをなんと呼んでも構わない。でも、僕と二人だけのときにはビリーと呼ぶように」 「……え?」 「……ビリーは、MSを作りたいのか?」 グラハムの純粋な疑問に、ビリーは少し揺れる。MSの設計や開発に携わりたい――結果としては、確かにその方向になるのかもしれないけれど。 「MSに限った話ではないんだけどね。例えば、僕が作った機体が、誰よりも早く何よりも綺麗に飛んだら――そんな風に考えてしまうんだ」 少年だったら、きっと誰だって一度は空に憧れる。ビリーだってもちろんそうだった。 けれど、この高めの身長と、平均より高まることのない体力のなさからすると、ビリーにはパイロットになれる適正が悲しいほどに低い。 だからこそ、造る側に回りたいと考えたのだ。自分が手がけたものを、世界で一番のものとする。それはどんなに幸せなことだろう。 「なら、僕が乗る」 はっきりとした物言いの意味が、一瞬ビリーにはわからなかった。 「僕がビリーを、空に連れて行くから」 「だったら君に、最高の機体を造ってあげなくちゃいけないね」 グラハムは、ビリーが空に憧れていることを察してか、自分がパイロットとなってビリーと共に飛んでやるという。 今はまだ隠されている能力や実力が、きっと彼にはたくさんあることだろう。そう思わせてくれる美しい少年は、ビリーの言葉に心底嬉しそうに微笑んだ。 Give a reason
その日、ビリーたちの家にはビリーとグラハムしかいなかった。父とマリアは、普段から仕事尽くしである父の、ようやく得られた休日を利用して二人で旅行へ行っていた。 あと一週間でビリーは家を離れてしまうのだからこんなときに旅行なんて、と父とマリアは最後まで渋っていたが、結局のところ追い出すようにして行かせたのはビリーだった。 休日に休みなど滅多に取ることのできない父の折角の休みなのだから、夫婦水入らずで行ってきてほしいのだと訴えた。そして自分はグラハムと兄弟水入らずで過ごすから、とも。 そうしたこともあり、夕食後にリビングのソファに沈んでコーヒーをすすっていたビリーは、眼前に迫るグラハムの顔に少しばかり驚いていたのだった。 「うん、でも、彼女と僕とでは専門分野が違うから、一緒に移るというと少し語弊があるかな」 「そうなのか……」 そうだよ、とビリーが笑うと、グラハムはなぜかほっとしたように表情を緩めた。しかし、 「とても才能のある子だから、いつかこんな日がくるだろうとは思っていたけど。でもまさか、同じような時期に同じように動くことになるとは思ってもみなかったよ。確か、君よりひとつ年下だったかな」 「なん、だって……?」 「だから彼女は天才なんだよ」 十八歳であるグラハムよりさらにひとつ年下でありながら、ビリーと同等のレベルの講義や演習についてこられる少女。 本来の専攻こそビリーとは異なるが、彼女は同じエイフマン教授に師事する同志であった。 これまでに女っ気があまりなかったせいもあるのか、明るく快活な彼女はビリーにはとても眩しく映る。――愛おしささえ、抱くほどに。 しかしそれは誰にも明かしていない想いだった。いや、もしかしたらビリーの仲間の何人かには知れていたのかもしれないが、それでも誰に云うこともなく密やかに胸に留めていただけの想いだった。 なのに、 「――駄目だ」 低く呟かれたその声は、一瞬誰のものか判別がつかないほど普段の彼の声音とは異なっていた。 それが目の前にいるグラハムから発せられたものでなければ、ビリーとてすぐに判別はつかなかっただろうと思えるほどの。 「え、」 けれどそれをグラハムに伝えるより先に、ビリーの視界は反転し、重力に身を任せるようにして落ちていった。 気付けばビリーはグラハムに両肩を押さえつけられるようにソファに横になっており、グラハムはビリーを逃がさないとでもいうように身体ごと乗り上げていた。重くはない。が、身体が動かず自由が利かない。 燃えるように輝く碧の瞳から、どうしてだろう、逃れられないと思うなんて。 「そんなことは、許さない」 「ぐらは……」 降りてきたものは、恐ろしいまでに感情を抑えたグラハムの声と、冷たい唇。 キスだ、と気づいたときには彼の舌はビリーの唇を割ってビリーの中へと潜り込んでいた。咄嗟に押し返そうとするも、巧みに押さえられた身体はビリーの意思に従って動いてはくれない。 ビリーよりもずっと女性との付き合いもその手の経験も多いグラハムは、やはりビリーの思うとおりに巧かった。まさか自らの身をもって知ることになろうとは思ってもみなかったが。 キス、といえば。そうだ二年前にも同じようなことがあったのではなかったか。あのときは、確か。 「冗談だって、云ったじゃないか……!」 無理矢理に顔を離して絞り出した言葉は、しかし笑えるほどに震えてまともにグラハムに届いたかもわからない。 ビリーにわかったことといえば、それでもグラハムの手が緩むことはないということと、彼の瞳が真剣であること。 ――そして、今回ばかりは冗談では済まされないということだけだった。 「私から、逃げるな」 グラハムが耳元に唇を寄せそう囁いたとき、ビリーの身体の奥に熱いなにかが灯ったなど、もちろんグラハムには知る由もなかった。 |