パーティの前に 2 




例えばそれは十月の末日のこと。
ともすれば暗くなりがちな場であるからこそ、こういったイベントごとには
力を入れるのが慣例のようになっていて。

「へぇ、似合うもんだなぁ」
「……なんの真似だ、黒崎」

にやにやと意味ありげに笑う一心を睨みつけ、竜弦はファイルを手に立ち上がった。
その背中の下では、やわらかなものがふわりと揺れる。

「噂に聞いちゃいたが、こりゃすごいな。よくできてる」
「勝手に触るな。特注品だぞ、壊れたらどうしてくれる」
「ほー、オーダーメイドか。さすが総合病院、やることが違うなぁ!」
「違う。患者の手作りだというだけだ」
「なるほど、そりゃ壊しちゃたまらんな」

なぜかまだ楽しげに笑いながら、一心は飽きずに竜弦の後ろに手を伸ばして指先でそれ に触れていた。
やわらかく細長い、茶色のもの。
竜弦の頭には、同じ色で三角形のものがついている。ピンを目立たないように髪の中 に隠しているために、遠目にはまるで竜弦の頭に本当にそれがついているようにさえ 思えるもので。

「狼っていうか……完全に猫だな、これは」
「煩い黙れ」

そう、元々はこのようなイベントごとに参加するつもりはなかったのだ。
というか、参加できるようなスケジュールではなかったはずなのだ。
なのに、どういうわけか偶然にも突然、この前後のスケジュールが変更となり、ちょう どこの日には病院の方に残ることとなってしまった。
そのことを聞きつけた患者の一人が、特技だという手芸の腕前でもって竜弦の分のそれ を一日で作りあげてしまったのだ。

忙しい院長のために、少しでも動きやすく気にならないものを、ということで。
そんな配慮がなされたそれを無碍にすることもできず、仕方なしに竜弦は、回診のときと ある程度自由に動ける時間のみそれをつけることとなった。
午後からのハロウィンパーティでは、一部の看護師や医師、患者たちもこのように着飾る という。
お陰で1週間前から院内はハロウィン一色であった。

……それは、まあ、いいのだ。
自分の病院のことは院長である竜弦が許可したことなのだから、今さら文句を云うつもり はない。
院長として病院でのイベントに参加することは当然のことだろうとも思う。
けれど、

「もう一度問う。なんの真似だ、黒崎」
「あ? だってハロウィンなんだろ?」

竜弦の前に立つ一心は、服こそ黒スーツに白衣という、定番なのだか妙なのかわからない ものであるが、問題はそこではなかった。
彼は、どういうわけか、まるで重症患者のように顔と手とに包帯を巻いてあったのだ。

「病院でやるにはタチの悪い冗談だと思わないのか」
「え、だって吸血鬼の方がやばいじゃねーか。血吸うし」
「……」
「狼男じゃお前とかぶっちまうしなぁ」

それをやらないという選択はないのか、と竜弦は内心舌打ちをする。
そもそもどこからこの病院のイベント事情を聞きだしてきたというのか。
緘口令は敷いていないが、今度それとなく情報の流出元を突き止めてやろうと竜弦はひとり 心に誓う。

「……ふん、勝手にしろ」

先ほど廊下で見かけたのは、ガタイのいい一心にじゃれつく小さな子どもたちの姿だった。
子どもたちは躍起になって一心の包帯をとろうとし、一心はそれを取られまいとしてモン スターのような声を上げたりゆっくりと襲いかかるようなポーズをしていた。
化け物然とした格好で覆いかぶされようとしても、そこに悪意がないとわかっているから 子どもたちは楽しげに逃げ回るし、周囲の大人や果ては看護師たちもそれを見て気楽に笑 うばかりであった。

わかっている。
自分には到底できない、やろうとも思うことのないことを平然とやってのける、それが 黒崎一心という男なのだと。

「手を貸せ」
「ん?」

目についたそれを、指摘するよりも自分がする方が早いと判断して竜弦は了承を待たずに 一心の手を取った。
子どもたちと遊ぶ中で緩んだのだろう、解けかけた右手の包帯を半分ほど解いて、再び巻 きつける。
数分とかからずに終わるそれを、一心の視線が追うことに気づきながら、竜弦はできる 限りきつく結んでから手にした右手を解放した。

「サンキューな」
「……別に、大したことはしていない」
「そうだよなー、だってこれは愛だもんな、愛!」
「帰れ」

一言で切るも、それが伝わるような相手であれば最初から苦労はしない。
包帯を巻きつけた一心の手が、竜弦の顔の高さまで上がるのを目にしながらも、それに 構うことなく竜弦は足を進めた。
耳に触れられているのがわかる。
布越しの指先が髪に触れ、頬に触れる。
歩き進めながら、しかし振り払うことなく竜弦はただ前を向いていた。

「可愛いぜ、竜弦」
「失せろ」
「愛してる」
「……反吐が出る」